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総年表


永禄8年 1565年 -月-日
森成利美濃国金山にて生まれる。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第126「森長定」の項

永禄8年 1565年 -月-日
本多正純が生まれる。
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永禄8年 1565年 -月-日
彦坂光正が生まれる。
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永禄8年 1565年 -月-日
が三河国にて生まれる。
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永禄8年 1565年 -月-日
中井正清が大和国法隆寺にて生まれる。
出典:-

永禄8年 1565年 -月-日
岩手信政が生まれる。
*『寛政重修諸家譜』巻第148「岩手信政」の項の没年・享年記載より逆算。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第148「岩手信政」の項

永禄8年 1565年 -月-日
渥美友重が生まれる。
*『寛政重修諸家譜』巻第961「渥美友重」の項の没年・享年記載より逆算。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第961「渥美友重」の項

永禄8年 1565年 -月-日
三枝守英が生まれる。
*『寛政重修諸家譜』巻第1152「三枝守英」の項の没年・享年記載より逆算。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第1152「三枝守英」の項

永禄8年 1565年 -月-日
小出吉政尾張国愛知郡中村にて生まれる。
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永禄8年 1565年 -月-日
多賀秀種が生まれる。
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永禄8年 1565年 1月6日
山科言継小山新四郎より麝香1分2朱を5包を20疋(200文)で取り寄せる。
出典:『言継卿記』同年月日条

永禄8年 1565年 1月16日
赤松晴政が死去する。
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永禄8年 1565年 2月6日
三好重存大徳寺に年甫の祝詞として杉原10帖・扇子1本を贈ってもらったことへの礼状を出す。
出典:(永禄8年)2月6日付三好重存書状(『戦国遺文』三好氏編第2巻-1147号「大徳寺文書」)

永禄8年 1565年 3月14日
慶寿院の望により足利義輝鞍馬寺に参詣する。
出典:『晴右記』『言継卿記』同年月日条

永禄8年 1565年 3月24日
立本寺が勧修寺晴秀にかい樽2荷を贈る。
出典:『晴右記』同年月日条

永禄8年 1565年 3月28日
足利義輝が大原(山城国)に赴く。
出典:『晴右記』同年月日条

永禄8年 1565年 3月29日
足利義輝が大原(山城国)に滞在する。
出典:『晴右記』同年月日条

永禄8年 1565年 3月29日
伊勢貞助、中澤光俊が勧修寺晴秀のもとを訪れる。
出典:『晴右記』同年月日条

永禄8年 1565年 4月3日
結城国縁が当年の礼として勧修寺晴秀に20疋を贈る。
神光院が晴秀のもとに公事の件で訪れる。
出典:『晴右記』同年月日条

永禄8年 1565年 4月3日
伊勢貞助、結城国縁が勧修寺晴秀のもとを訪れる。雑談する。
出典:『晴右記』同年月日条

永禄8年 1565年 4月5日
足利義輝細川藤孝の館を訪れる。
出典:『晴右記』『言継卿記』同年月日条

永禄8年 1565年 4月15日
勧修寺晴秀進士藤延に鈴3を贈る。
出典:『晴右記』同年月日条

永禄8年 1565年 4月17日
毛利元就尼子義久の籠る月山富田城(出雲国)を攻める。塩谷口にて吉川元春勢と尼子勢が戦う。
出典:『陰徳太平記』巻44「作州高田城合戦之事」

永禄8年 1565年 4月19日
進士晴舎が勧修寺晴秀に鈴を贈る。
出典:『晴右記』同年月日条

永禄8年 1565年 4月20日
立本寺の二位が勧修寺晴秀に鈴を贈る。
出典:『晴右記』同年月日条

永禄8年 1565年 4月28日
大舘晴光が死去する。
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永禄8年 1565年 *月*日
足利義輝の命により勝持寺の山林より4800本の木を切り出す。
出典:『言継卿記』同年3/19条

永禄8年 1565年 5月5日
朝廷の使者として勧修寺晴秀が訪れたので饗応する。その場に、三好義継松永久通が訪れる。
出典:『晴右記』『言継卿記』同年月日条

永禄8年 1565年 5月7日
道設、武野新五郎、今井宗久千宗易が山上宗二の茶会に参会する。
出典:『今井宗久茶湯書抜』同年月日条

永禄8年 1565年 5月9日
三好義継勧修寺晴秀のもとに礼に訪れ太刀を贈られる。
出典:『晴右記』同年月日条

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