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事項 :   
出典 :   


天文7年 1538年 1月2日
細川晴元が幕府に出仕する。供は香西、柳本。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文7年 1538年 1月3日
細川晴元が幕府に出仕する。供は薬師寺与一、長塩又二郎。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文7年 1538年 1月4日
野洲井光助が蜷川親俊より20疋、扇、塩引を賜る。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文7年 1538年 1月6日
鷹狩始め。伊勢貞孝が古市弾正忠より一献の進上を受ける。飯川彦九郎、縁阿が貞孝に同道する。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文7年 1538年 1月6日
年始の礼として木沢長政本願寺証如に贈った太刀1腰が証如のもとに届く。使者は小野民部丞。
出典:『天文日記』同年月日条

天文7年 1538年 1月7日
細川晴元が幕府に出仕する。供は波多野、柳本。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文7年 1538年 1月8日
同朋衆が近衛稙家に美物を贈る。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文7年 1538年 1月8日
右近衛大将となる。
出典:『系図纂要』「三条」

天文7年 1538年 1月10日
巳刻(9-11時)、足利義晴が参内する。大舘晴光細川晴経、歳阿を初めて供に加える。申刻(15-17時)、戻る。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文7年 1538年 1月12日
足利義晴のもとに近衛稙家青蓮院尊鎮が訪れる。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文7年 1538年 1月16日
年始の礼として本願寺証如木沢長政に太刀1腰・3種5荷を贈る。使者は冷水弥九郎。
出典:『天文日記』同年月日条

天文7年 1538年 1月22日
積蔵院刑部少輔が伊勢貞孝に巻数1朶、油煙3挺を贈る。貞孝は積蔵院に礼状を発給する。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文7年 1538年 1月26日
木沢長政興福寺に敵対していた戒重将監を幕府の命により討ち取る。
出典:『蜷川親俊日記』同年2月3日条

天文7年 1538年 1月晦日
北条氏綱が玉縄城(相模国)に到着する。
出典:『快元僧都記』同年月日条

天文7年 1538年 2月1日
北条氏綱鶴岡八幡宮に参詣する。
出典:『快元僧都記』同年月日条

天文7年 1538年 2月2日
北条氏綱が葛西城(武蔵国)を攻め、同城を落とす。その後、岩槻城(武蔵国)に向かう。
出典:『快元僧都記』同年月日条

天文7年 1538年 2月6日
伊勢御師 高田金三が蜷川親俊に御祓熨斗鮑100本を贈る。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文7年 1538年 2月12日
四条道場にて浄花院の談儀が行われる。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文7年 1538年 2月13日
細川晴元が自邸にて観世大夫の能を催す。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文7年 1538年 2月14日
北条氏綱が帰陣する。
出典:『快元僧都記』同年月日条

天文7年 1538年 2月15日
北条為昌が鶴岡八幡宮に参詣する。
出典:『快元僧都記』同年月日条

天文7年 1538年 2月16日
四条道場にて六十万決定往生札が配られる。浄花院の談儀が結願を迎える。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文7年 1538年 2月20日
蜷川親俊が真如堂に参詣する。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文7年 1538年 2月21日
細川晴元伊勢貞孝に大鷹を贈る。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文7年 1538年 2月22日
夜、下京五条東洞院が焼亡する。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文7年 1538年 2月23日
蜷川親俊が真如堂に参詣する。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文7年 1538年 2月25日
蜷川親俊が北野社に参詣する。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文7年 1538年 2月29日
蜷川親俊が清水寺に参詣する。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文7年 1538年 3月2日
細川晴元が幕府に出仕する。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文7年 1538年 3月3日
本願寺証如が年始の祝儀といて三好長慶に3種5荷を贈る。
出典:『天文日記』同年月日条

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