人 物 史

鷹司信房 たかつかさ のぶふさ
生 没 年永禄8年(1565)10/25-明暦3年(1657)12/15
出 身山城国幼 名-
別 称-
法 名後法音院
戒 名-
二条晴良
鷹司忠冬[養父]
位子(伏見宮貞敦親王の娘)
兄 弟 姉 妹九条兼孝二条昭実義演鷹司信房
配 偶 者佐々輝子(佐々成政の娘)
鷹司信尚、信尊、息子(勧修寺入寺)、息子、覚定、娘(宝鏡寺入寺)、娘(桑山左衛門佐の妻)、娘、娘、娘(本徳寺の妻)、孝子(徳川家光の妻 本理院)、娘、娘、松平信平、娘(慈受院入寺)、娘(本願寺の妻)、娘(本徳寺の妻)
官 位権中納言、権大納言、左近衛大将、内大臣、左大臣、関白
氏 族 門 流藤原北家鷹司家
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ-
鷹司信房 年表
和暦 西暦 年齢 事項 出典
永禄8年156510251鷹司信房が生まれる。『系図纂要』「鷹司家」
天正7年157942915父・二条晴良が死去する。『系図纂要』「二条家」
天正7年1579112215鷹司信房が元服する。正五位下に叙される。
誠仁親王の二条御新造への移徙に際し、二条御新造に先入りする。
『多聞院日記』同年月日条、『公卿補任』、『歴名土代』
天正7年1579112415右近衛少将に任官。『公卿補任』
天正8年158012816従四位下に叙される。『公卿補任』
天正8年15803716右近衛中将に任官。『公卿補任』
天正8年1580--16従四位上に叙される。『公卿補任』
天正9年15811617従三位に叙される。『公卿補任』
天正9年158141717権中納言に任官。『系図纂要』「鷹司家」
天正10年15821618権大納言に任官。『系図纂要』「鷹司家」
天正10年158272018正三位に叙される。『公卿補任』
天正10年1582112918鷹司信房が密かに奈良(大和国)に下向する。『多聞院日記』同年月日条
天正11年15836-19従二位に叙される。『公卿補任』
天正13年158571121羽柴秀吉への関白宣下が行われる。『兼見卿記』同年月日条
天正16年158811324左近衛大将に任官。『系図纂要』「鷹司家」
天正16年158841424後陽成天皇が聚楽第(山城国)に行幸する。秀吉の前駈(右列)に石田三成大谷吉継片桐且元が、前駈(左列)に増田長盛加藤嘉明が供をする。秀吉に続き、織田信包織田長益前田利家蒲生氏郷長宗我部元親蜂屋頼隆細川忠興が、鳳輦についで織田信雄徳川家康豊臣秀次豊臣秀長近衛信輔烏丸光宣持明院基孝東坊城盛長広橋兼勝が、近衛大将の左として鷹司信房が供奉する。『多聞院日記』同年5月4日条、『豊鑑』巻3
天正16年158841624聚楽第(山城国)で行われた和歌会にて「けふよりや 砌の松の かげにしも 数へん君が 千代の行末」と詠む。『豊鑑』巻3
天正17年15891625従一位に叙される。『公卿補任』
慶長2年159751733伏見城(山城国)において豊臣秀吉秀頼父子に対する年頭・移徙の礼が行われる。勅使をはじめ、八条宮智仁親王、伏見宮邦房親王、九条兼孝一条内基二条昭実近衛信輔鷹司信房、九条忠栄、徳川家康以下諸大名、近衛前久照高院道澄、妙法院常胤、三宝院義演、大覚寺宮空性、聖護院興意、梶井宮最胤、曼殊院覚円、一乗院尊政、大乗院義尋、本願寺准如が参列する。『義演准后日記』・『鹿苑日録』同年月日条
慶長7年160221938摂関家の九条兼孝一条内基二条昭実鷹司信房、門跡の妙法院常胤、三宝院義演、梶井宮承快、青蓮院尊純、随心院増考、伏見宮邦房の名代・庭田重定、覚深の名代・亮淳とともに徳川家康に礼に訪れる。『慶長日件録』同年月日条
慶長7年160272438子(7歳)が死去する。『義演准后日記』同年月日条
慶長11年160692242内大臣に就任する。左近衛大将を辞任する。『系図纂要』「鷹司家」、『諸家伝』
慶長11年1606111042左大臣に就任する。『系図纂要』「鷹司家」
慶長11年1606111142関白に就任する。藤氏長者となる。『系図纂要』「鷹司家」
慶長16年1611111647鷹司信房の子・信尊が興福寺大乗院に入室し得度する。『春日社司祐範記』同年月日条
明暦3年1657121593鷹司信房が死去する。『系図纂要』「鷹司家」
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