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総年表


天文7年 1538年 11月10日
加賀国にて洲崎・河合八郎左衛門が違乱をしていることについて加賀四郡より本願寺証如に両人を法義・俗事の観点からきっと処罰するべき旨を記す文書の発給を依頼され、文書を発給する。
出典:『天文日記』同年月日条

天文7年 1538年 11月18日
清凉寺十穀が蜷川親俊に30疋(300文)を贈る。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文7年 1538年 11月23日
足利菊童丸の髪置が行われる。伊勢貞孝が服を調進する。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文7年 1538年 11月25日
蜷川親俊が北野社に参詣する。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文7年 1538年 11月27日
松平信定が死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第5「松平信定」の項

天文7年 1538年 12月1日
本願寺証如が唐船見物のため隠密にに赴き、慈光寺道場に着船した唐船を見物する。船中にて客衆より折樽を贈られる。夜、慈光寺にて逮夜を勤める。
出典:『天文日記』同年月日条

天文7年 1538年 12月12日
大原高保が本願寺証如に音信として3種5荷を贈る。使者は馬場小次郎。
出典:『天文日記』同年月日条

天文7年 1538年 12月17日
清凉寺の十穀が蜷川親俊の斎に訪れる。
出典:『天文日記』同年月日条

天文7年 1538年 12月19日
右中弁となる。
出典:『公卿補任』天文14年

天文7年 1538年 12月22日
延暦寺西塔院執行代および西学坊より本願寺証如のもとに末寺銭催促状が到来する。
出典:『天文日記』同年月日条

天文7年 1538年 12月24日
本願寺証如の使者として円山隠岐が伊勢貞孝のもとに訪れる。貞孝は隠岐に対面する。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文7年 1538年 12月24日
本願寺証如の使者として円山隠岐が伊勢貞孝のもとに訪れる。貞孝は隠岐に対面する。
延暦寺西塔院に納める末寺銭30貫文・樽代2貫500文を西塔院の使者に渡す。
出典:『天文日記』同年月日条

天文7年 1538年 12月25日
前田利家が生まれる。
出典:-

天文7年 1538年 -月-日
武田信虎が子・晴信に甲斐国帰国を阻まれる。
出典:『享禄以来年代記』同年条(『続群書類従』第29輯下)

天文7年 1538年 -月-日
武田晴信が父・信虎の甲斐国帰国を阻み放逐する。
出典:『享禄以来年代記』同年条(『続群書類従』第29輯下)

天文7年 1538年 -月-日
細川氏綱が、にて細川晴元打倒の兵をあげる。
出典:-

天文7年 1538年 -月-日
子・氏政が生まれる。
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天文7年 1538年 -月-日
孫・氏政が生まれる。
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天文8年 1539年 -月-日
安国寺恵瓊が生まれる。
出典:-

天文8年 1539年 -月-日
今出川晴季が生まれる。
出典:『系図纂要』「今出川」

天文8年 1539年 -月-日
長宗我部元親が生まれる。
出典:-

天文8年 1539年 -月-日
前田玄以が生まれる。
出典:-

天文8年 1539年 -月-日
松平信一が三河国碧海郡藤井にて生まれる。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第7「松平信一」の項

天文8年 1539年 -月-日
鳥居元忠が生まれる。
出典:-

天文8年 1539年 -月-日
天野元明が生まれる。
*『陰徳太平記』巻27「毛利元就厳島渡海付同所合戦事」に厳島合戦時に「当年十七歳」とみえることから生年を逆算した。
出典:『陰徳太平記』巻27「毛利元就厳島渡海付同所合戦事」

天文8年 1539年 -月-日
蜂屋貞次が生まれる。
出典:-

天文8年 1539年 1月1日
細川晴元が幕府に出仕する。供は薬師寺与一、長塩又二郎、柳本。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文8年 1539年 1月2日
伊勢貞孝が幕府に出仕する。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文8年 1539年 1月2日
青蓮院尊鎮のもとに蜷川親俊が訪れる。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文8年 1539年 1月2日
細川晴元が幕府に出仕する。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

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