人 物 史

今出川晴季 いまでがわ はるすえ
生 没 年天文8年(1539)-元和3年(1617)3/28
出 身-幼 名-
別 称菊亭晴季、実維
法 名-
戒 名景光院月叟常空
今出川公彦-
兄 弟 姉 妹-
配 偶 者武田信虎の娘
今出川季持、日桓、堯円、娘(教行寺佐栄の妻)、娘、娘
官 位権中納言、左近衛中将、右近衛大将、権大納言、内大臣、右大臣
氏 族 門 流-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ今出川晴季の関連文化財
今出川晴季 年表
天文8年 1539年 -月-日 1歳
今出川晴季が生まれる。
出典:『系図纂要』「今出川」

弘治1年 1555年 10月23日 17歳
「天文」より「弘治」に年号が改まる。
出典:-

弘治4年 1558年 2月28日 20歳
「弘治」より「永禄」に年号が改まる。
出典:-

元亀1年 1570年 4月23日 32歳
「永禄」より「元亀」に年号が改まる。
出典:-

天正1年 1573年 7月28日 35歳
「元亀」より「天正」に年号が改まる。
出典:-

天正3年 1575年 -月-日 37歳
子・季持が生まれる。
出典:『系図纂要』「今出川」

天正4年 1576年 5月2日 38歳
公家衆の二条晴良九条兼孝一条内基、西園寺公朝、近衛信基、三条西実枝、、中山孝親菊亭晴季徳大寺公維飛鳥井雅敦山科言継庭田重保、高辻長雅、葉室頼房持明院基孝柳原淳光四辻公遠、甘露寺経元、水無瀬兼成、高倉永相、山科言経、庭田重通、勧修寺晴豊正親町実彦、中山親綱、松木宗房、中院通勝、富小路千夜叉(秀直)、唐橋尊松(在通)、烏丸光宣、五辻為仲、冷泉為純、雅敦、大炊御門経頼、日野輝資、竹内長治、東坊城盛長水無瀬親具、白川雅朝、久我季通、西洞院時通、中御門宣教、広橋兼勝、高倉永孝、冷泉、葉室長教、四辻季満、高倉範国、万里小路充房、四条隆昌、橋本実勝、冷泉俊久、薄以継、五辻元仲、五条為名、門跡衆の仁和寺守理、青蓮院尊朝、妙法院常胤、聖護院道澄大覚寺尊信、勧修寺聖信、三宝院義演、実相院が妙覚寺に滞在中の織田信長のもとに礼に訪れる。公家衆からの進物を村井貞勝が披露する。
山科言継山科言経、葉室頼房、葉室長教、冷泉、薄以継が二条晴良邸の跡地に建てた信長の屋敷を見物する。
出典:『言経卿記』同年月日条、『兼見卿記』同年月日条

天正6年 1578年 1月23日 40歳
父・公彦が死去する。
出典:『系図纂要』「今出川」

天正7年 1579年 1月27日 41歳
内大臣となる。
出典:『系図纂要』「今出川」

天正13年 1585年 3月1日 47歳
公家衆が羽柴秀吉に参礼する。諸大名も出仕。勅使の菊亭晴季・久我敦通・勧修寺晴豊・中山慶親が秀吉に太刀を渡し、秀吉はその太刀を受け取る。次いで織田信雄を大納言に任じる口宣案が読み上げられる。秀吉が信雄の大納言就任を依頼ししたため。
出典:『兼見卿記』同年月日条

天正13年 1585年 4月10日 47歳
右大臣となる。
出典:『系図纂要』「今出川」

天正13年 1585年 7月11日 47歳
羽柴秀吉への関白宣下が行われる。
出典:『兼見卿記』同年月日条

天正13年 1585年 8月19日 47歳
今出川晴季・吉田兼見・柳原淳光・中山慶親・勧修寺晴豊・白川雅朝が仙洞御所作事所にいた前田玄以のもとを訪れ、伊勢遷宮の件で内宮・外宮の申状を伝える。玄以は羽柴秀吉の裁可を仰ぐべきと回答する。
出典:『兼見卿記』同年月日条

天正13年 1585年 閏8月27日 47歳
前田玄以今出川晴季勧修寺晴豊千宗易が小御所に赴き、茶湯所を見分する。
出典:『兼見卿記』同年月日条

天正16年 1588年 4月16日 50歳
聚楽第(山城国)で行われた和歌会にて「あきつすの 外まで靡く 国つ風 松にうつらで 声よばふらし」と詠む。
出典:『豊鑑』巻3

天正16年 1588年 7月29日 50歳
毛利輝元小早川隆景吉川広家豊臣秀長邸に赴く。豊臣秀吉も秀長邸に赴き、聖護院道澄今出川晴季織田信雄勧修寺晴豊、中山親綱、日野輝資、徳川家康豊臣秀次宇喜多秀家上杉景勝蜂屋頼隆細川忠興島津義久、龍造寺政家、立花宗茂が相伴する。
出典:『陰徳太平記』巻75「毛利三家上洛付聚楽亭和歌会之事」

天正16年 1588年 8月15日 50歳
豊臣秀吉聚楽第(山城国)にて和歌会を催す。聖護院道澄今出川晴季飛鳥井雅春、中山親綱、徳川家康宇喜多秀家上杉景勝毛利輝元、飛鳥井雅継、細川忠興長谷川秀一小早川隆景吉川広家安国寺恵瓊細川玄旨前田玄以、里村紹巴、里村昌叱、大村由己が参加する。
出典:『陰徳太平記』巻75「毛利三家上洛付聚楽亭和歌会之事」

天正18年 1590年 1月21日 52歳
豊臣秀吉浅野長政のもとを訪れ、能楽を見物する。秀吉に今出川晴季勧修寺晴豊、中山、日野、高倉、前田利家施薬院全宗が相伴する。
出典:『晴豊記』同年月日条、能楽番組書(『伊達家文書』1-468号)

天正18年 1590年 2月13日 52歳
豊臣鶴松の初めての上洛につき今出川晴季勧修寺晴豊が三条まで迎えに赴く。
出典:『晴豊記』同年月日条

天正18年 1590年 9月18日 52歳
巳刻(9-11時)、豊臣秀吉毛利輝元邸を訪れる。供は聖護院道澄今出川晴季石田正澄
出典:『天正十八年毛利亭御成記』(『続群書類従』第23輯下)

文禄1年 1592年 12月8日 54歳
「天正」より「文禄」に年号が改まる。
出典:-

文禄4年 1595年 8月25日 57歳
今出川晴季豊臣秀次謀叛事件に連座し越後国に配流となる。
出典:『系図纂要』「今出川」

慶長1年 1596年 10月27日 58歳
「文禄」より「慶長」に元号が改まる。
出典:-

慶長1年 1596年 -月-日 58歳
今出川晴季が赦免され越後国より帰京する。
出典:『系図纂要』「今出川」

元和1年 1615年 7月13日 77歳
「慶長」より「元和」に年号が改まる。
出典:『駿府記』同年月日条

元和1年 1615年 7月17日 77歳
徳川秀忠二条城(山城国)にいる徳川家康のもとに赴き対面する。
家康は、公家諸法度を伝奏、二条昭実、三条実條、今出川晴季、公家衆に聞かせるべく広橋兼勝に読ませる。以心崇伝が同席する。
八条宮智仁が家康に礼をする。太刀・馬を贈る。
伏見宮邦清が家康に礼をする。小高檀紙10束を贈る。
九条忠栄が家康に礼をする。帷子・太刀・馬を贈る。
巳刻(9-11時)、能が催される。智仁、邦清、昭実、忠栄、一条、鷹司、近衛、晴季が参席し、七五三の饗応を受ける。織田常真日野唯心、両伝奏、花山院などの諸公家数十人、秀忠に供奉した武士は饗応を受ける。申下刻(16時)、秀忠は伏見城(山城国)に戻る。
出典:『駿府記』同年月日条

元和3年 1617年 3月28日 79歳
今出川晴季が死去する。
出典:『系図纂要』「今出川」

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