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事項 |
出典 |
享禄5年 | 1532 | 5 | 19 | 畠山義堯が木沢長政の飯盛山城(河内国)を攻める。 | 『細川両家記』 |
享禄5年 | 1532 | 6 | 15 | 畠山義堯が木沢長政の籠る飯盛山城(河内国)を攻撃していたところ、細川晴元が長政を救援すべく、本願寺証如に門徒の動員を依頼する。証如は30000の門徒勢を動員し飯盛山城の後詰に赴かせ畠山勢を破る。義堯は石川の道場にて自害する。 | 『細川両家記』 |
天文10年 | 1541 | 10 | 8 | 本願寺証如が飯盛山城(河内国)にいる木沢長政に、摂津への軍勢派遣につき、音信として書状と3種5荷を贈る。 | 『天文日記』同年月日・9日条 |
天文11年 | 1542 | 3 | 17 | 木沢長政が信貴山城(大和国)・二上・飯盛山城(河内国)の軍勢5000をもって遊佐長教が籠る高屋城(河内国)を攻める。これを受け、細川晴元、三好長慶、三好政長、六角定頼が出陣する。太平寺の合戦で、細川・三好・遊佐・六角と長政と戦い、細川等が勝利し、長政は戦死する。 合戦後、信貴山城が焼失する。 | 『厳助往年記』同年月日条、『天文日記』同年月日条、『蜷川親俊日記』同年月18・19日条、『惟房公記』同年月日18日条 |
天文11年 | 1542 | 9 | 13 | 飯盛山城に十市勢・筒井勢が攻め寄せる | 『多聞院日記』同年月日条 |
永禄2年 | 1559 | 8 | 1 | 三好長慶、畠山高政が安見宗房の籠る高屋城(河内国)に攻め入り城下を放火する。宗房が飯盛山城に撤退したため、長慶、高政は高屋城に入城する。 | 『足利季世記』巻5「細川氏綱淀城入事」 |
永禄2年 | 1559 | 8 | 4 | 安見宗房が飯盛山城(河内国)より大和国に逃亡する。 | 『足利季世記』巻5「細川氏綱淀城入事」 |
永禄3年 | 1560 | 4 | 8 | 洲本(淡路国)にて、不和となっていた三好長慶と三好之虎が会見する。之虎は出家し物外軒実休と号す。 | 『足利季世記』巻5「長慶任修理大夫事」 |
永禄3年 | 1560 | 10 | 8 | 畠山高政の籠る飯盛山城(河内国)の後詰として香西元成、山中新左衛門、木沢新太郎が杉山口(山城国)に遣わされるが三好長慶勢に敗れる。 | 『足利季世記』巻5「松永弾正和州平均之事」 |
永禄3年 | 1560 | 10 | 24 | 飯盛山城(河内国)の安見宗房が城を三好長慶に明け渡し堺に逃れる。 高屋城(河内国)の畠山高政・遊佐信教が城を長慶に明け渡し堺に逃れる。 | 『足利季世記』巻5「松永弾正和州平均之事」 |
永禄3年 | 1560 | 11 | 13 | 飯盛山城(河内国)に入城する。 三好実休が高屋城(河内国)に入城する。 | 『足利季世記』巻5「松永弾正和州平均之事」 |
永禄5年 | 1562 | 3 | 5 | 久米田(河内国)にて畠山高政・安見宗房・遊佐信教・根来寺衆と三好実休が戦い、実休が戦死する。実休の辞世「草からす 霜又今朝ノ 日に消て 報の程は 終にのかれず」。 この戦いにより高屋城(河内国)が落ちるとともに、三好長慶の居城・飯盛山城を除く河内国の三好方の諸城が畠山高政方に靡く。 | 『厳助往年記』同年月6日条、『足利季世記』巻6「久米田合戦之事」 |
永禄5年 | 1562 | 3 | 6 | 三好実休が戦死したため、安宅冬康は在番していた岸和田城(和泉国)を放棄する。同城は畠山高政の支配下となる。 足利義輝が慶寿院とともに八幡(山城国)に移る。 六角義賢が勝軍地蔵城(山城国)から清水坂に陣を移す。 三好長慶は山崎(山城国)に撤退する。 | 『足利季世記』巻6「久米田合戦之事」 |
永禄7年 | 1564 | 5 | 9 | 三好長慶が飯盛山城(河内国)にて弟・安宅冬康を呼び出し、冬康を自害させる。 | 『言継卿記』永禄同年月10日条、『足利季世記』巻6「冬康生害之事」 |
永禄7年 | 1564 | 7 | 24 | 三好長慶が死去する。養子・義継が幼齢であるとして長慶の死は秘匿される。 | 『足利季世記』巻6「冬康生害之事」 |
永禄8年 | 1565 | 11 | 16 | 夕方、三好長逸、三好宗渭、岩成友通が飯盛山城(河内国)を攻め、長勝軒、金山駿河守を討ち取る。三好義継に松永久秀と手切れするよう訴える。 | 『多聞院日記』同年月日条 |
永禄9年 | 1566 | 6 | 11 | 足利義栄の先陣として、篠原長房率いる軍勢25000が兵庫(摂津)に到着する。 | 『陰徳太平記』巻41「阿波公方義栄摂州御渡海之事」 |
永禄9年 | 1566 | 6 | 23 | 篠原長房が越水城(摂津国)を攻める。 | 『陰徳太平記』巻41「阿波公方義栄摂州御渡海之事」 |
永禄9年 | 1566 | 7 | 13 | 篠原長房が越水城(摂津国)を落とす。 | 『陰徳太平記』巻41「阿波公方義栄摂州御渡海之事」 |
永禄9年 | 1566 | 9 | 23 | 足利義栄が越水城(摂津国)に入城する。 | 『陰徳太平記』巻41「阿波公方義栄摂州御渡海之事」 |
永禄10年 | 1567 | 8 | 23 | 飯盛山城(河内国)の松山安芸守が、三好長逸、三好宗渭、岩成友通方から松永久秀に寝返り、河内国の各所を焼く。 | 『言継卿記』同年月25日条 |
永禄10年 | 1567 | 9 | 5 | 三好長逸、三好宗渭、岩成友通、篠原長房が飯盛山城(河内国)に降伏するよう交渉する。 | 『多聞院日記』同年月6日条 |
永禄10年 | 1567 | 9 | 6 | 飯盛山城(河内国)が三好長逸、三好宗渭、岩成友通、篠原長房に降伏すると報告がある。 | 『多聞院日記』同年月日条 |
永禄10年 | 1567 | 9 | 22 | 田原の坂上氏が松永久通に寝返る。 松永久秀が飯盛山城(河内国)に軍勢500を入れる。 | 『多聞院日記』同年月日条 |
永禄10年 | 1567 | 10 | 21 | 飯盛山城(河内国)に籠城していた松山安芸守と山口が堺に逃亡する。同城は三好長逸と篠原長房が請け取り入城する。 | 『多聞院日記』同年月日条 |
永禄11年 | 1568 | 10 | 8 | 三好義継の入った飯盛山城(河内国)に久秀も入る。 夕方、筒井順慶が筒井平城(大和国)を放棄する。 | 『多聞院日記』同年月9日条 |
永禄11年 | 1568 | 11 | 17 | 竹内秀勝が飯盛山城(河内国)に入る。 | 『多聞院日記』同年月日条 |