人 物 史

坂井政尚 さかい まさひさ
生 没 年?-元亀1年(1570)11/26
出 身-幼 名-
別 称政重
法 名-
戒 名-
--
兄 弟 姉 妹-
配 偶 者-
坂井尚恒、坂井越中守
官 位右近尉、右近将監
役 職-
城 郭-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ坂井政尚の関連文化財
坂井政尚 年表
- -年 -月-日 
坂井政尚が生まれる。
出典:-

弘治1年 1555年 -月-日 
子・尚恒が生まれる。
出典:-

永禄10年 1567年 10月3日 
武芸八幡寺に織田信長が寺領安堵した旨を伝える連署状を坂井政尚森可成が発給する。
出典:(永禄10年)10月3日付坂井政尚・森可成連署状(「武芸八幡宮文書」『織田信長文書の研究』上巻 76号-参考)

永禄11年 1568年 9月24日 
織田信長大津(近江国)に入る。
出典:『多聞院日記』同年月日条

永禄11年 1568年 9月25日 
織田信長清水寺に入る。足利義昭大津(近江国)に入る。
出典:『多聞院日記』同年月日条

永禄11年 1568年 9月26日 
織田信長が山科郷(山城国)の南を通り東寺に布陣する。また信長は北白川を経由し軍勢を入京させる。足利義昭清水寺に移す。
久我にて織田信長三好長逸が戦う。
信長が勝龍寺城(山城国)に籠る岩成友通を攻める。
出典:『言継卿記』同年月日条

永禄11年 1568年 9月27日 
織田信長足利義昭清水寺から東寺に移し、さらに西岡(山城国)まで移す。
信長勢が西岡の所々・吉祥院・淀・鳥羽(以上、山城国)・樟葉(河内国)を放火する。義昭を西岡寺土の寂勝院に布陣させる。織田勢を山崎(山城国)から天神之馬場までに展開する。
勝龍寺城(山城国)に籠る岩成友通と和睦交渉を進める。
出典:『言継卿記』同年月日条

永禄11年 1568年 9月28日 
織田信長三好長逸勢が拠る山崎(山城国)を攻め落とす。西岡(山城国)あたりを放火する。
足利義昭が山崎の竹内左兵衛邸に移る。織田勢の先陣が芥川市場を放火する。(『言』)
織田信長より柴田勝家蜂屋頼隆森可成坂井政尚が三好攻めの先陣を命じられ、桂川を渡り岩成友通の籠城する勝龍寺城(山城国)を攻める。(『信』)
出典:『言継卿記』同年月日条、『信長公記』巻1(4)「信長御上洛十余日の内に五畿内隣国仰付けられ、征夷将軍に備へらるゝの事」

永禄11年 1568年 9月29日 
足利義昭が天神馬場(摂津国)に移る。織田信長芥川山城(摂津国)の麓を攻める。また織田勢が河内国の各所を放火する。夕方、三好長逸が芥川山城を、岩成友通勝龍寺城(山城国)を信長に明け渡す。
出典:『言継卿記』同年月日・30日条

永禄11年 1568年 9月30日 
足利義昭芥川山城(摂津国)に入城する。
織田信長が郡山道場、富田寺外を落とす。富田寺内とは和睦する。池田城(摂津国)を攻める。
出典:『言継卿記』同年月日条

永禄11年 1568年 10月2日 
足利義昭織田信長芥川山城(摂津国)に陣取る。三好長逸池田勝正が義昭・信長に降伏する。
松永久秀が義昭のもとへ礼に赴くため八幡山(山城国)に入る。
出典:『多聞院日記』同年月日条

永禄13年 1570年 1月24日 
飛鳥井雅敦が本興寺(摂津国尼崎)は雅敦の所領であるので、陣取等をしないよう柴田勝家蜂屋頼隆森可成坂井政尚に依頼する。
出典:(永禄13年)1月24日付飛鳥井雅敦書状(「本興寺文書」『大』10-4、元亀元年2月16日条)

永禄13年 1570年 2月16日 
佐久間信盛坂井政尚森可成、野間長前、蜂屋頼隆柴田勝家、竹内秀勝が、本興寺(尼崎)に対し、同寺および門前において織田勢の陣取りをしないことを連署状をもって伝える。
出典:(永禄13年)2月16日付佐久間信盛他連署状(「本興寺文書」『大』10-4、同年月日条)

元亀1年 1570年 6月21日 
織田信長小谷城(近江国)攻めのため虎御前山(近江国)に陣取る。坂井政尚森可成斎藤利治、市橋長勝、佐藤六左衛門、塚本小大膳、不破光治丸毛長照が雲雀山に陣取る。信長の命により、柴田勝家佐久間信盛蜂屋頼隆木下秀吉丹羽長秀等が小谷城の在所・谷々を焼き払う。
出典:『信長公記』巻3(7)「たけくらべかりやす取出の事」

元亀1年 1570年 6月26日 
浅井久政長政父子が大寄山(近江国)に陣取る。織田信長が龍鼻(近江国)に陣取る。
出典:『当代記』同年月日条

元亀1年 1570年 6月27日 
徳川家康織田信長の陣取る龍鼻(近江国)に着陣する。
出典:『当代記』同年月日条

元亀1年 1570年 6月28日 
巳刻(9-11時)、姉川(近江国)にて織田信長徳川家康浅井長政朝倉義景が戦い信長・家康勢が勝利する。
織田信長勢:織田信長[大将]、坂井政尚坂井尚恒(戦死)、丹羽氏勝大島光義
徳川家康勢:徳川家康[大将]、酒井忠次[先鋒]、石川数正榊原康政松平信一松平忠正酒井重忠小栗忠政(銘 信国の槍で奮戦)、本多広孝、天野康景、小笠原広重、野々山元政渥美友勝加藤正次
浅井長政勢:浅井長政[大将]、遠藤直経(戦死)、藤堂高虎
朝倉勢:真柄直隆(戦死)、真柄直澄(戦死)、真柄隆基(戦死)。
戦後、信長が小谷城(近江国)の押さえとして木下秀吉を横山城(近江国)に置く。
出典:『言継卿記』同年月29日条、『信長公記』巻3(8)「あね川合戦の事」、『寛政重修諸家譜』巻第5「松平忠正」の項、同7「松平信一」の項、同45「小栗忠政」の項、同59「酒井重忠」の項、同65「酒井忠次」の項、同73「大島光義」の項、同85「丹羽氏勝」の項、同110「野々山元政」の項、同120「石川数正」の項、同191「小笠原広重」の項、同100「榊原康政」の項、同777「加藤正次」の項、同961「渥美友勝」の項、『藤堂家覚書

元亀1年 1570年 11月25日 
堅田(近江国)の猪飼野甚介、馬場孫次郎、居初又次郎が織田信長に味方する。堅田に布陣する朝倉勢に攻めかかり、堅田を落とす。
出典:『信長公記』巻3(10)「志賀御陣の事」

元亀1年 1570年 11月26日 
堅田(近江国)にて、前波景当(浅井・朝倉勢)と坂井政尚(織田勢)が戦い、浅井・朝倉勢が勝利する。
浅井・朝倉勢:前波景当[大将](戦死)。
織田勢:坂井政尚[大将](戦死)、遠藤胤俊(戦死)。
出典:『兼見卿記』同年月日条、『言継卿記』同年月27日条、『尋憲記』同年12月13日条、(元亀2年)正月22日付山崎吉家書状案(『歴代古案』)、『言継卿記』同年月27日条、『寛政重修諸家譜』534「遠藤」

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