総年表 検索


和暦 :   西暦 :   月  日 
事項 :   
出典 :   


慶長2年 1597年 11月1日
体調が少し回復する。食事も少し摂る。
出典:『鹿苑日録』同年月日条

慶長2年 1597年 11月2日
石田正澄西笑承兌のもとを訪れる。昼食をともにする。酒1樽を贈る。
照高院道澄が承兌のもとを訪れ、杉原2束、堵物1結を承兌に贈る。
夜、正澄に論語を講じる。
出典:『鹿苑日録』同年月日条

慶長2年 1597年 11月2日
照高院道澄西笑承兌のもとを訪れ、杉原2束、堵物1結を贈る。
出典:『鹿苑日録』同年月日条

慶長2年 1597年 11月2日
石田正澄西笑承兌のもとを訪れる。昼食をともにする。酒1樽を贈る。
夜、承兌が正澄に論語を講じる。
出典:『鹿苑日録』同年月日条

慶長2年 1597年 11月3日
午刻(11-13時)、直江兼続西笑承兌のもとを訪れる。
出典:『鹿苑日録』同年月日条

慶長2年 1597年 11月4日
晩、西笑承兌石田正澄のもとを訪れ、『論語』郷党篇を講説する。
出典:『鹿苑日録』同年月日条

慶長2年 1597年 11月5日
より西笑承兌のもとに肩衝9個が来る。そのうちの小肩衝を金子10枚にて購入する。また、青木一矩に贈る肩衝を金子10枚で購入する。
出典:『鹿苑日録』同年月日条

慶長2年 1597年 11月5日
午刻(11-13時)、伏見城(山城国)松丸にて豊臣秀吉が象駕を発す。
出典:『鹿苑日録』同年月日条

慶長2年 1597年 11月6日
西笑承兌照高院道澄のもとを訪れる。入麺・吸物あり。建茶を喫す。
出典:『鹿苑日録』同年月日条

慶長2年 1597年 11月10日
浅野幸長加藤清正が蔚山城の普請を始める。監視役として豊臣秀吉のもとから太田一吉が同城に遣わされる。
出典:浅野幸長家臣某蔚山籠城覚書(『浅野家文書』80号)

慶長2年 1597年 11月12日
西笑承兌徳川家康のもとを訪れる。承兌が家康に『太平御覧』欠本25冊分を書写して贈る。承兌に夕飯を出す。
出典:『鹿苑日録』同年月日条

慶長2年 1597年 11月13日
徳川家康西笑承兌京極高次の茶会に参加する。高次が豊臣秀吉より拝領した足利義昭所持の肩衝を見物する。茶の後、書院にて饂飩、飯あり。
伏見城(山城国)に赴く。夕方、秀吉が文梨小壺を家康に、富士茄子壺を前田利家に、寺西肩衝を織田有楽斎に贈る。
出典:『鹿苑日録』同年月日条

慶長2年 1597年 11月13日
徳川家康京極高次のもとを訪れる。足利義昭が所持していた肩衝を、高次が豊臣秀吉より拝領されたのをうけ見物に赴く。茶会の後書院にて饂飩、飯あり。
豊臣秀吉より文梨小壺を賜う。また秀吉より台子茶の湯の認可を受ける。
出典:『鹿苑日録』同年月日条

慶長2年 1597年 11月13日
豊臣秀吉徳川家康に文梨小壺を、前田利家に富士茄子壺を、織田有楽斎に寺西肩衝を、宗凡に円座肩衝を贈る。また、家康、利家に台子茶の湯を認可する。
出典:『鹿苑日録』同年月日条

慶長2年 1597年 11月16日
午刻(11-13時)、西笑承兌徳川家康のもとを訪れる。
出典:『鹿苑日録』同年月日条

慶長2年 1597年 11月17日
伏見城(山城国)内にて豊臣秀吉が、前田利家織田有楽斎西笑承兌とともに閑談する。秀吉が金子70枚で針屋源十郎から購入した星肩衝、で購入した小肩衝、金森可重より進上のシリブクラの小壺、虚堂墨蹟(の若狭屋宗加→大友宗麟蒲生氏郷→秀吉)を見せる。虚堂墨蹟は承兌に賜う。
出典:『鹿苑日録』同年月日条

慶長2年 1597年 11月21日
伏見城(山城国)内にて前田利家西笑承兌とともに閑談する。
出典:『鹿苑日録』同年月日条

慶長2年 1597年 11月22日
丹羽氏勝が死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第85「丹羽氏勝」の項

慶長2年 1597年 11月26日
昨庵、紺屋小右衛門が西笑承兌のもとを訪れる。
承兌が預かっていた脇坂宗喜の金刀を孫の脇坂孫十郎が受け取りに訪れる。
出典:『鹿苑日録』同年月日条

慶長2年 1597年 11月27日
金森長近西笑承兌に勝栗5袋を贈る。
出典:『鹿苑日録』同年月日条

慶長2年 1597年 11月28日
石田正澄邸にて正澄が西笑承兌と斎をともにする。承兌が正澄に『論語』を講じる。
出典:『鹿苑日録』同年月日条

慶長2年 1597年 11月29日
西笑承兌伏見城(山城国)に赴く。石田正澄とともに同道して帰る。
出典:『鹿苑日録』同年月日条

慶長2年 1597年 11月29日
豊臣秀吉が終日、灸治にて療養する。
出典:『鹿苑日録』同年月日条

慶長2年 1597年 11月29日
前田利家が病により御番を勤められず。
出典:『鹿苑日録』同年月日条

慶長2年 1597年 11月30日
増田長盛西笑承兌のもとを訪れる。
出典:『鹿苑日録』同年月日条

慶長2年 1597年 11月-日
蔚山城が完成する。
出典:『朝鮮記 乾』

慶長2年 1597年 12月1日
朝、石田正澄が大坂(摂津国)に赴く。
出典:『鹿苑日録』同年月日条

慶長2年 1597年 12月1日
上杉景勝の使者が西笑承兌のもとに到着する。
出典:『鹿苑日録』同年月日条

慶長2年 1597年 12月2日
明・朝鮮の軍勢が浅野幸長加藤清正等の籠る蔚山城を攻める。
出典:浅野幸長家臣某蔚山籠城覚書(『浅野家文書』80号)

慶長2年 1597年 12月2日
小西行長が、宇喜多秀家藤堂高虎より普請の成った順天城を請け取る。
出典:浅野幸長蔚山籠城以下万事覚書(『浅野家文書』255号)

Copyright(c)Kudo Katsuhiro All Rights Reserved.