天正14年 1586年 6月3日 |
上杉景勝が北之庄城(越前国)を出立し、麻生津にて長谷川秀一の振舞を受ける。府中(越前国)に到着し浄土宗寺院に宿泊する。府中の領主・木村重茲の出迎えは病のためなし。 |
出典:天正十四年上洛日記(『上越市史 別編2 上杉氏文書集二』3106号) |
天正14年 1586年 6月4日 |
上杉景勝が木之芽峠を越え敦賀(越前国)に到着する。敦賀城(越前国)城主・蜂屋頼隆の留守居による饗応をうける。河田摂津守を成敗する。 |
出典:天正十四年上洛日記(『上越市史 別編2 上杉氏文書集二』3106号) |
天正14年 1586年 6月4日 |
天満本願寺の地築につき石を据える。 |
出典:『宇野主水記』同年月日条 |
天正14年 1586年 6月5日 |
上杉景勝が敦賀(越前国)に逗留する。 |
出典:天正十四年上洛日記(『上越市史 別編2 上杉氏文書集二』3106号) |
天正14年 1586年 6月6日 |
上杉景勝が敦賀(越前国)を出立し、大溝(近江国)に到着する。大溝城(近江国)城主・生駒親正の饗応を受ける。 |
出典:天正十四年上洛日記(『上越市史 別編2 上杉氏文書集二』3106号) |
天正14年 1586年 6月6日 |
島津義久が豊後国攻めにつき、弟・義弘と談合する。義弘は7月28日までに豊後国攻めを開始することが神慮に叶っており、8月に延期となると良くないことを主張する。 |
出典:『上井覚兼日記』同年月7日条 |
天正14年 1586年 6月7日 |
上杉景勝が大溝(近江国)を出立し、坂本(近江国)に宿泊予定のところ、石田三成の勧めにより、逢坂を越え京都の本圀寺に宿泊する。 |
出典:天正十四年上洛日記(『上越市史 別編2 上杉氏文書集二』3106号) |
天正14年 1586年 6月7日 |
島津義久が豊後国攻めにつき、弟・義弘、島津忠長、川上久隅、伊集院忠棟、町田久倍、平田光宗、本田親貞、伊集院久治、上原尚近、上井覚兼、白浜重政、本多正親、税所篤和、三原重隆、木脇祐充、遠矢良時、吉利久金、比志島義基を召し、談合する。談合の結果、義久、親貞、覚兼、光宗は日向口より、義弘、忠長、忠棟は肥後口より豊後国に攻め入ることが決定する。 |
出典:『上井覚兼日記』同年月日条 |
天正14年 1586年 6月8日 |
上杉景勝が本圀寺に逗留する。 |
出典:天正十四年上洛日記(『上越市史 別編2 上杉氏文書集二』3106号) |
天正14年 1586年 6月9日 |
上杉景勝が本圀寺に逗留する。木曽義昌が景勝のもとに挨拶に訪れる。また、愛宕山(下坊カ)、近衛信輔の使者が訪れる。村上頼勝、溝口秀勝が音信として訪れる。 |
出典:天正十四年上洛日記(『上越市史 別編2 上杉氏文書集二』3106号) |
天正14年 1586年 6月9日 |
児玉就方が死去する。 |
出典:- |
天正14年 1586年 6月10日 |
上杉景勝が本圀寺に逗留する。景勝が百万遍に赴く。羽柴秀吉の使者として景勝のもとに石田三成がやってきていろいろと指南をする。備中屋一宗のもとを訪れる。 |
出典:天正十四年上洛日記(『上越市史 別編2 上杉氏文書集二』3106号) |
天正14年 1586年 6月11日 |
上杉景勝が木村清久の風呂の振舞を受ける。六角堂にて拍子の興行を見物する。 |
出典:天正十四年上洛日記(『上越市史 別編2 上杉氏文書集二』3106号) |
天正14年 1586年 6月12日 |
上杉景勝が大坂城(摂津国)に到着する。増田長盛の座敷に宿泊する。饗応を受ける。 |
出典:天正十四年上洛日記(『上越市史 別編2 上杉氏文書集二』3106号) |
天正14年 1586年 6月13日 |
上杉景勝が大坂(摂津国)にて休息する。 |
出典:天正十四年上洛日記(『上越市史 別編2 上杉氏文書集二』3106号) |
天正14年 1586年 6月14日 |
上杉景勝が羽柴秀吉に出仕する。拍子を見物。千利休が景勝を茶湯でもてなす。大坂城(摂津国)の天守閣、寝所、詰座敷を見物する。 聚楽第(山城国)の建立につき四国・東国より材木が京都に運搬されたと噂される。 |
出典:天正十四年上洛日記(『上越市史 別編2 上杉氏文書集二』3106号)、『多聞院日記』同年月日条 |
天正14年 1586年 6月14日 |
島津家久が穆佐(日向国)に到着する。上井覚兼が家久に7日の豊後国攻め談合のことを伝える。 |
出典:『上井覚兼日記』同年月日条 |
天正14年 1586年 6月15日 |
上杉景勝が石田三成・木村清久の接待を受ける。 |
出典:天正十四年上洛日記(『上越市史 別編2 上杉氏文書集二』3106号) |
天正14年 1586年 6月16日 |
上杉景勝が羽柴秀吉の茶湯に招かれる。直江兼続・千坂景親が茶室を見物する。晩、景勝は羽柴秀長に会い茶湯を受ける。 |
出典:天正十四年上洛日記(『上越市史 別編2 上杉氏文書集二』3106号) |
天正14年 1586年 6月16日 |
晩、羽柴秀長が上杉景勝を茶湯に招く。 |
出典:天正十四年上洛日記(『上越市史 別編2 上杉氏文書集二』3106号) |
天正14年 1586年 6月16日 |
羽柴秀吉が上杉景勝を茶湯に招く。 |
出典:天正十四年上洛日記(『上越市史 別編2 上杉氏文書集二』3106号) |
天正14年 1586年 6月17日 |
堺見物を提案され断るものの、堺見物が高野山参詣により中止となる。 上杉景勝、直江兼続が千坂景親(景勝使者)・大石綱元(兼続使者)を、天満本願寺の本願寺顕如、教如のもとに音信として遣わす。景勝はそれぞれに太刀1腰・馬1疋を、兼続は馬1疋を贈る。 |
出典:天正十四年上洛日記(『上越市史 別編2 上杉氏文書集二』3106号)、『宇野主水日記』同年月日条 |
天正14年 1586年 6月17日 |
上杉景勝、直江兼続が千坂景親(景勝使者)・大石綱元(兼続使者)を、天満本願寺の本願寺顕如、教如のもとに音信として遣わす。景勝はそれぞれに太刀1腰・馬1疋を、兼続は馬1疋を贈る。 |
出典:『宇野主水日記』同年月日条 |
天正14年 1586年 6月18日 |
上杉景勝が大坂(摂津国)を発ち上洛する。石清水八幡宮に参詣する。瀧本坊にて振舞を受ける。夜遅く、京都(本圀寺カ)に到着する。 |
出典:天正十四年上洛日記(『上越市史 別編2 上杉氏文書集二』3106号) |
天正14年 1586年 6月19日 |
六条(本圀寺カ)に逗留する。 |
出典:天正十四年上洛日記(『上越市史 別編2 上杉氏文書集二』3106号) |
天正14年 1586年 6月20日 |
朝早く、羽柴秀吉が上洛する。 |
出典:天正十四年上洛日記(『上越市史 別編2 上杉氏文書集二』3106号) |
天正14年 1586年 6月20日 |
羽柴秀吉が参内する。その後、上杉景勝を連れ仙洞御所を案内する。 |
出典:天正十四年上洛日記(『上越市史 別編2 上杉氏文書集二』3106号) |
天正14年 1586年 6月22日 |
上杉景勝が参内する。後陽成天皇より天盃を下賜される。その後、羽柴秀吉に連れられ仙洞御所を見物する。夕方、六条(本圀寺カ)に帰る。 |
出典:天正十四年上洛日記(『上越市史 別編2 上杉氏文書集二』3106号) |
天正14年 1586年 6月24日 |
上杉景勝が越後国に帰国するため京都を出立する。堅田(近江国)に到着し、祥瑞寺に宿泊する。 |
出典:天正十四年上洛日記(『上越市史 別編2 上杉氏文書集二』3106号) |
天正14年 1586年 6月25日 |
上杉景勝が堅田(近江国)を出立する。今津(近江国)に宿泊する。 |
出典:天正十四年上洛日記(『上越市史 別編2 上杉氏文書集二』3106号) |