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総年表


永禄8年 1565年 11月1日
子・信尹が生まれる。
出典:-

永禄8年 1565年 11月1日
近衛信尹が生まれる。
出典:-

永禄8年 1565年 11月2日
木下秀吉が坪内利定に知行を宛て行う。
出典:永禄8年11月2日付坪内喜大郎宛判物写(「坪内文書」、『豊臣秀吉文書集』1巻-1号)

永禄8年 1565年 11月16日
夕方、三好長逸三好宗渭岩成友通飯盛山城(河内国)を攻め、長勝軒、金山駿河守を討ち取る。三好義継松永久秀と手切れするよう訴える。
出典:『多聞院日記』同年月日条

永禄8年 1565年 11月20日
池田勝正大山崎(山城国)に池田勢の濫妨狼藉、山林竹木の伐採、放火、矢銭・兵糧米の賦課、国質所質、荏胡麻油商売ほか諸職について停止する旨の禁制を発給する。
出典:永禄8年11月20日付池田勝正禁制(『戦国遺文』三好氏編第2巻-1210号「離宮八幡宮文書」)

永禄8年 1565年 11月22日
権大納言に任官。
出典:『系図纂要』「九条家」

永禄8年 1565年 11月23日
池田勝正東寺およびその境内に、池田勢の濫妨狼藉、山林竹木の伐採、矢銭・兵糧米の賦課、放火、陣取りについて停止する旨の禁制を発給する。
出典:永禄8年11月23日付池田勝正禁制(『戦国遺文』三好氏編第2巻-1211号「東寺百合文書」)

永禄8年 1565年 11月-日
法隆寺に、三好勢の濫妨狼藉、山林竹木の伐採、矢銭・兵糧米の賦課、寄宿について停止する旨の禁制を三好長逸、加地久勝、岩成友通三好宗渭の連署で発給する。
出典:永禄8年11月日付三好長逸等連署禁制(『戦国遺文』三好氏編第2巻-1214号「法隆寺文書」)

永禄8年 1565年 11月-日
三好康長が法隆寺に、三好勢の濫妨狼藉、放火、竹木の伐採ついて停止する旨の禁制を発給する。
出典:永禄8年11月日付三好康長禁制(『戦国遺文』三好氏編第2巻-1215号「法隆寺文書」)

永禄8年 1565年 12月5日
織田信長一条院覚慶より上洛を促す御内書を受けたことに対し、細川藤孝に、上意次第、お供(出兵)することを伝えるとともに朝倉義景武田義統への軍勢催促を促す。
出典:(永禄8年)12月5日付織田信長書状(「高橋義彦氏所蔵文書」10、『織田信長文書の研究』上巻60号)

永禄8年 1565年 12月14日
松永久秀久通父子が、古市播磨守に筒井順慶が攻め寄せた場合は応戦するようにと連署状にて伝える。
出典:(永禄8年)12月14日付松永久通・久秀連署状(『戦国遺文』三好氏編第2巻-1217号「日本学士院所蔵文書」)

永禄8年 1565年 12月14日
筒井順慶が井戸城(大和国)に入る。
出典:(永禄8年)12月14日付松永久通・久秀連署状(『戦国遺文』三好氏編第2巻-1217号「日本学士院所蔵文書」)

永禄8年 1565年 12月20日
三好義継清玉上京芝薬師西町阿弥陀寺境内の芥川分二季地子銭200疋(2貫文)を永代に渡り寄進する。
出典:永禄8年12月20日付三好義継書下(『戦国遺文』三好氏編第2巻-1220号「阿弥陀寺文書」)

永禄8年 1565年 12月20日
東寺の本願 賢広が山科言継のもとを訪れ雑談する。
出典:『言継卿記』同年月日条

永禄8年 1565年 12月21日
三好長逸三好宗渭岩成友通が河内国より乾、脇に軍勢3000余りをもって攻め入る。松永久秀が長逸らに応戦するため多聞山城(大和国)より軍勢を出す。
出典:『多聞院日記』同年月日条

永禄8年 1565年 12月21日
山科言継一条内基を訪れ、東寺本願 賢広から依頼のあった土佐国での勧進裁許を申請する。
出典:『言継卿記』同年月日条

永禄8年 1565年 12月23日
歳末の礼として多聞院英俊が松永久秀に200文を贈る。
出典:『多聞院日記』同年月日条

永禄8年 1565年 12月24日
誓願寺長老が矢島(近江国)にいる一乗院覚慶のもとに赴く。
出典:『言継卿記』同年月25日条

永禄8年 1565年 12月24日
青蓮院尊朝四天王寺別当に補任される。
出典:『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』)

永禄8年 1565年 12月28日
松永久秀多聞山城(大和国)より西京に兵を出す。少々損害を出す。
出典:『多聞院日記』同年月日条

永禄8年 1565年 12月29日
権大納言となる。
出典:『系図纂要』「一条」

永禄8年 1565年 12月-日
三好長逸岩成友通三好宗渭が連署で、大山崎(山城国)に、三好三人衆勢の濫妨狼藉、山林竹木の伐採、放火、矢銭・兵糧米の賦課、国質所質、荏胡麻油商買の諸職について停止する旨の禁制を発給する。
出典:永禄8年12月日付三好三人衆禁制(『戦国遺文』三好氏編第2巻-1228号「離宮八幡宮文書」)

永禄8年 1565年 12月-日
三好義継大徳寺に三好勢の濫妨狼藉、山林竹木の伐採、諸塔頭・門前の事、矢銭・兵糧米の賦課、陣取りを停止する旨の禁制を発給する。
出典:永禄8年12月日付三好義継禁制(『戦国遺文』三好氏編第2巻-1230号「大徳寺文書」)

永禄8年 1565年 -月-日
伊達晴宗が子・輝宗に家督を譲る。輝宗は米沢城(出羽国)に在城し、晴宗は杉目城(陸奥国)に隠居する。
出典:『性山公治家記録』

永禄8年 1565年 -月-日
森可成が蓮台(尾張国)より烏峰(美濃国)に所領替えとなる。烏峰城(美濃国)を金山城に改称する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第126「森可成」の項

永禄9年 1566年 -月-日
細川興元が生まれる。
出典:『綿考輯録』巻1

永禄9年 1566年 -月-日
秋山親久が生まれる。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第87「秋山親久」の項

永禄9年 1566年 -月-日
松平家清が三河国竹谷にて生まれる。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第21「松平家清」の項

永禄9年 1566年 -月-日
荒川重世が生まれる。
『寛政重修諸家譜』巻第84「荒川重世」の項の没年・享年記載より逆算。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第84「荒川重世」の項

永禄9年 1566年 -月-日
真田信幸が生まれる。
出典:-

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