天文11年 1542年 閏3月18日 |
蜷川親俊が清水寺に参詣する。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 閏3月19日 |
熊野十穀 海尊が多聞院を訪れる。 |
出典:『多聞院日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 閏3月20日 |
足利義晴が酒宴を催す。細川晴元が参加する。 摂津国、丹波国において不知行地がある者は名乗り出るようにと命じる。 |
出典:『蜷川親俊日記』『大舘常興日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 閏3月20日 |
平澤において武田晴信と村上義清が戦う。 |
出典:『享禄以来年代記』同年月日条(『続群書類従』第29輯下) |
天文11年 1542年 閏3月21日 |
越前国より朝倉孝景のもとに遣わしていた富森左京亮が上洛し、孝景より30000疋を足利義晴に進上するとの報告がなされる。 |
出典:『大舘常興日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 閏3月21日 |
飛鳥井雅綱の蹴鞠会に、細川晴元、細川丹波守、長塩、大井源介、平井、桜井、速水、吉田、蜷川親俊が参加する。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 閏3月22日 |
細川晴元の使者として高畠長直が大坂本願寺に居る本願寺証如のもとに赴く。未刻(13-15時)、長直と証如が対面する。証如は長直を三献をもってもてなす。 |
出典:『天文日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 閏3月23日 |
足利義晴が細川高久を通じて堀普請を命じる。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 閏3月25日 |
結城国縁、杉原晴盛をもって、御供衆の大舘常興、上野与三郎、大舘晴光、吉見右馬頭、大舘兵庫頭、伊勢因幡守、大舘治部大輔、細川晴経、朽木稙綱に、26日の御殿普請につき侍・中間を問わず小者3名を鋤を持たせて提供するようにと足利義晴が命じる。 |
出典:『大舘常興日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 閏3月26日 |
足利義晴が御殿の普請に取り掛かる。庭石をひき、木を植える。作事奉行は結城国縁、杉原晴盛、祐阿。この普請に大舘常興は中間の孫兵衛、又五郎、新五郎を出す。 |
出典:『大舘常興日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 閏3月27日 |
祐金が東大寺戒壇院受戒堂瓦葺きの勧進のため多聞院を訪れる。瓦1枚につき6文を募る。 |
出典:『多聞院日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 閏3月28日 |
大舘晴光邸(万松軒)に近衛稙家、細川晴元、伊勢貞孝が訪れる。酒宴あり。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 4月1日 |
伊勢貞孝が幕府に出仕する。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 4月1日 |
畠山義総より大舘常興のもとに要脚を支出する旨の書状が到来する。 |
出典:『大舘常興日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 4月2日 |
足利義晴の御殿の堀を掘り始める。人足は五十余郷に命じる。 |
出典:『大舘常興日記』同年月3日条 |
天文11年 1542年 4月3日 |
御所の普請を始める。足利義晴自ら普請を見物する。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 4月4日 |
豊後衆が伊勢貞孝のもとへ夕食に訪れる。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 4月4日 |
二本松畠山家より大舘常興のもとへ例年のごとくいりこ10束が届く。 八幡橘本坊が常興のもとを訪れ茶10袋を贈る。 |
出典:『大舘常興日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 4月6日 |
伊勢貞孝が足利義晴の御所の堀10間の普請を白川郷、東梅津村、深草村に命じる。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 4月7日 |
真如堂にて開帳円頓戒が催される。戒師は知恩院長老。後柏原院の17回忌につき青蓮院尊鎮が真如堂を訪れる。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 4月13日 |
足利義晴が方違えとして相国寺に赴く。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 4月14日 |
赤松晴政が上洛し足利義晴に礼をする。太刀、馬代を進上する。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 4月14日 |
足利義晴の使者として大舘晴光が醍醐寺三宝院門跡のもとに赴く。 |
出典:『大舘常興日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 4月15日 |
母の家の裏小屋が焼失する。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 4月16日 |
大舘晴光が自身の宿所である「ししう院」に父・常興の来訪を促す。常興より19日が吉日であるので当日に赴くとの返答がある。 |
出典:『大舘常興日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 4月18日 |
堺御坊の見物のため堺に赴く。 |
出典:『天文日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 4月19日 |
足利義晴が方違えとして相国寺に赴く。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 4月19日 |
大舘晴光の宿所「ししう院」に父・常興が訪れる。 |
出典:『大舘常興日記』同年月日・16日条 |
天文11年 1542年 4月20日 |
三好宗三、波多野秀忠が宇津城(丹波国)を攻める。しかし、落とすことができず開陣する。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 4月24日 |
蜷川親俊が清水寺に参詣する。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |