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石高から軍役算出
軍役から石高算出
人 物 史
遠藤直経
えんどう なおつね
生 没 年
?-元亀1年(1570)6/28
出 身
-
幼 名
-
別 称
喜右衛門尉、直継
法 名
-
戒 名
-
父
-
母
-
兄 弟 姉 妹
-
配 偶 者
-
子
-
官 位
-
役 職
-
城 郭
-
参 考 文 献
-
関 連 デ ー タ
-
遠藤直経 年表
- -年 -月-日
遠藤直経
が生まれる。
出典:-
永禄3年 1560年 -月-日
浅井長政
が家臣の赤尾、丁野、百々、安養寺等と相談し、父・
久政
を隠居させ家督を相続し、妻の平井加賀守の娘と離縁する。
出典:『江濃記』「浅井出身事」
永禄7年 1564年 3月-日
浅井長政
が軍勢6000を率い美濃国に攻め入る。
出典:『江濃記』「道三最後之事」
永禄7年 1564年 3月22日
六角承禎
が軍勢14000をもって
佐和山城
(近江国)を包囲する。
出典:『江濃記』「佐々木承禎出張事」
永禄13年 1570年 4月20日
織田信長
が
朝倉義景
の領国である越前国へ侵攻すべく、軍勢30000を率い京都を発ち、一条(山城)を東に出て
坂本
(近江国)を経由して和邇(近江国)に到着する。和邇・堅田に陣取る。
武井夕庵
、
松永久秀
、
池田勝正
(軍勢3000)が従軍する。
出典:『言継卿記』同年月日条、『信長公記』巻3(3)「観世大夫、今春大夫立合に御能の事」、『多聞院日記』同年月22日条、『当代記』同年月日条
永禄13年 1570年 4月21日
織田信長
が田中城(近江国)に到着する。
出典:『信長公記』巻3(3)「観世大夫、今春大夫立合に御能の事」
永禄13年 1570年 4月22日
織田信長
が熊川(若狭国)の松宮玄蕃の所に宿泊する。
出典:『信長公記』巻3(3)「観世大夫、今春大夫立合に御能の事」
元亀1年 1570年 4月23日
織田信長
が佐柿(若狭国)の粟津越中守の所に逗留する。
出典:『信長公記』巻3(3)「観世大夫、今春大夫立合に御能の事」
元亀1年 1570年 4月25日
織田信長
が敦賀(越前国)に着陣し、手筒山城(越前国)を攻める。織田勢は森可隆が戦死する。
出典:『信長公記』巻3(4)「越前手筒山攻落されの事」、『言継卿記』同年月27日条、『多聞院日記』同年月29日条、『当代記』同年月日条、『寛政重修諸家譜』巻第126「森可隆」の項
元亀1年 1570年 4月26日
金ヶ崎城
(越前国)に籠城していた
朝倉景恒
が
織田信長
に降伏する。
出典:『信長公記』巻3(4)「越前手筒山攻落されの事」
元亀1年 1570年 4月29日
織田信長
が越前国侵攻中のところ、義弟・
浅井長政
が信長を裏切り、
朝倉義景
に呼応する。美濃国への往還が不可能となった信長は若狭国西路を京都(山城国)に向かって逃走する。
出典:『言継卿記』同年月日条
元亀1年 1570年 4月30日
越前国侵攻中の
織田信長
が、
浅井長政
の裏切りにより越前国を撤退し、下田(丹波国)を経由し、亥刻(21-23時)、10名程度で京都に入る。
松永久秀
等が供をする。
出典:『言継卿記』同年月日条、『多聞院日記』同年5月1日条、『継芥記』同年5月1日条、『当代記』同年月日条
元亀1年 1570年 6月21日
織田信長
が
小谷城
(近江国)攻めのため虎御前山(近江国)に陣取る。
坂井政尚
、
森可成
、
斎藤利治
、市橋長勝、佐藤六左衛門、塚本小大膳、
不破光治
、
丸毛長照
が雲雀山に陣取る。信長の命により、
柴田勝家
、
佐久間信盛
、
蜂屋頼隆
、
木下秀吉
、
丹羽長秀
等が小谷城の在所・谷々を焼き払う。
出典:『信長公記』巻3(7)「たけくらべかりやす取出の事」
元亀1年 1570年 6月26日
浅井久政
・
長政
父子が大寄山(近江国)に陣取る。
織田信長
が龍鼻(近江国)に陣取る。
出典:『当代記』同年月日条
元亀1年 1570年 6月27日
徳川家康
が
織田信長
の陣取る龍鼻(近江国)に着陣する。
出典:『当代記』同年月日条
元亀1年 1570年 6月28日
巳刻(9-11時)、姉川(近江国)にて
織田信長
・
徳川家康
と
浅井長政
・
朝倉義景
が戦い信長・家康勢が勝利する。
織田信長勢:織田信長[大将]、
坂井政尚
、
坂井尚恒
(戦死)、
丹羽氏勝
、
大島光義
。
徳川家康勢:徳川家康[大将]、
酒井忠次
[先鋒]、
石川数正
、
榊原康政
、
松平信一
、
松平忠正
、
酒井重忠
、
小栗忠政
(銘 信国の槍で奮戦)、本多広孝、天野康景、小笠原広重、
野々山元政
、
渥美友勝
、
加藤正次
。
浅井長政勢:浅井長政[大将]、
遠藤直経
(戦死)、
藤堂高虎
。
朝倉勢:
真柄直隆
(戦死)、真柄直澄(戦死)、真柄隆基(戦死)。
戦後、信長が
小谷城
(近江国)の押さえとして
木下秀吉
を横山城(近江国)に置く。
出典:『言継卿記』同年月29日条、『信長公記』巻3(8)「あね川合戦の事」、『寛政重修諸家譜』巻第5「松平忠正」の項、同7「松平信一」の項、同45「小栗忠政」の項、同59「酒井重忠」の項、同65「酒井忠次」の項、同73「大島光義」の項、同85「丹羽氏勝」の項、同110「野々山元政」の項、同120「石川数正」の項、同191「小笠原広重」の項、同100「榊原康政」の項、同777「加藤正次」の項、同961「渥美友勝」の項、『
藤堂家覚書
』
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