天正20年 1592年 11月24日 |
応其が山科言経を招き、4・5人で酒宴を開く。この日、大仏殿の柱立てを終える。 |
出典:『言経卿記』同年月日条 |
天正20年 1592年 11月24日 |
報恩講の仏事の最中、本願寺顕如が中風により死去する。 |
出典:『大谷嫡流実記』「顕如」の項 |
天正20年 1592年 11月24日 |
大仏殿の柱立てが終わる。 |
出典:『言経卿記』同年月日条 |
天正20年 1592年 11月24日 |
香宗我部親氏が朝鮮国にて死去する。 |
出典:『香宗家証跡記』 |
天正20年 1592年 12月4日 |
仙石秀久が越前守に任官。 |
出典:『天正二十年日記書抜』同年月日条(『北野天満宮史料』北野天満宮史料刊行会、北野天満宮、1980年) |
文禄1年 1592年 12月8日 |
「天正」より「文禄」に年号が改まる。 |
出典:- |
文禄1年 1592年 12月10日 |
七条東河原にて顕如の葬礼が行われる。 |
出典:『大谷嫡流実記』「顕如」の項 |
文禄1年 1592年 12月14日 |
近衛信尹が名護屋城(肥前国)に赴くべく、京都を出立する。橋本(山城国)より船に乗り、初夜過ぎに大坂(摂津国)の川端の満介宿に到着する。 |
出典:『三藐院記』同年月日条 |
文禄1年 1592年 12月18日 |
近衛信尹が兵庫(摂津国)に到着する。夜、出船。 |
出典:『三藐院記』同年月日条 |
文禄1年 1592年 12月19日 |
早朝、近衛信尹が明石(播磨国)に到着する。船頭親助兵衛の所にて朝食後、出船し高砂(播磨国)に到着する。 |
出典:『三藐院記』同年月日条 |
文禄1年 1592年 12月21日 |
近衛信尹が室津(播磨国)に到着する。 |
出典:『三藐院記』同年月日条 |
文禄1年 1592年 12月23日 |
巳刻(9-11時)、近衛信尹が牛窓(備前国)に到着する。 |
出典:『三藐院記』同年月日条 |
文禄1年 1592年 12月24日 |
近衛信尹が蓬島に到着する。 |
出典:『三藐院記』同年月日条 |
文禄1年 1592年 12月25日 |
顕如の遺骨が大谷本願寺の旧地に納骨される。 |
出典:『大谷嫡流実記』「顕如」の項 |
文禄1年 1592年 12月25日 |
近衛信尹が日々(備前国)に到着する。午刻(11-13時)、出船し豊島に到着。夜半過、出船する。 |
出典:『三藐院記』同年月日条 |
文禄1年 1592年 12月25日 |
李如松率いる明軍50000が鴨緑江を渡る。 |
出典:『黒田家譜』巻6「長政記」 |
文禄1年 1592年 12月26日 |
寅下刻(4時)、近衛信尹が鞆(備後国)に到着する。 |
出典:『三藐院記』同年月日条 |
文禄1年 1592年 12月29日 |
近衛信尹が高崎(安芸国)に到着する。 |
出典:『三藐院記』同年月日条 |
天正20年 1592年 6月14日 |
脇坂安治、九鬼嘉隆、加藤嘉明が釜山浦の河口に到着する。 |
出典:『脇坂家伝記』 |
天正20年 1592年 7月14日 |
豊臣秀吉が「からいさん」に城を築き、脇坂安治、九鬼嘉隆、加藤嘉明に在番を命じるとともに、藤堂高虎、織田秀信、「紀州之者」を派遣することを安治に伝える。 |
出典:『脇坂家伝記』 |
文禄1年 1592年 -月-日 |
徳川家康が名護屋城(肥前国)に向けて出立する。酒井忠世が供奉する。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第59「酒井忠世」の項 |
天正20年 1592年 -月-日 |
重順が妙見堂・日吉社三宮の造営につき本願となる。 |
出典:『東塔』「竹林院」の項 |
文禄1年 1592年 -月-日 |
佐波隆秀が死去する。 |
出典:- |
文禄1年 1592年 -月-日 |
子・吉正が生まれる。 *『寛政重修諸家譜』巻第398「小倉吉正」の項の没年・享年記載より逆算。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第398「小倉吉正」の項 |
文禄2年 1593年 -月-日 |
能勢頼之が生まれる。 *『寛政重修諸家譜』巻第274「能勢頼之」の項の没年・享年記載より逆算。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第274「能勢頼之」の項 |
文禄2年 1593年 -月-日 |
松平清昌が生まれる。 *『寛政重修諸家譜』巻第21「松平清昌」の項の没年・享年記載より逆算。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第21「松平清昌」の項 |
文禄2年 1593年 -月-日 |
京極忠高が生まれる。 |
出典:- |
文禄2年 1593年 1月1日 |
近衛信尹が広島(安芸国)に到着する。信尹が毛利秀元に太刀・馬を、佐世元嘉に100疋を贈る。晩、秀元、元嘉が信尹のもとを訪れ、秀元が太刀1腰・青銅10疋を、元嘉が太刀・300疋を信尹に贈る。元嘉より信尹に翌2日に連歌会を催すので参加を促され、信尹は承諾する。 |
出典:『三藐院記』同年月日条 |
文禄2年 1593年 1月2日 |
広島(安芸国)で催された連歌会に近衛信尹が参加する。発句は信尹、脇は渡瀬繁詮、第3は佐世元嘉。 |
出典:『三藐院記』同年月日条 |
文禄2年 1593年 1月3日 |
近衛信尹が宮島(安芸国)に到着する。 |
出典:『三藐院記』同年月日条 |