人 物 史

松平康俊 まつだいら やすとし
生 没 年天文21年(1552)-天正14年(1586)4/2
出 身-幼 名-
別 称源三郎、勝俊
法 名澄清
戒 名-
久松俊勝於大の方(水野忠政の娘)
兄 弟 姉 妹松平康元松平康俊松平定勝
配 偶 者大村越前守の娘
娘(松平勝政の妻)、松平勝政[養子](水野忠分の子)
官 位-
役 職-
城 郭久能城(駿河国)
参 考 文 献○『寛政重修諸家譜』巻第53「松平勝俊」の項
関 連 デ ー タ-
松平康俊 年表
天文21年 1552年 -月-日 1歳
松平康俊が生まれる。
『寛政重修諸家譜』巻53「松平康俊」の項にみえる没年・享年より逆算。
出典:『寛政重修諸家譜』巻53「松平康俊」の項

弘治1年 1555年 10月23日 4歳
「天文」より「弘治」に年号が改まる。
出典:-

弘治4年 1558年 2月28日 7歳
「弘治」より「永禄」に年号が改まる。
出典:-

永禄3年 1560年 -月-日 9歳
弟・定勝が尾張国知多郡阿久比にて生まれる。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第54「松平定勝」の項

永禄3年 1560年 3月-日 9歳
松平元康が阿古居(尾張国)の久松俊勝邸に赴く。俊勝の子・康元康俊定勝が異父兄の元康に初めて謁す。元康は異父弟の3人を兄弟として遇し、松平を名乗るように言い渡す。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第52「松平康元」の項、同巻第54「松平定勝」の項

永禄3年 1560年 5月19日 9歳
桶狭間にて織田信長今川義元を襲撃し、義元が戦死する。義元は毛利良勝が討ち取る。
織田信長勢:森可成前田利家
今川義元勢:松平宗次(戦死)、鈴木重村。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第16「松平宗次」の項、同126「森可成」の項、同1154「鈴木重村」の項

永禄6年 1563年 -月-日 12歳
今川氏真への松平元康の人質として松平康俊駿府城(駿河国)に赴く。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第53「松平康俊」の項

永禄11年 1568年 -月-日 17歳
武田信玄の駿河国侵攻にともない、今川氏真への徳川家康の人質となっていた松平康俊が三浦与一郎に連れられ甲斐国に赴く。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第53「松平康俊」の項

元亀1年 1570年 4月23日 19歳
「永禄」より「元亀」に年号が改まる。
出典:-

元亀1年 1570年 11月-日 19歳
人質として甲斐国に居た松平康俊が甲斐国を脱し、三河国に帰国する。逃走時、凍傷により足の指を失う。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第53「松平康俊」の項

天正1年 1573年 7月28日 22歳
「元亀」より「天正」に年号が改まる。
出典:-

天正10年 1582年 6月2日 31歳
本能寺に宿泊中の織田信長を、早朝、明智光秀が襲撃する。信長は自害する。また、光秀は二条殿に籠城する織田信忠とその小姓勢を討ち取る。
信長勢:森成利(戦死)、福富秀勝(戦死)、野々村正成(戦死)。
信忠勢:村井貞勝(戦死)、菅屋長頼(戦死)、織田信房(戦死)。
出典:『多聞院日記』同年月日・3日条

天正14年 1586年 4月2日 35歳
松平康俊が死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第53「松平康俊」の項

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