天文11年 1542年 7月18日 |
毛利元就がつが東に陣取る。 |
出典:『二宮佐渡覚書』(米原正義校注『第二期 戦国史料叢書 7 中国史料集』人物往来社、1966年 所収) |
天文11年 1542年 7月19日 |
近衛稙家が細川晴元のもとを訪れる。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 7月19日 |
大内義隆勢の陶隆房・内藤興盛等が赤穴光清の赤穴城(出雲国)を攻める。 |
出典:『陰徳太平記』巻13「尼子経久逝去並ニ大内義隆雲州発向之事」 |
天文11年 1542年 7月21日 |
足利義晴が近衛稙家のもとを訪れる。供は上野、朽木稙綱、伊勢貞孝。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 7月21日 |
辰刻(7-9時)、大坂本願寺の阿弥陀堂の柱立を行う。 |
出典:『天文日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 7月21日 |
足利義晴が相国寺慶雲院にて慶雲院(足利義勝)の100回忌法要を修す。 |
出典:『相国考記』同年月日条(相国寺史料編纂委員会編『相国寺史料』第1巻、思文閣出版、1984年) |
天文11年 1542年 7月22日 |
宗彦七(義調)が偏諱の礼として太刀1腰、曇金1端、紅綿1斤、鳥目2000疋を足利義晴に、伊勢貞孝へ太刀1腰、鞍覆、鳥目500疋が進上する。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 7月23日 |
大内義隆勢が赤穴光清の籠る赤穴城(出雲国)を包囲する。 |
出典:『二宮佐渡覚書』(米原正義校注『第二期 戦国史料叢書 7 中国史料集』人物往来社、1966年 所収) |
天文11年 1542年 7月25日 |
蜷川親俊が北野社に参詣する。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 7月26日 |
巳刻(9:00~11:00)、大坂本願寺の阿弥陀堂の棟上が行われる。 |
出典:『天文日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 7月27日 |
大内義隆勢が赤穴光清の籠る赤穴城(出雲国)を攻め、同城を落とす。光清は戦死する。 |
出典:『陰徳太平記』巻13「尼子経久逝去並ニ大内義隆雲州発向之事」、『二宮佐渡覚書』(米原正義校注『第二期 戦国史料叢書 7 中国史料集』人物往来社、1966年 所収) |
天文11年 1542年 7月28日 |
蜷川親俊が清水寺に参詣する。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 7月29日 |
有馬晴純が礼として太刀(国久)、馬、曇金1端、唐錦1端(紋唐草)、緞子3段、毛氈5枚を、有馬晴直が太刀、馬、黄金30両を足利義晴に進上する。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 7月29日 |
泉涌寺が伊勢貞孝のもとへ礼に訪れる。 有馬晴純より礼として太刀、緞子1段が有馬晴直より太刀、鳥目1000疋が貞孝に贈られる。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 8月5日 |
伊勢貞孝が細川晴元のもとを訪れる。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 8月6日 |
足利義晴が鷹狩に赴く。伊勢貞孝が北白川にて1献を受け、剣を拝領する。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 8月10日 |
小豆坂にて織田信秀と今川義元勢が戦う。 織田信秀勢:織田信秀[大将]、内藤勝介。 |
出典:『享禄以来年代記』(『続群書類従』第29輯下)、『信長公記』(首巻)あづき坂合戦の事 |
天文11年 1542年 8月12日 |
足利義晴が鷹狩に赴く。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 8月17日 |
坂東屋富松与一が礼として貞孝のもとを訪れる。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 8月21日 |
伊勢貞孝が細川晴元のもとを訪れる。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 8月27日 |
御殿普請につき足利義晴が相国寺より石を引く。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 8月28日 |
足利義晴が御殿普請につき庭石を引く。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 8月29日 |
有馬晴純の使僧が礼として足利義晴に引合、緞子を進上する。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 9月1日 |
伊勢貞孝が幕府に出仕する。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 9月3日 |
細川晴元が伊勢貞孝のもとを訪れる。小的あり。その後、座敷にて酒宴あり。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 9月4日 |
淵田新介を有馬晴純のもとへ遣わす。有馬からの礼の返事と、偏諱を与えるため。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 9月6日 |
赤松晴政が尼子家のことについて幕府に報告する。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 9月6日 |
細川晴元が伊勢貞孝に馬を贈る。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 9月9日 |
伊勢貞孝が幕府に出仕する。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 9月13日 |
飯盛山城に十市勢・筒井勢が攻め寄せる |
出典:『多聞院日記』同年月日条 |