人 物 史

天野康景 あまの やすかげ
生 没 年天文6年(1537)-慶長18年(1613)2/24
出 身-幼 名-
別 称又五郎、三郎兵衛、景能
法 名-
戒 名興国寺殿報誉宗恩大居士
天野景隆-
兄 弟 姉 妹天野康景
配 偶 者牛田行正の娘
天野康宗、天野康勝、天野康世、天野康由、娘(小栗忠政の妻)、娘(榊原忠真の妻)
官 位-
役 職-
城 郭-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ史料にみえる天野康景の呼称
天野康景 年表
天文6年 1537年 -月-日 1歳
天野康景が生まれる。
出典:-

弘治1年 1555年 10月23日 19歳
「天文」より「弘治」に年号が改まる。
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弘治4年 1558年 2月28日 22歳
「弘治」より「永禄」に年号が改まる。
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元亀1年 1570年 4月23日 34歳
「永禄」より「元亀」に年号が改まる。
出典:-

天正1年 1573年 7月28日 37歳
「元亀」より「天正」に年号が改まる。
出典:-

天正7年 1579年 11月25日 43歳
岡崎城(三河国)に詰めていた天野康景が松平家忠に敵出張につき出陣を促す。家忠は深溝城(三河国)を発ち、新居(遠江国)に至る。
出典:『家忠日記』同年月日条

文禄1年 1592年 12月8日 56歳
「天正」より「文禄」に年号が改まる。
出典:-

慶長1年 1596年 10月27日 60歳
「文禄」より「慶長」に元号が改まる。
出典:-

慶長3年 1598年 8月18日 62歳
豊臣秀吉が死去する。
出典:『当代記』巻3同年月日条

慶長6年 1601年 2月-日 65歳
徳川家康が天野康景に興国寺(駿河国)を給付する。
出典:『当代記』巻3同年月日条

慶長8年 1603年 2月12日 67歳
朝廷にて徳川家康の征夷大将軍就任および右大臣転任についての陣儀が行われる。家康を淳和奨学院別当、源氏長者、牛車兵杖等に宣下することに決まる。陣儀の上卿が伏見の家康邸に赴き、家康に征夷大将軍就任の旨を言い渡し、家康が征夷大将軍となる。
池田輝政が右近衛少将に、板倉勝重が従五位下・伊賀守に叙位・任官。
出典:『慶長日件録』同年月日条、『当代記』巻3同年月日条

慶長10年 1605年 4月16日 69歳
徳川秀忠が征夷大将軍宣下を受ける。
板倉重宗が従五位下・周防守に叙位・任官。
出典:『義演准后日記』同年月日条、『寛政重修諸家譜』巻第81「板倉重宗」の項

慶長18年 1613年 2月24日 77歳
天野康景が死去する。
出典:-

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