天文15年 1546年 2月17日 |
本願寺証如が三好長慶とその被官・塩田に当年の樽を遣わす。 |
出典:『天文日記』同年月日条 |
天文15年 1546年 2月18日 |
本願寺証如が遊佐長教と走井に当春の礼として音信を遣わす。使者は麻生与一。 |
出典:『天文日記』同年月日条 |
天文15年 1546年 2月19日 |
三好長慶とその被官・塩田が2月17日の音信の返しとして本願寺証如に太刀を送る。 |
出典:『天文日記』同年月日条 |
天文15年 1546年 2月24日 |
遊佐長教と走井が2月18日の本願寺証如の音信の返しとして書状と太刀を贈る。使者は滝野二郎兵衛(遊佐長教与力)で、証如は対面をし、綱所で酒をすすめる。 郡上安養寺の門徒・赤谷宗左衛門が本願寺証如に斎を調進する。順興寺実従、常住衆、卅日番衆、安養寺、赤谷宗左衛門が相伴する。 |
出典:『天文日記』同年月日条 |
天文15年 1546年 2月24日 |
遊佐長教と走井が2月18日の本願寺証如の音信の返しとして書状と太刀を贈る。使者は滝野二郎兵衛(遊佐長教与力)で、証如は対面をし、綱所で酒をすすめる。 |
出典:『天文日記』同年月日条 |
天文15年 1546年 2月25日 |
大坂本願寺寺内町に住む八尾明顕の門徒・荒川屋四郎衛門が本願寺証如に斎を調進する。順興寺実従、興正寺、常住衆、卅日番衆、明顕、荒川四郎衛門が相伴する。 |
出典:『天文日記』同年月日条 |
天文15年 1546年 3月10日 |
龍造寺家兼が死去する。 |
出典:『豊薩軍記』巻3「龍造寺蜂起之事」 |
天文15年 1546年 3月13日 |
右大臣に就任する。 |
出典:『系図纂要』「二条家」 |
天文15年 1546年 3月13日 |
内大臣となる。 |
出典:『系図纂要』「万里小路」 |
天文15年 1546年 3月15日 |
松平広忠が松平信重に三河国東端郷内長福寺領を給付する。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第41「松平信重」の項 |
天文15年 1546年 3月24日 |
権中納言となる。 |
出典:『系図纂要』「中御門」 |
天文15年 1546年 3月24日 |
兵部卿となる。 |
出典:『系図纂要』「広橋」 |
天文15年 1546年 3月-日 |
誓願寺で棟上が行われる。 |
出典:『厳助大僧正記』同年月条 |
天文15年 1546年 4月1日 |
北条氏康が上杉憲政に包囲されている川越城(武蔵国)を救援すべく、軍勢8000を率い小田原城(相模国)を発ち、砂窪(武蔵国)に着陣する。 |
出典:『関八州古戦録』巻1「北条氏康河越城後詰付夜軍ノ事」 |
天文15年 1546年 4月12日 |
鷹司忠冬が死去。忠冬の死により鷹司家が一旦断絶する。 |
出典:『系図纂要』「鷹司家」 |
天文15年 1546年 4月20日 |
大坂本願寺の阿弥陀堂前の四足門が立つ。 |
出典:『天文日記』同年月日条 |
天文15年 1546年 4月20日 |
北条氏康が川越城(武蔵国)を包囲する上杉憲政・上杉朝定・足利晴氏の陣を夜襲し、勝利する。朝定が戦死し、憲政は平井城(上野国)に撤退する。上杉勢は難波田憲重が戦死する。 |
出典:『関八州古戦録』巻1「北条氏康河越城後詰付夜軍ノ事」 |
天文15年 1546年 4月-日 |
高倉範久が死去する。 |
出典:『厳助往年記 上』同年月条 |
天文15年 1546年 6月28日 |
橋津川(伯耆国)にて尼子国久・豊久父子と武田国信・行松正盛・長田重直・南条元清・小森久綱が戦い、国久が勝利する。尼子勢は豊久が、武田等勢は国信が戦死する。 |
出典:『陰徳太平記』巻第11「橋津川合戦付尼子兵部太輔戦死並武田山城守最後之事」 |
天文15年 1546年 7月27日 |
足利菊童丸が爵を受け義藤と名乗る。 |
出典:『厳助往年記』同年月日条 |
天文15年 1546年 7月27日 |
子・菊童丸が爵を受け義藤と名乗る。 |
出典:『厳助往年記』同年月日条 |
天文15年 1546年 8月10日 |
細川晴元が8/6に日本にやってきた唐人(29名程度)の礼を受ける。 |
出典:『厳助大僧正記』同年同月日条(『史籍集覧』25 近代デジタルライブラリー コマ番号178-208) |
天文15年 1546年 8月13日 |
右衛門督となる。 |
出典:『系図纂要』「冷泉」 |
天文15年 1546年 8月15日 |
長連龍が生まれる。 |
出典:- |
天文15年 1546年 8月15日 |
大内義隆の命により乃美四郎が中途城(伊予国)を攻める。 |
出典:天文15年9月13日付大内氏家臣連署奉書(『戦国遺文』瀬戸内水軍編57号「山野井文書」) |
天文15年 1546年 8月20日 |
十市遠勝が竹内城(大和国)を攻めるも敗れる。南平三、坂市介(安芸国住人、城作り)、竹田与六が討死する。 |
出典:『多聞院日記』同年月21日条 |
天文15年 1546年 8月21日 |
細川氏綱の合力として、筒井順昭が龍田城(大和国)に出陣する。 |
出典:『多聞院日記』同年月日条 |
天文15年 1546年 9月5日 |
本願寺証如が中島(摂津国)に在陣中の三好長慶、安宅神太郎(冬康)、十河孫六郎、三好政長に音信として3種3荷を贈る。使者は芝田宗九郎。 |
出典:『天文日記』同年月日条 |
天文15年 1546年 9月11日 |
三好長慶が池田城(摂津国)を攻める。 |
出典:『私心記』同年月日条 |
天文15年 1546年 9月21日 |
筒井順昭が病を患う。「もかさ之煩」であるという。 |
出典:『多聞院日記』同年月日条 |