総年表 検索


和暦 :   西暦 :   月  日 
事項 :   
出典 :   


天正19年 1591年 1月20日
豊臣秀吉本願寺顕如に天満本願寺からの移転を命じる。場所は北は下鳥羽から南は下淀までの間で所望の地を与える旨を言い渡される。
出典:『言経卿記』同年月日条

天正19年 1591年 1月21日
竹腰正信が生まれる。
出典:-

天正19年 1591年 1月22日
本願寺顕如、如春尼、教如准如興正寺顕尊の饗応を受ける。
出典:『言経卿記』同年月日条

天正19年 1591年 1月22日
豊臣秀長が死去する。
出典:『言経卿記』同年月日条

天正19年 1591年 1月22日
弟・秀長が死去する。
出典:『言経卿記』同年同月日条

天正19年 1591年 閏1月8日
これより先、豊臣秀吉本願寺顕如に1万石を給付する。
出典:『言経卿記』同年月日条

天正19年 1591年 閏1月17日
応其覚栄が三船神社の上遷宮を行う。
出典:三船神社本殿棟札(和歌山県立博物館『没後四〇〇年 木食応其―秀吉から高野山を救った僧―」2008年10月)

天正19年 1591年 閏1月22日
徳川家康が上洛する。
出典:『光豊公記』同年月23日条

天正19年 1591年 2月3日
天満本願寺の御堂において准如が得度する。
出典:『言経卿記』同年月日条

天正19年 1591年 2月28日
千利休が切腹する。
出典:-

天正19年 1591年 3月2日
豊臣秀吉徳川家康のもとを訪れる。
出典:『言経卿記』同年同月日条

天正19年 1591年 3月11日
宇喜多秀隆、秀隆の母・豪が北野社に参詣する。
出典:『北野社家日記』同年月日条

天正19年 1591年 3月13日
櫛引清長が苫辺地城(陸奥国)を攻める。
出典:『九戸戦記』

天正19年 1591年 3月25日
誓願寺が三条京極に移転する。本尊の阿弥陀如来が遷座する。遷座にあたって伶人・楽衆が供奉する。貴賤が群集したという。
出典:『言経卿記』同年月日条

天正19年 1591年 3月29日
山科言経大仏殿にいる応其のもとを訪れる。
出典:『言経卿記』同年月日条

天正19年 1591年 3月-日
豊臣秀吉本願寺顕如に本願寺を京都西六条へ移転するよう命じる。
出典:『大谷嫡流実記』「顕如」の項

天正19年 1591年 4月1日
山科言経大仏殿にいる応其其のもとを訪れ、朝飯を大勢の高野山学侶とともにする。
出典:『言経卿記』同年月日条

天正19年 1591年 4月2日
夕方、山科言経大仏殿にいる応其のもとを訪れ対面する。夜、応其の屋敷に梅庵・兼如とともに赴き連歌を行う。
出典:『言経卿記』同年月日条

天正19年 1591年 4月3日
山科言経大仏殿にいる応其のもとで朝飯をとる。大村由己・兼如が相伴する。
出典:『言経卿記』同年月日条

天正19年 1591年 4月20日
山科言経大仏殿にいる応其のもとを訪れる。
出典:『言経卿記』同年月日条

天正19年 1591年 4月20日
津田宗及が死去する。
出典:-

天正19年 1591年 4月22日
山科言経細川幽斎・梅庵が大仏殿にいる応其のもとを訪れる。
出典:『言経卿記』同年月日条

天正19年 1591年 5月4日
打越光重が名護屋(肥前国)にて死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第205「打越光重」の項

天正19年 1591年 5月20日
大仏殿の柱立が行われる。柱立ては5・6本なされたという。豊臣秀吉がその場に臨み、諸大工に餅を配る。
出典:『時慶卿記』同年月日条、『言経卿記』同年同月22日条

天正19年 1591年 6月11日
山科言経大仏殿にいる愛染院・持明院のもとを訪れる。
出典:『言経卿記』同年月日条

天正19年 1591年 6月11日
前田玄以が河内国に下向する。
出典:『北野社家日記』同年月日条

天正19年 1591年 6月14日
九戸政実成敗につき、蒲生氏郷勢が二本松(陸奥国)に到着する。
出典:『九戸戦記』

天正19年 1591年 6月20日
豊臣秀吉が奥羽の一揆成敗のため豊臣秀次に出陣を命じる。
出典:-

天正19年 1591年 7月10日
有節瑞保が大仏殿を見物する。大柱1本が立つのをみる。
出典:『鹿苑日録』同年月日条

天正19年 1591年 7月11日
大仏殿柱立が行われる。
出典:『時慶卿記』同年月日条

Copyright(c)Kudo Katsuhiro All Rights Reserved.