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総年表


大永2年 1522年 -月-日
千利休が生まれる。
出典:-

大永2年 1522年 -月-日
太田資正が生まれる。
出典:-

大永2年 1522年 -月-日
伊丹康直が生まれる。
『寛政重修諸家譜』巻第276「伊丹親直」の項の没年・享年の記載より逆算。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第276「伊丹親直」の項

大永2年 1522年 -月-日
二宮俊実が生まれる。
出典:-

大永2年 1522年 -月-日
一条房基が生まれる。
*『陰徳太平記』巻50「一条兼定卿御流離之事」にみえる没年・享年記載より逆算。
出典:『陰徳太平記』巻50「一条兼定卿御流離之事」

大永2年 1522年 1月9日
厳助のもとで万句連歌会が行われる。海蓮が参加する。
出典:『厳助大僧正記』同年月日条

大永2年 1522年 2月13日
三好長慶が生まれる。
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大永2年 1522年 2月13日
子・長慶が生まれる。
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大永2年 1522年 3月14日
清凉寺で本尊釈迦如来像を開帳する。厳助が清凉寺に参詣する。
出典:『厳助大僧正記』同年月日条

大永2年 1522年 3月15日
北条氏堯が生まれる。
出典:-

大永2年 1522年 3月19日
越中守となる。
出典:『系図纂要』「日野」

大永2年 1522年 6月28日
足利義晴が祇園会を見物するため下御所に赴く。伊勢貞孝大舘尚氏等が供をする。
出典:『祇園会御見物御成記』(『群書類従』)

大永2年 1522年 6月28日
下津屋信直が『祇園会御見物御成記』をまとめ岩山民部少輔に送る。
出典:『祇園会御見物御成記』(『群書類従』)

大永2年 1522年 7月5日
足利義晴が二条邸を訪問する。太刀1腰(国盛)、香合1(金原)、盆1枚(堆朱)を贈る。
出典:『親孝日記』同年月日条

大永2年 1522年 8月16日
毛利元就が山県信春の壬生城(安芸国)を攻める。
出典:同年月20日付大内義興感状(『毛利家文書』1-209号)

大永2年 1522年 8月20日
大内義興が、8月16日の壬生城(安芸国)攻めで首4つをあげた毛利元就の戦功を称える感状を発給する。
出典:同年月日付大内義興感状(『毛利家文書』1-209号)

大永3年 1523年 -月-日
勧修寺晴右が生まれる。
出典:『系図纂要』「勧修寺」

大永3年 1523年 -月-日
森可成が生まれる。
『寛政重修諸家譜』巻第126「森可成」の項の没年・享年記載より逆算。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第126「森可成」の項

大永3年 1523年 -月-日
磯野員昌が生まれる。
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大永3年 1523年 -月-日
丹羽氏勝が生まれる。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第85「丹羽氏勝」の項

大永3年 1523年 -月-日
毛利隆元が生まれる。
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大永3年 1523年 -月-日
小早川正平が生まれる。
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大永3年 1523年 -月-日
佐波隆秀が生まれる。
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大永3年 1523年 2月15日
筒井順昭が生まれる。
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大永3年 1523年 3月5日
権中納言となる。
出典:『系図纂要』「日野」

大永3年 1523年 3月9日
内大臣となる。
出典:『系図纂要』「久我」

大永3年 1523年 3月9日
右大臣に就任する。
出典:『系図纂要』「近衛」

大永3年 1523年 3月24日
高橋久光が青屋城を攻め、同城を落とすが、城より逃れた青屋入道が引き返し、久光を討ち取る。
出典:『陰徳太平記』巻4「高橋大九郎討死之事」

大永3年 1523年 閏3月28日
蓮芸が死去する。
出典:『大谷本願寺通紀』巻第2「歴世宗主伝第二」

大永3年 1523年 4月9日
撫養(阿波国)にて足利義稙が死去する。位牌は相国寺恵林院に安置される。
出典:『陰徳太平記』巻4「将軍義植公御潜居付義晴朝臣被任征夷将軍事」、『相国考記』同年月日条(相国寺史料編纂委員会編『相国寺史料』第1巻、思文閣出版、1984年)

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