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出典 :   


天文6年 1537年 2月8日
出家し、諦空と名乗る。
出典:『系図纂要』「三条」

天文6年 1537年 2月8日
飛鳥井雅綱邸にて歌会始が行われる。参加者は、甘露寺、山科言継、雅綱、細川陸奥守、大舘兵庫頭、朽木稙綱、細川刑部少輔、三淵晴員荒川氏隆、本郷三郎、安東平次郎。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文6年 1537年 2月19日
右大弁となる。
出典:『系図纂要』「烏丸」

天文6年 1537年 2月26日
北条氏綱が駿河国に向けて出陣する。
出典:『快元僧都記』同年月日条

天文6年 1537年 3月4日
日吉社二宮修理のため金春大夫に勧進能をさせるため桟敷を設営。この日、大坂本願寺に桟敷設営費を日吉社が募る。本願寺は「山科に本願寺があった頃なら、日吉社の近くであるので協力も考えたであろうが、今は大坂にあって日吉社からは遠いので応じられない」といって断る。
出典:『天文日記』同年月日条

天文6年 1537年 3月18日
左大弁となる。
出典:『系図纂要』「烏丸」

天文6年 1537年 4月15日
松平乗元が死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第9「松平乗元」の項

天文6年 1537年 4月19日
細川晴元六角定頼の娘と祝言をあげる。
出典:『天文日記』同年4/28条

天文6年 1537年 4月22日
鶴岡八幡宮造営奉行の大道寺盛昌が同社を巡見する。
出典:『快元僧都記』同年月日条

天文6年 1537年 4月24日
木沢長政の子・ねや法師の元服につき本願寺証如から太刀・馬代1000疋(10貫)・瓶が送られる。
出典:『天文日記』同年月日条

天文6年 1537年 4月26日
大道寺盛昌が小田原城(相模国)の屋敷に帰宅する。
出典:『快元僧都記』同年月日条

天文6年 1537年 4月26日
北条氏綱が玉縄城(相模国)に到着する。
出典:『快元僧都記』同年月日条

天文6年 1537年 4月27日
上杉朝興が川越(武蔵国)にて死去する。
出典:『快元僧都記』同年月日条

天文6年 1537年 4月28日
北条氏綱鶴岡八幡宮に参詣する。
出典:『快元僧都記』同年月日条

天文6年 1537年 5月16日
足利義明が軍勢を率い真里谷信隆の峯上城(上総国)に向かう。
出典:『快元僧都記』同年月日条

天文6年 1537年 5月29日
北条氏綱鶴岡八幡宮に参詣する。
出典:『快元僧都記』同年月日条

天文6年 1537年 6月3日
大坂本願寺寺内の新屋敷西北の要害について新屋敷の町人が普請をする。
出典:『天文日記』同年月日条

天文6年 1537年 6月4日
木沢長政信貴山城(大和国)に帰城する。
出典:『天文日記』同年月日条

天文6年 1537年 6月13日
北条氏綱が駿河国に向けて出陣する。
出典:『快元僧都記』同年月日条

天文6年 1537年 6月14日
駿河国において北条氏綱今川義元が戦い、氏綱が勝利する。
出典:『快元僧都記』同年月日条

天文6年 1537年 6月19日
赤松晴政本願寺証如に使者・円通寺を遣わし書状と打ち物2つ(祐定)を贈る。
出典:『天文日記』同年月日条

天文6年 1537年 6月27日
大内義隆本願寺証如に依頼した瑪瑙が加賀国江沼郡より証如に進上される。
出典:『天文日記』同年月日条

天文6年 1537年 7月1日
府中(能登国)にて妙宗が死去する。
出典:『大谷本願寺通紀』巻第2「歴世宗主伝第二」

天文6年 1537年 7月10日
島津歳久が生まれる。
出典:-

天文6年 1537年 7月11日
本願寺証如大坂本願寺寺内における盆踊りを停止する。
出典:『天文日記』同年月日条

天文6年 1537年 7月11日
北条氏綱が武蔵国に向けて出陣する。
出典:『快元僧都記』同年月日条

天文6年 1537年 7月12日
海老名将監が山科本願寺寺中地子銭(坊跡から亭にいたるまでの8町分)二季あわせて3貫文の支払いを本願寺証如に請求する。証如は地子銭を支払う。
出典:『天文日記』同年月日条

天文6年 1537年 7月16日
北条氏綱川越城(武蔵国)を落とす。
出典:『快元僧都記』同年月日条

天文6年 1537年 7月20日
北条氏綱が難波田憲重の籠る松山城(武蔵国)を攻める。
出典:『快元僧都記』同年月22日条

天文6年 1537年 8月16日
木沢長政の大和出陣につき本願寺証如が5種10荷を贈る。
出典:『天文日記』同年月日条

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