人 物 史

池田長政 いけだ ながまさ
生 没 年天正3年(1575)-慶長12年(1607)7/20
出 身尾張国犬山幼 名
別 称橘左衛門、勝俊
法 名-
戒 名-
池田恒興善応院(荒尾善次の娘)
兄 弟 姉 妹池田元助、せん、池田輝政池田長吉池田長政、若政所、女(浅野幸長の妻)、女(織田勝正の妻)
配 偶 者加藤嘉明の娘
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官 位河内守
役 職-
城 郭赤穂城(播磨国)
参 考 文 献○『寛政重修諸家譜』巻第263「池田長政」の項
関 連 デ ー タ-
池田長政 年表
天正3年 1575年 -月-日 1歳
池田長政が尾張国犬山にて生まれる。
出典:-

天正12年 1584年 4月9日 10歳
池田勝入斎池田元助森長可丹羽氏重の籠る岩崎城(尾張国)を攻め、同城を落とす。氏重は戦死する。
小牧・長久手にて、織田信雄徳川家康羽柴秀次・勝入斎・元助・長可・堀秀政を襲撃する。秀次勢は敗走し、勝入斎・元助・長可が戦死する。
羽柴秀次勢:秀次、恒興(戦死)、元助(戦死)、長可(戦死)、秀政。
徳川家康勢:榊原康政大須賀康高、本多康重、丹羽氏次酒井重忠永井直勝(池田勝入斎討取)、渥美友重(首級2)、駒井昌長折井次昌[岡本彦次郎討取]、野呂守景、秋鹿朝矩(戦死)、加藤正次酒井忠次[小牧山本陣留守居衆]、石川数正[小牧山本陣留守居衆]
勝入斎戦死の報を受け、豊臣秀吉は楽田(尾張国)を出撃するも、信雄・家康勢は小幡要害に籠ったため、楽田に引き返す。
出典:『豊鑑』巻2、『宇野主水記』同年月日条、『寛政重修諸家譜』巻第59「酒井重忠」の項、同巻第85「丹羽氏次」の項、同巻第100「榊原康政」の項、同巻第157「駒井昌長」の項、同961「渥美友重」の項、同777「加藤正次」の項、同965「秋鹿朝矩」の項、同1153「野呂守景」の項

文禄1年 1592年 12月8日 18歳
「天正」より「文禄」に年号が改まる。
出典:-

慶長1年 1596年 10月27日 22歳
「文禄」より「慶長」に元号が改まる。
出典:-

慶長12年 1607年 7月20日 33歳
池田長政が死去する。
出典:-

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