天文11年 1542年 4月25日 |
蜷川親俊が北野社に参詣する。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 4月27日 |
堺御坊の見物のために堺を訪れていた本願寺証如が大坂本願寺に帰る。 |
出典:『天文日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 4月29日 |
中院中納言が大坂本願寺を訪れる。本願寺証如が歓待する。 |
出典:『天文日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 5月1日 |
伊勢貞孝が幕府に出仕する。御服を拝領する。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 5月1日 |
倶利伽羅明王院(加賀国)住持職について本願寺証如より当地門徒中へ受け入れるようにとの命が下ったことについて、証如へ珍重の旨を大舘常興より伝えるよう言い渡される。 |
出典:『大舘常興日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 5月1日 |
倶利伽羅明王院(加賀国)住持職について本願寺証如より当地門徒中へ受け入れるようにとの命が下ったことについて、証如へ珍重の旨を大舘常興より伝えるよう言い渡される。 大舘晴光が父・常興のもとに礼に訪れる。 |
出典:『大舘常興日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 5月5日 |
長床坊が祈祷札を幕府に献じる。 |
出典:『大舘常興日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 5月11日 |
祐金が東大寺戒壇院受戒堂屋根破損につき女性に壇を踏ませて奉加を募る。 |
出典:『多聞院日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 5月17日 |
豊後衆の小西、田北、小田部、塩手が伊勢貞孝のもとに礼に訪れる。酒宴あり。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 5月18日 |
武田義統が伊勢貞孝のもとを訪れる。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 5月21日 |
足利菊童丸が感神院新宮に参詣する。供は大舘晴光、朽木稙綱、伊勢貞孝。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 5月24日 |
伊勢貞孝が細川晴元に矢筒を贈る。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 5月24日 |
蜷川親俊が清水寺に参詣する。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 5月25日 |
蜷川親俊が北野社に参詣する。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 6月6日 |
伊勢貞孝が八瀬へ川狩りに赴く。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 6月7日 |
熊谷直続が赤穴(出雲国)を放火する。直続の放火に対し、赤穴城(出雲国)に籠る赤穴光清が城より出て直続と戦い、直続が戦死する。 |
出典:『陰徳太平記』巻第13「熊谷平三郎直続戦死之事」 |
天文11年 1542年 6月8日 |
唐船勘合の事につき、六角定頼の使者 慈光院が上洛する。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 6月8日 |
祐金が「タチカラノ宮」を完成させる。 |
出典:『多聞院日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 6月10日 |
伊勢貞孝が近衛稙家のもとに赴き、揚弓を楽しむ。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 6月12日 |
伊勢貞孝が八瀬へ川狩りに赴く。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 6月20日 |
鞍馬寺にて竹切会が行われる。蜷川親俊、上池院が見物に訪れる。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 6月23日 |
細川晴元の京都の屋敷の普請が終わる。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 6月26日 |
細川晴元が伊勢貞孝のもとを訪れ小的に興じる。湯漬け、冷麦の後、酒宴および観世能あり。晴元に腰物を贈る。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 6月晦日 |
父・忠親が死去する。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第65「酒井某(忠親)」の項 |
天文11年 1542年 7月1日 |
伊勢貞孝が幕府に出仕する。御服を拝領する。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 7月4日 |
慶寿院が近衛稙家のもとを訪れる。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 7月9日 |
幕府奉公衆の知行分の安堵を細川晴元が承認したので、幕府は祝着の意を伝えるべく伊勢貞孝を晴元のもとに遣わし鷹を贈る。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 7月10日 |
細川晴元が9日に鷹を贈ってもらったことへの礼として足利義晴のもとに赴く。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 7月13日 |
宗晴康が偏諱の礼として太刀1腰、曇金1端、毛氈1枚、虎皮1枚、鳥目3000疋を足利義晴に進上する。また、伊勢貞孝に太刀1腰、豹皮1枚、鳥目1000疋を贈る。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 7月16日 |
巳刻(9:00~11:00)、大坂本願寺の阿弥陀堂の礎石を据える。 |
出典:『天文日記』同年月日条 |