人 物 史

宗義智 そう よしとし
生 没 年永禄11年(1568)-元和1年(1615)1/3
出 身対馬国幼 名彦三郎、彦七
別 称昭景、吉智
法 名-
戒 名崇虎石翁万松院
宗将盛龍安院(立石高弘の娘)
兄 弟 姉 妹宗茂尚、宗義純、宗調国、宗義智
配 偶 者小西行長の娘
宗義成、女(杉村智次の妻)、女(柳川調興の妻)、女(宗成親の妻)、女(古川成倫の妻)、女(内野助成の妻)
官 位対馬守、侍従
役 職-
城 郭金石城(対馬国)
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ宗義智の関連文化財
宗義智 年表
和暦 西暦 年齢 事項 出典
永禄11年1568--1宗義智が生まれる。-
天正15年158761820豊臣秀吉が、筥崎(筑前国)の海辺にて歌会を催す。山名禅高細川幽斎等が参加する。
日向国・大隅国の仕置きを終えた小早川隆景が箱崎に到着する。
秀吉が九州の国替えを行う。
隆景に筑前国、肥前国基肄郡・養父郡、筑後国三井郡・三原郡を給付する。隆景は立花山城(筑前国)に入城する。
隆景の伊予国23000石の所領を、安国寺恵瓊に給付する。
秀吉が秋月種長を財部(日向国)に移し30000石を給付する。
立花宗茂を立花山城から筑後国下三郡に移す。
高橋統増に筑後国三池郡を給付する。
小早川秀包に筑後国上三郡を給付する。
筑紫広門に筑後国上妻郡を給付する。
高橋元種を香春(豊前国)より県(日向国)に移す。
龍造寺政家の肥前国の本領を安堵するとともに三郡を加増する。
大友義統に豊後国を安堵する。
相良長毎、伊東祐兵、有馬、平戸、大村、五島、宗義智の本領を安堵する。
『黒田家譜』巻4「孝高記」
天正20年15921525豊臣秀吉加藤清正小西行長を召し出し、朝鮮出兵につき、清正に鍋島直茂・相良頼房を付し、行長に宗義智・松浦鎮信・有馬晴信・大村喜前・五島純玄を付すことを伝える。また、清正に朝鮮国内での制札、軍書、南妙法蓮華経の旗を、行長に朝鮮国内での制札、軍書、馬(銘 大黒)を与える。『清正記』巻2
天正20年159242425豊臣秀吉が名島(筑前国)を発ち、昼前に深江に宿泊する。深江にて4月12日に小西行長宗義智が朝鮮の釜山に着岸し朝鮮軍を攻め、同地を落としたとの報を受ける。『太閤さま軍記のうち』
天正20年159261425夜、平壌城より高彦伯、柳璟令が大同江(平安川)に布陣する日本軍の宗義智の陣を夜襲する。小西行長黒田長政が応戦し、日本軍が勝利する。菅氏世譜
天正20年159271625安定館にてと祖承訓・史儒率いる明軍と小西行長が戦う。『黒田家譜』巻6「長政記」
天正20年159281025安定館にてと祖承訓・史儒率いる明軍と小西行長黒田長政立花宗茂が戦い、日本軍が勝利する。史儒が戦死する。『黒田家譜』巻6「長政記」
天正20年1592102725李如松率いる明軍50000が山海関を出立する。『黒田家譜』巻6「長政記」
文禄1年1592122525李如松率いる明軍50000が鴨緑江を渡る。『黒田家譜』巻6「長政記」
文禄2年15931326李如松率いる明軍50000が安定館に到着する。小西行長大友義統黒田長政小早川秀包に加勢を依頼する。『黒田家譜』巻6「長政記」
文禄2年15931626李如松率いる明軍43000と朝鮮軍8000が、小西行長宗義智・松浦鎮信・有馬晴信・大村喜前・五島純玄が守る平壌を攻める。行長が明軍を退ける。『黒田家譜』巻6「長政記」
文禄2年15931826夜、小西行長が平壌城より撤退する。『黒田家譜』巻6「長政記」
文禄2年159319268日夜に平壌城を撤退し明軍の追撃を受けていた小西行長が黒田家家臣・小河信章の守る龍泉寺に入城する。信章は行長を追う明を退ける。黒田長政が行長を白川城に迎える。行長は撤退を勧めるが、長政および小早川秀包は応戦を主張し、行長には撤退を勧める。龍泉城の信章は栗山利安の陣取る江陰に入り、秀包は牛峯に陣取る。
明軍は江陰を攻め、黒田勢の利安・黒田直之・母里友信・後藤基次・衣笠景延が応戦する。黒田勢は長政本陣の白川城まで引き上げる。
『黒田家譜』巻6「長政記」
文禄2年159311026黒田長政が籠る白川城を明軍が攻める。長政が明軍を退ける。『黒田家譜』巻6「長政記」
文禄2年159311626李如松率いる明軍が開城府に入城する。『黒田家譜』巻7「長政記」
文禄2年159352026豊臣秀吉が牧使城の包囲を命じる。包囲の衆は、鍋島直茂(軍勢7642)、黒田長政(軍勢5082)、加藤清正・相良頼房(軍勢6790)、毛利吉成(軍勢1671)、島津義弘(軍勢2128)、高橋元種(軍勢741)、秋月種長(軍勢388)、島津忠豊(476)、伊東祐兵(706)の総勢30980と小西行長宗義智・松浦鎮信・大村喜前・五島純玄・有馬晴信(軍勢7415)、長谷川秀一(軍勢2470)、細川忠興(軍勢2296)、昌原十一人衆(軍勢4400)、浅野長政長継父子(軍勢4000)、織田秀信(軍勢4018)、伊達政宗(軍勢1258)、黒田孝高(軍勢325)の総勢52000。文禄3年5月20日付豊臣秀吉朱印状(『浅野家文書』955号)
慶長2年159722130豊臣秀吉が朝鮮攻めの陣立を定める。
1・2番 加藤清正(軍勢10000)、小西行長(軍勢7000)、宗義智(軍勢1000)、松浦鎮信(軍勢3000)、有馬晴信(軍勢2000)、大村喜前(軍勢1000)、五島純玄(軍勢700)
3番 黒田長政(軍勢5000)、毛利吉成・勝永(軍勢2000)、島津豊久(軍勢800)、高橋元種(軍勢600)、秋月種長(軍勢300)、伊東祐兵(軍勢500)、相良長毎(軍勢800)
4番 鍋島直茂勝茂(軍勢12000)
5番 島津義弘(軍勢10000)
6番 長宗我部元親(軍勢3000)、藤堂高虎(軍勢2800)、池田秀氏(軍勢2800)、加藤嘉明(軍勢2400)、来島通総(軍勢600)、中川秀成(軍勢1500)、菅達長(軍勢200)
7番 蜂須賀家政(軍勢7200)、生駒親正(軍勢2700)、脇坂安治(軍勢1200)
8番 毛利秀元(軍勢30000)、宇喜多秀家(軍勢10000)
釜山かい城在番 小早川秀秋(軍勢10000)
あんこうらいの城在番 立花宗茂(軍勢5000)
加徳城在番 高橋直次(軍勢500)、筑紫広門(軍勢500)
竹島城在番 毛利秀包(軍勢1000)
西生浦城在番 浅野幸長(軍勢3000)
同年月日付豊臣秀吉朱印状(『浅野家文書』271号)
慶長20年16151348宗義智が死去する。-
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