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寛政重修諸家譜 索引(製作中)
史料にみえる人物の呼称
石高から軍役算出
軍役から石高算出
城 郭 史
岩崎城(尾張国)
いわさきじょう
築 城 年
-
築 城 者
-
改 築 年
-
改 築 者
-
廃 城 年
-
別 称
-
現 所 在 地
〒470-0131
愛知県日進市岩崎町市場67
史 料 地 名
-
参 考 文 献
-
関 連 デ ー タ
-
リ ン ク
丹羽氏識
、
丹羽氏勝
、
丹羽氏次
岩崎城(尾張国) 年表
明応6年 1497年 -月-日
丹羽氏識
が生まれる。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第85「丹羽氏識」の項
大永3年 1523年 -月-日
丹羽氏勝
が生まれる。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第85「丹羽氏勝」の項
天文19年 1550年 -月-日
丹羽氏次
が尾張国岩崎にて生まれる。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第85「丹羽氏次」の項
天文20年 1551年 -月-日
横山(尾張国)にて
織田信長
と
丹羽氏識
・
氏勝
父子が戦い氏識・氏勝父子が勝利する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第85「丹羽氏識」の項
永禄3年 1560年 5月19日
桶狭間にて
織田信長
が
今川義元
を襲撃し、義元が戦死する。義元は毛利良勝が討ち取る。
織田信長勢:
森可成
、
前田利家
。
今川義元勢:
松平宗次
(戦死)、鈴木重村。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第16「松平宗次」の項、同126「森可成」の項、同1154「鈴木重村」の項
永禄8年 1565年 6月19日
丹羽氏識
が死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第85「丹羽氏識」の項
天正10年 1582年 6月2日
本能寺
に宿泊中の
織田信長
を、早朝、
明智光秀
が襲撃する。信長は自害する。また、光秀は二条殿に籠城する
織田信忠
とその小姓勢を討ち取る。
信長勢:
森成利
(戦死)、
福富秀勝
(戦死)、
野々村正成
(戦死)。
信忠勢:
村井貞勝
(戦死)、
菅屋長頼
(戦死)、
織田信房
(戦死)、
団忠正
(戦死)。
出典:『多聞院日記』同年月日・3日条
天正12年 1584年 4月9日
池田勝入斎
・
池田元助
・
森長可
が
丹羽氏重
の籠る
岩崎城
(尾張国)を攻め、同城を落とす。氏重は戦死する。
小牧・長久手にて、
織田信雄
・
徳川家康
が
羽柴秀次
・勝入斎・元助・長可・
堀秀政
を襲撃する。秀次勢は敗走し、勝入斎・元助・長可が戦死する。
羽柴秀次勢:秀次、恒興(戦死)、元助(戦死)、長可(戦死)、秀政。
徳川家康勢:
榊原康政
、
大須賀康高
、本多康重、
丹羽氏次
、
酒井重忠
、
永井直勝
(池田勝入斎討取)、
渥美友重
(首級2)、
駒井昌長
、
折井次昌
[岡本彦次郎討取]、
野呂守景
、秋鹿朝矩(戦死)、
加藤正次
、
酒井忠次
[小牧山本陣留守居衆]、
石川数正
[小牧山本陣留守居衆]
勝入斎戦死の報を受け、
豊臣秀吉
は楽田(尾張国)を出撃するも、信雄・家康勢は小幡要害に籠ったため、楽田に引き返す。
出典:『豊鑑』巻2、『宇野主水記』同年月日条、『寛政重修諸家譜』巻第59「酒井重忠」の項、同巻第85「丹羽氏次」の項、同巻第100「榊原康政」の項、同巻第157「駒井昌長」の項、同961「渥美友重」の項、同777「加藤正次」の項、同965「秋鹿朝矩」の項、同1153「野呂守景」の項
慶長5年 1600年 9月15日
関ヶ原の合戦で
徳川家康
と
石田三成
が戦い、家康が勝利する。
家康が岡山に、三成が笹尾山に本陣を置く。
黒田長政
・
加藤嘉明
・
細川忠興
・
金森長近
が
石田三成
と、
福島正則
・
松平忠吉
・
井伊直政
が
宇喜多秀家
・
小西行長
と、
藤堂高虎
が
大谷吉継
と戦い、
池田輝政
・
浅野幸長
が南宮山の
毛利秀元
・
吉川広家
・
安国寺恵瓊
・
長束正家
・
長宗我部盛親
と対峙する。戦中、
小早川秀秋
が寝返り、
大谷吉継
勢を襲撃し、石田勢が総崩れとなる。三成は伊吹山方面に逃走する。
島津義弘
・
島津豊久
は伊勢路からの撤退を企て、
井伊直政
の追撃を受けるも豊久が殿をつとめ、直政を鉄砲にて逆襲し負傷させ、戦場を離脱する。
徳川家康勢:徳川家康[総大将]、井伊直政、本多忠勝、黒田長政、加藤嘉明、細川忠興、金森長近、福島正則、松平忠吉、井伊直政、藤堂高虎、池田輝政、浅野幸長、
酒井重忠
[徳川家康勢]、松平定友[徳川家康勢]、
松平康安
[徳川家康勢]、
小栗忠政
[徳川家康勢]、
花房職秀
[徳川家康勢]、
油川信貞
[徳川家康勢]、
三枝守英
[徳川家康勢]、
岩瀬氏与
[徳川家康勢・使番]、
鈴木重次
[徳川家康勢]、
鈴木信光
[徳川家康勢 御使番]、
森可澄
[徳川家康勢]、
加藤正次
[徳川家康勢]、
酒依昌吉
[徳川家康勢]、
小倉吉正
[水野重央勢]、
黒田一成
[黒田長政勢]、菅正利[黒田長政勢]、菅正辰[黒田長政勢]、
藤堂高刑
[藤堂高虎勢]、
池田利隆
[池田輝政勢]、
池田長吉
[池田輝政勢]、
伊木忠次
[池田輝政勢]、
森可政
[有馬則頼勢]。
石田三成勢:石田三成[総大将]、島津義弘、島津豊久(戦死)、宇喜多秀家、小西行長、大谷吉継(戦死)、平塚為広(戦死)、毛利秀元、吉川広家、安国寺恵瓊、長束正家、長宗我部盛親、
川尻秀長
(戦死)、
島清興
[石田三成勢](戦死)、
大谷吉治
[大谷吉継勢]、
湯浅隆貞
[大谷吉継勢](戦死)、
福留政親
[長宗我部盛親勢]。
出典:『関原始末記』、『寛政重修諸家譜』巻第26「松平康安」の項、同45「小栗忠政」の項、同54「松平定友」の項、同59「酒井重忠」の項、同89「花房職之」の項、同127「森可澄」の項、同147「油川信貞」の項、同398「小倉吉次」の項、同963「岩瀬氏与」の項、同1154「鈴木重次」の項、同1156「鈴木信光」の項、『
福富半右衛門親政法名浄安覚書
』、『
菅氏世譜
』
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