人 物 史

近藤季用 こんどう すえもち
生 没 年天正1年(1573)-慶長17年(1612)5/6
出 身-幼 名-
別 称勘助、登之助
法 名-
戒 名-
近藤秀用-
兄 弟 姉 妹近藤季用、近藤用可、近藤用宗、近藤用義、娘(米倉氏の妻)、娘(小笠原権之丞の妻、九鬼長兵衛の妻)、娘(由良貞繁の妻)
配 偶 者小栗重勝の娘
近藤貞用、娘(大沢基重の妻)
官 位-
役 職-
城 郭-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ-
近藤季用 年表
天正1年 1573年 -月-日 1歳
近藤季用が生まれる。
出典:-

天正1年 1573年 7月28日 1歳
「元亀」より「天正」に年号が改まる。
出典:-

天正10年 1582年 6月2日 10歳
本能寺に宿泊中の織田信長を、早朝、明智光秀が襲撃する。信長は自害する。また、光秀は二条殿に籠城する織田信忠とその小姓勢を討ち取る。
信長勢:森成利(戦死)、福富秀勝(戦死)、野々村正成(戦死)。
信忠勢:村井貞勝(戦死)、菅屋長頼(戦死)、織田信房(戦死)、団忠正(戦死)。
出典:『多聞院日記』同年月日・3日条

文禄1年 1592年 12月8日 20歳
「天正」より「文禄」に年号が改まる。
出典:-

慶長1年 1596年 10月27日 24歳
「文禄」より「慶長」に元号が改まる。
出典:-

慶長3年 1598年 8月18日 26歳
豊臣秀吉が死去する。
出典:『当代記』巻3同年月日条

慶長8年 1603年 2月12日 31歳
朝廷にて徳川家康の征夷大将軍就任および右大臣転任についての陣儀が行われる。家康を淳和奨学院別当、源氏長者、牛車兵杖等に宣下することに決まる。陣儀の上卿が伏見の家康邸に赴き、家康に征夷大将軍就任の旨を言い渡し、家康が征夷大将軍となる。
池田輝政が右近衛少将に、板倉勝重が従五位下・伊賀守に叙位・任官。
出典:『慶長日件録』同年月日条、『当代記』巻3同年月日条

慶長8年 1603年 3月25日 31歳
巳下刻(10時)、徳川家康が参内する。結城秀康細川忠興池田輝政京極高次福島正則、松平忠良、松平飛騨守、松平清直、松平家清本多正純本多康紀本多忠勝石川康通井伊直継本多康俊板倉勝重、本多藤四郎、渡辺守綱、山上弥四郎、島田直時、鵜殿善六、横田弥五左衛門、高木九助、近藤秀用竹中重義森可澄、三好助三郎、三好可正、佐々木勝九郎、近藤政成、松平一生、戸田采女、内藤正成秋元泰朝松平正綱近藤季用大久保忠総、酒井主水、永井直勝三浦重成米津正勝、中山信吉、柴田左近、成瀬正成安藤直次、榊原甚五兵衛、横田尹松、日下部宗好、長谷川久五郎、阿部忠吉、豊島信満、林忠政、花井勝右衛門、伊奈忠政、加藤吉左衛門、高木善三郎、朝比奈弥太郎、石川康次、鳥井九郎左衛門、里見忠重、都築与右衛門が供奉する。将軍宣下の礼として禁裏に銀子1000枚を進上する。午下刻(12時)退出する。
出典:『慶長日件録』同年月日条、『当代記』巻3同年月日条

慶長10年 1605年 4月16日 33歳
徳川秀忠が征夷大将軍宣下を受ける。
板倉重宗が従五位下・周防守に叙位・任官。
出典:『義演准后日記』同年月日条、『寛政重修諸家譜』巻第81「板倉重宗」の項

慶長17年 1612年 5月6日 40歳
近藤季用が死去する。
出典:-

人物リストに戻る

Copyright(c)Kudo Katsuhiro All Rights Reserved.