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天正8年 1580年 -月-日
秋元泰朝が生まれる。
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天正8年 1580年 -月-日
加藤正方が生まれる。
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天正8年 1580年 -月-日
本多政重が生まれる。
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天正8年 1580年 -月-日
大久保忠常が生まれる。
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天正8年 1580年 -月-日
奥平忠政三河国にて生まれる。
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天正8年 1580年 1月2日
松平家忠徳川家康に出仕する。
出典:『家忠日記』同年月日条

天正8年 1580年 1月3日
十河存保が勝瑞城(阿波国)を脱し、十河城(讃岐国)に移る。
出典:『南海通紀』巻14「三好存保帰讃州十河城記」

天正8年 1580年 1月3日
松平家忠浜松城(遠江国)を出立し、吉田城(三河国)に居る酒井忠次に礼をする。その後、深溝城(三河国)に帰城する。
出典:『家忠日記』同年月日条

天正8年 1580年 1月3日
松平家忠吉田城(三河国)に居る酒井忠次のもとに礼に赴く。
出典:『家忠日記』同年月日条

天正8年 1580年 1月5日
右中弁となる。
出典:『系図纂要』「葉室」

天正8年 1580年 1月5日
左大弁となる。
出典:『系図纂要』「広橋」

天正8年 1580年 1月5日
北畠具房が死去する。
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天正8年 1580年 1月6日
羽柴秀吉別所長治の籠る三木城(播磨国)の宮の上構を攻め落とす。
出典:『信長公記』巻13(1)「播州三木城落居の事」

天正8年 1580年 1月7日
松平家忠が鷹狩をする。
出典:『家忠日記』同年月日条

天正8年 1580年 2月3日
松平家忠が鷹狩をする。
出典:『家忠日記』同年月日条

天正8年 1580年 1月8日
松平家忠が永良にて鷹狩をする。
出典:『家忠日記』同年月日条

天正8年 1580年 1月10日
孝恩寺宗顒が長連龍と改名する。
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天正8年 1580年 1月11日
羽柴秀吉が別所吉親の籠る鷹尾城(播磨国)を攻め落とす。三木城(播磨国)の本丸より火が出る。
出典:『信長公記』巻13(1)「播州三木城落居の事」

天正8年 1580年 1月11日
筒井順慶春日社に参詣する。
出典:『多聞院日記』同年月日条

天正8年 1580年 2月13日
松平家忠が中島にて鷹狩をする。
出典:『家忠日記』同年月日条

天正8年 1580年 1月15日
羽柴秀吉に兵糧攻めを受けている三木城(播磨国)の別所長治が、自身と別所賀相・別所友之の自害を条件に籠城している兵卒の助命を、書状をもって浅野長政・別所重棟に伝え、秀吉に請う。秀吉は長治の請いを受け入れる。
出典:『信長公記』巻13(1)「播州三木城落居の事」、『天正記』「播磨別所記」

天正8年 1580年 1月16日
筒井順慶織田信長への年頭の礼をすべく安土城(近江国)に向けて発つ。
出典:『多聞院日記』同年月日条

天正8年 1580年 1月16日
徳川家康岡崎城(三河国)に赴く。
出典:『家忠日記』同年月日条

天正8年 1580年 1月17日
松平家忠岡崎城(三河国)に滞在中の徳川家康のもとへ礼に赴く。家忠は岡崎の一無の所に宿泊する。
出典:『家忠日記』同年月日条

天正8年 1580年 1月17日
申刻(15-17時)、三木城(播磨国)にて別所長治別所友之が切腹する。三木城が羽柴秀吉の手に落ちる。
出典:『信長公記』巻13(1)「播州三木城落居の事」、『天正記』「播磨別所記」、『豊臣記』

天正8年 1580年 1月24日
徳川家康が西尾(三河国)にて鷹狩をする。
出典:『家忠日記』同年月日条

天正8年 1580年 1月27日
徳川家康が西尾(三河国)より岡崎城(三河国)に戻る。
出典:『家忠日記』同年月日条

天正8年 1580年 1月28日
従四位下に叙される。
出典:『公卿補任』

天正8年 1580年 2月12日
筒井順慶が二月堂に参籠する。
出典:『多聞院日記』同年月日条

天正8年 1580年 2月14日
明智光秀が奈良(大和国)に居る筒井順慶のもとを訪れる。
出典:『多聞院日記』同年月日条

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