人 物 史

土御門久脩 つちみかど ひさなが
生 没 年永禄3年(1560)-寛永2年(1625)1/18
出 身-幼 名-
別 称勘解由小路在綱
法 名-
戒 名-
土御門有脩-
兄 弟 姉 妹土御門久脩、女(勧修寺晴豊の妻)
配 偶 者三淵晴員の娘
土御門泰重、倉橋泰吉、五辻斉仲
官 位参議、陰陽頭、左衛門佐
氏 族 門 流-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ史料にみえる土御門久脩の呼称
土御門久脩 年表
永禄3年 1560年 -月-日 1歳
土御門久脩が生まれる。
出典:-

元亀1年 1570年 4月23日 11歳
「永禄」より「元亀」に年号が改まる。
出典:-

天正1年 1573年 7月28日 14歳
「元亀」より「天正」に年号が改まる。
出典:-

天正10年 1582年 6月2日 23歳
本能寺に宿泊中の織田信長を、早朝、明智光秀が襲撃する。信長は自害する。また、光秀は二条殿に籠城する織田信忠とその小姓勢を討ち取る。
信長勢:森成利(戦死)、福富秀勝(戦死)、野々村正成(戦死)。
信忠勢:村井貞勝(戦死)、菅屋長頼(戦死)、織田信房(戦死)、団忠正(戦死)。
出典:『多聞院日記』同年月日・3日条

文禄1年 1592年 12月8日 33歳
「天正」より「文禄」に年号が改まる。
出典:-

文禄2年 1593年 2月6日 34歳
正親町上皇が崩御する。
出典:-

慶長1年 1596年 10月27日 37歳
「文禄」より「慶長」に元号が改まる。
出典:-

慶長8年 1603年 2月12日 44歳
朝廷にて徳川家康の征夷大将軍就任および右大臣転任についての陣儀が行われる。家康を淳和奨学院別当、源氏長者、牛車兵杖等に宣下することに決まる。陣儀の上卿が伏見の家康邸に赴き、家康に征夷大将軍就任の旨を言い渡し、家康が征夷大将軍となる。
池田輝政が右近衛少将に、板倉勝重が従五位下・伊賀守に叙位・任官。
出典:『慶長日件録』同年月日条、『当代記』巻3同年月日条

慶長10年 1605年 4月16日 46歳
徳川秀忠が征夷大将軍宣下を受ける。
板倉重宗が従五位下・周防守に叙位・任官。
出典:『義演准后日記』同年月日条、『寛政重修諸家譜』巻第81「板倉重宗」の項

慶長17年 1612年 5月4日 53歳
日野唯心水無瀬一斎土御門久脩飛鳥井雅庸冷泉為満舟橋秀賢が駿府(駿河国)に到着する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長17年 1612年 5月5日 53歳
日野唯心水無瀬一斎土御門久脩飛鳥井雅庸冷泉為満舟橋秀賢駿府城(駿河国)に居る徳川家康と対面し雑談する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長17年 1612年 5月8日 53歳
日野唯心水無瀬一斎土御門久脩飛鳥井雅庸冷泉為満舟橋秀賢駿府城(駿河国)に居る徳川家康に出仕する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長17年 1612年 6月1日 53歳
巳刻(9-11時)、日野唯心水無瀬一斎土御門久脩冷泉為満舟橋秀賢駿府城(駿河国)在府中の武士が徳川家康に出仕する。家康は各々に富士山の氷を賜う。
出典:『駿府記』同年月日条

元和1年 1615年 7月13日 56歳
「慶長」より「元和」に年号が改まる。
出典:『駿府記』同年月日条

元和2年 1616年 4月17日 57歳
徳川家康が死去する。
出典:-

元和3年 1617年 9月25日 58歳
後陽成上皇が崩御する。
出典:-

寛永1年 1624年 2月30日 65歳
「元和」より「寛永」に年号が改まる。
出典:-

寛永2年 1625年 1月18日 66歳
土御門久脩が死去する。
出典:-

人物リストに戻る

Copyright(c)Kudo Katsuhiro All Rights Reserved.