和暦 |
西暦 |
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年齢 |
事項 |
出典 |
永禄8年 | 1565 | 10 | 25 | 1 | 鷹司信房が生まれる。 | 『系図纂要』「鷹司家」 |
天正7年 | 1579 | 4 | 29 | 15 | 父・二条晴良が死去する。 | 『系図纂要』「二条家」 |
天正7年 | 1579 | 11 | 22 | 15 | 鷹司信房が元服する。正五位下に叙される。 誠仁親王の二条御新造への移徙に際し、二条御新造に先入りする。 | 『多聞院日記』同年月日条、『公卿補任』、『歴名土代』 |
天正7年 | 1579 | 11 | 24 | 15 | 右近衛少将に任官。 | 『公卿補任』 |
天正8年 | 1580 | 1 | 28 | 16 | 従四位下に叙される。 | 『公卿補任』 |
天正8年 | 1580 | 3 | 7 | 16 | 右近衛中将に任官。 | 『公卿補任』 |
天正8年 | 1580 | - | - | 16 | 従四位上に叙される。 | 『公卿補任』 |
天正9年 | 1581 | 1 | 6 | 17 | 従三位に叙される。 | 『公卿補任』 |
天正9年 | 1581 | 4 | 17 | 17 | 権中納言に任官。 | 『系図纂要』「鷹司家」 |
天正10年 | 1582 | 1 | 6 | 18 | 権大納言に任官。 | 『系図纂要』「鷹司家」 |
天正10年 | 1582 | 7 | 20 | 18 | 正三位に叙される。 | 『公卿補任』 |
天正10年 | 1582 | 11 | 29 | 18 | 鷹司信房が密かに奈良(大和国)に下向する。 | 『多聞院日記』同年月日条 |
天正11年 | 1583 | 6 | - | 19 | 従二位に叙される。 | 『公卿補任』 |
天正13年 | 1585 | 7 | 11 | 21 | 羽柴秀吉への関白宣下が行われる。 | 『兼見卿記』同年月日条 |
天正16年 | 1588 | 1 | 13 | 24 | 左近衛大将に任官。 | 『系図纂要』「鷹司家」 |
天正16年 | 1588 | 4 | 14 | 24 | 後陽成天皇が聚楽第(山城国)に行幸する。秀吉の前駈(右列)に石田三成、大谷吉継、片桐且元が、前駈(左列)に増田長盛、加藤嘉明が供をする。秀吉に続き、織田信包、織田長益、前田利家、蒲生氏郷、長宗我部元親、蜂屋頼隆、細川忠興が、鳳輦についで織田信雄、徳川家康、豊臣秀次、豊臣秀長、近衛信輔、烏丸光宣、持明院基孝、東坊城盛長、広橋兼勝が、近衛大将の左として鷹司信房が供奉する。 | 『多聞院日記』同年5月4日条、『豊鑑』巻3 |
天正16年 | 1588 | 4 | 16 | 24 | 聚楽第(山城国)で行われた和歌会にて「けふよりや 砌の松の かげにしも 数へん君が 千代の行末」と詠む。 | 『豊鑑』巻3 |
天正17年 | 1589 | 1 | 6 | 25 | 従一位に叙される。 | 『公卿補任』 |
慶長2年 | 1597 | 5 | 17 | 33 | 伏見城(山城国)において豊臣秀吉・秀頼父子に対する年頭・移徙の礼が行われる。勅使をはじめ、八条宮智仁親王、伏見宮邦房親王、九条兼孝、一条内基、二条昭実、近衛信輔、鷹司信房、九条忠栄、徳川家康以下諸大名、近衛前久、照高院道澄、妙法院常胤、三宝院義演、大覚寺宮空性、聖護院興意、梶井宮最胤、曼殊院覚円、一乗院尊政、大乗院義尋、本願寺准如が参列する。 | 『義演准后日記』・『鹿苑日録』同年月日条 |
慶長7年 | 1602 | 2 | 19 | 38 | 摂関家の九条兼孝、一条内基、二条昭実、鷹司信房、門跡の妙法院常胤、三宝院義演、梶井宮承快、青蓮院尊純、随心院増考、伏見宮邦房の名代・庭田重定、覚深の名代・亮淳とともに徳川家康に礼に訪れる。 | 『慶長日件録』同年月日条 |
慶長7年 | 1602 | 7 | 24 | 38 | 子(7歳)が死去する。 | 『義演准后日記』同年月日条 |
慶長11年 | 1606 | 9 | 22 | 42 | 内大臣に就任する。左近衛大将を辞任する。 | 『系図纂要』「鷹司家」、『諸家伝』 |
慶長11年 | 1606 | 11 | 10 | 42 | 左大臣に就任する。 | 『系図纂要』「鷹司家」 |
慶長11年 | 1606 | 11 | 11 | 42 | 関白に就任する。藤氏長者となる。 | 『系図纂要』「鷹司家」 |
慶長16年 | 1611 | 11 | 16 | 47 | 鷹司信房の子・信尊が興福寺大乗院に入室し得度する。 | 『春日社司祐範記』同年月日条 |
明暦3年 | 1657 | 12 | 15 | 93 | 鷹司信房が死去する。 | 『系図纂要』「鷹司家」 |