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慶長17年 1612年 1月27日
徳川家康名古屋(尾張国)に到着する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長17年 1612年 1月28日
徳川家康名古屋城(尾張国)の屋敷普請、堀普請を命じる。
浅野幸長が使者をもって家康に御服5領を献上する。家康は幸長に鶴を下賜する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長17年 1612年 1月29日
徳川家康岡崎城(三河国)に帰城する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長17年 1612年 1月30日
池田輝政が御服5領を、池田忠継が大鷹1連を徳川家康に献上する。家康は輝政に鶴を下賜する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長17年 1612年 2月1日
雨のため徳川家康岡崎城(三河国)に逗留する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長17年 1612年 2月2日
雨のため徳川家康岡崎城(三河国)に逗留する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長17年 1612年 2月3日
徳川家康が境川にて鹿狩りをする。浜松(遠江国)にて宿泊する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長17年 1612年 2月4日
徳川家康が中泉(遠江国)に到着する。江戸(武蔵国)より徳川秀忠の使者として成瀬正武が使者として家康のもとに訪れる。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長17年 1612年 2月6日
徳川家康が鷹狩りをする。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長17年 1612年 2月9日
徳川家康が掛川(遠江国)に到着する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長17年 1612年 2月10日
徳川家康一行が、連日の大雨により大井川が水増し渡川が困難につき、金谷、伊呂宇と経由し、浅瀬をみつけ渡川する。田中に到着する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長17年 1612年 2月11日
徳川家康駿府城(駿河国)に帰城する。家康は府中(駿河国)にて鷹狩をする。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長17年 1612年 2月12日
江戸(武蔵国)より徳川秀忠の使者として神尾守世徳川家康のもとに訪れる。
家康が日野唯心、円光寺、以心崇伝に膳を賜い、雑談する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長17年 1612年 2月14日
徳川鶴千代が疱瘡を患う。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長17年 1612年 2月15日
江戸(武蔵国)より安藤重信駿府城(駿河国)に到着する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長17年 1612年 2月16日
成瀬正成竹腰正信名古屋(尾張国)より駿府城(駿河国)のいる徳川家康のもとに訪れる。
安藤重信江戸城(武蔵国)の船入の図面を持参し、家康に見せ、意見を伺う。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長17年 1612年 2月17日
江戸(武蔵国)より徳川秀忠の使者として水野忠元駿府城(駿河国)に到着する。徳川鶴千代の疱瘡の容態を尋ねる。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長17年 1612年 2月18日
江戸(武蔵国)に赴いていた板倉勝重駿府城(駿河国)に到着する。徳川鶴千代の疱瘡の容態を尋ねる。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長17年 1612年 2月21日
徳川家康が府中(駿河国)近辺にて鷹狩をする。
家康が板倉勝重永井直勝を召し、高野山に隠居している観世黒雪の赦免を伝える。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長17年 1612年 2月23日
本多正純の与力・岡本大八が、有馬晴信に先年の黒船討ち取りの功により肥前国三郡の返付があるとして偽造した朱印状を渡すとともに、幕府老中への謝礼として白銀600枚を納めるようにと指示し、その白銀を横領したことについて、晴信からの疑義があり裁判が行われ、大八は無罪を主張するも、晴信が証拠となる文書を所持していたことから、大八の敗訴となり、大八も白状する。駿府町奉行の彦坂光正が大八を鞭打ちのうえ禁固する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長17年 1612年 2月26日
駿府城(駿河国)にて田中忠政徳川家康に謁す。忠政は家康に銀子100枚、黒羅紗10間を献上する。
夜、家康が本多正純板倉勝重を召し、3月中旬に徳川秀忠と天下政務の相談をすることを伝える。
生駒正俊が駿府城に到着する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長17年 1612年 2月27日
徳川家康が府中(駿河国)近辺にて鷹狩をする。
伊達政宗が駿府城(駿河国)に到着する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長17年 1612年 2月28日
駿府城(駿河国)にて伊達政宗が銀100枚・鮭塩引10箇を、生駒正俊が銀100枚・御服10領を徳川家康に献上する。同城の数寄屋にて家康が政宗・正俊に茶を賜う。日野唯心が相伴する。茶入は銘 投頭巾。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長17年 1612年 2月29日
徳川家康が鷹狩をする。
藤堂高虎が江戸(武蔵国)より駿府城(駿河国)に到着する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長17年 1612年 3月1日
本因坊算砂、宗桂が江戸(武蔵国)より駿府城(駿河国)に到着する。
午刻(11-13時)、在駿府城の諸侍が総出仕する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長17年 1612年 3月2日
徳川家康が鷹狩をする。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長17年 1612年 3月3日
在駿府城の諸侍が総出仕する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長17年 1612年 3月4日
徳川家康が鷹狩をする。
土井利勝が江戸(武蔵国)より駿府城(駿河国)に到着する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長17年 1612年 3月5日
土井利勝が江戸(武蔵国)に戻るべく、駿府城(駿河国)を発つ。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長17年 1612年 3月13日
徳川秀忠駿府城(駿河国)に居る徳川家康と天下政務について相談すべく、江戸城(武蔵国)を出立する。藤沢(相模国)に到着する。供奉は本多正信大久保忠隣酒井忠世土井利勝、青山忠成、山口重政神尾守世水野忠元、井上正就等。
出典:『駿府記』同年月日・17日条

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