天文11年 1542年 12月23日 |
足利菊童丸が参内する。供は細川右馬、ワカサノ一兎、細川晴経、上野与三郎、伊勢貞孝、緑阿、奉行衆の諏訪晴長、松田八郎左衛門尉、御走衆の飯川能登守、彦部、沼田、飯川彦九郎、宇治大路、水主。 本願寺証如より歳暮の礼として太刀が贈られる。使者は円山。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 12月24日 |
和泉国の松浦氏が伊勢貞孝のもとへ礼に訪れる。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 12月25日 |
蜷川親俊が北野社に参詣する。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 12月26日 |
栂野田中坊が恒例の巻数1朶、薪1荷を伊勢貞孝に贈る。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 -月-日 |
土岐頼芸が本願寺証如に返書を送る。使者は西円寺。 |
出典:『天文日記』同年月日条 |
天文11年 1542年 -月-日 |
子・輔房が生まれる。 |
出典:『系図纂要』「万里小路」 |
天文11年 1542年 -月-日 |
孫・輔房が生まれる。 |
出典:『系図纂要』「万里小路」 |
天文12年 1543年 -月-日 |
中御門宣政が生まれる。 |
出典:『系図纂要』「中御門」 |
天文12年 1543年 -月-日 |
河田長親が近江国にて生まれる。 |
出典:- |
天文12年 1543年 -月-日 |
伊木忠次が尾張国にて生まれる。 |
出典:- |
天文12年 1543年 -月-日 |
一条兼定が生まれる。 |
出典:- |
天文12年 1543年 -月-日 |
滝川雄利が伊勢国一志郡木造にて生まれる。 |
出典:- |
天文12年 1543年 -月-日 |
小倉実明が生まれる。 *『寛政重修諸家譜』巻第398「小倉正庵」の項にみえる没年・享年記載より逆算。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第398「小倉正庵」の項 |
天文12年 1543年 1月6日 |
辰半刻(8時)、顕如が生まれる。 |
出典:『天文日記』同年月日、『大谷嫡流実記』「顕如」の項 |
天文12年 1543年 1月6日 |
辰半刻(8時)、子・顕如が生まれる。 |
出典:『大谷嫡流実記』「顕如」の項 |
天文12年 1543年 1月8日 |
子・久通が生まれる。 |
出典:- |
天文12年 1543年 1月8日 |
松永久通が生まれる。 |
出典:- |
天文12年 1543年 1月21日 |
大内義隆が畦地山(出雲国)に本陣を置く。 |
出典:『陰徳太平記』巻13「富田菅谷蓮池合戦之事」 |
天文12年 1543年 2月2日 |
久我通言が死去する。 |
出典:『系図纂要』「久我」 |
天文12年 1543年 2月12日 |
大内義隆が椋羅木山(出雲国)に本陣を移し、陶隆房が経塚(出雲国)に陣を置く。 |
出典:『陰徳太平記』巻13「富田菅谷蓮池合戦之事」 |
天文12年 1543年 2月14日 |
奈良(大和国)にて織田信秀が内裏4面の築地の蓋を修理して進上したと噂される。修理に要した費用は4000貫という。 |
出典:『多聞院日記』同年月日条 |
天文12年 1543年 3月25日 |
備中権守となる。 |
出典:『公卿補任』天文14年 |
天文12年 1543年 5月4日 |
篠原長房が四国より上洛する。 |
出典:『天文日記』同年月日条 |
天文12年 1543年 5月7日 |
大内義隆が椋羅木山(出雲国)の本陣を払い、湯谷より船にて山口(周防国)に撤退せんとする。義隆の養子・晴持が海路にて周防国に帰国する最中、船が転覆して溺死する。 |
出典:『陰徳太平記』巻14「大内義隆朝臣殿軍付晴持最後之事」、『大内義隆記』(米原正義校注『第二期 戦国史料叢書 7 中国史料集』人物往来社、1966年 所収) |
天文12年 1543年 5月8日 |
右近衛大将に任官。 |
出典:『系図纂要』「二条家」 |
天文12年 1543年 5月9日 |
鳶巣川(出雲国)にて尼子晴久勢と小早川正平が戦い、正平が戦死する。 |
出典:『陰徳太平記』巻第14「小早川正平討死之事」 |
天文12年 1543年 5月16日 |
大舘晴光が大慈光院(岡御所)に寄進した今出川北小路西南頬の敷地について、大慈光院雑掌に敷地の領有を認める室町幕府奉行人連署奉書が発給される。 |
出典:天文12年5月16日付室町幕府奉行人連署奉書(「曇花院殿古文書」『室摩幕府文書集成 奉行人奉書篇 下』3527号) |
天文12年 1543年 -月-日 |
平手政秀が禁裏御修理料を進納するため上洛する。 |
出典:『天文日記』同年5月17日条 |
天文12年 1543年 5月17日 |
平手政秀が大坂本願寺を訪れ本願寺証如に礼をする。証如は肴をもって一献と湯漬で対面して応対する。理由は、政秀が尾張において門徒衆に「悪勢者」であるからという。 |
出典:『天文日記』同年月日条 |
天文12年 1543年 5月26日 |
本願寺証如の子・顕如の誕生を祝う細川晴元の使者として高畠長直が大坂本願寺に訪れる。証如は長直を三献をもってもてなす。 |
出典:『天文日記』同年月日条 |