慶長17年 1612年 5月7日 |
長崎奉行・長谷川藤広の殺害計画があったとして有馬晴信が甲斐国にて自害する。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長17年 1612年 5月8日 |
近衛前久が死去する。 |
出典:- |
慶長17年 1612年 5月8日 |
日野唯心、水無瀬一斎、土御門久脩、飛鳥井雅庸、冷泉為満、舟橋秀賢が駿府城(駿河国)に居る徳川家康に出仕する。 前田利長の使者が家康のもとに到着し、銀子1000枚、白絹100疋、白布100疋を献上する。 堀尾忠晴が家康に銀子300枚、単物5領、帷子5領、蚊帳1張を献上する。 村上忠勝が家康に銀子100枚、蝋100貫(10箱)を献上する。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長17年 1612年 5月14日 |
蒲生秀行が死去する。 |
出典:- |
慶長17年 1612年 5月15日 |
板倉勝重、米津正勝が京都に戻るべく徳川家康に暇乞いをして駿府城(駿河国)を発つ。 娘聟・蒲生秀行の病を聞きつけた家康が、薬を贈るべく牧野清兵衛を会津(陸奥国)に遣わす。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長17年 1612年 5月15日 |
徳川家康が娘聟・蒲生秀行の病を聞き、薬を贈るべく牧野清兵衛を会津(陸奥国)に遣わす。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長17年 1612年 5月19日 |
徳川家康が娘聟・蒲生秀行の死去を聞き驚嘆する。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長17年 1612年 5月21日 |
元佶閑室が死去する。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長17年 1612年 5月22日 |
江戸(武蔵国)の松平忠輝邸が焼失する。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長17年 1612年 6月1日 |
巳刻(9-11時)、日野唯心、水無瀬一斎、土御門久脩、冷泉為満、舟橋秀賢と駿府城(駿河国)在府中の武士が徳川家康に出仕する。家康は各々に富士山の氷を賜う。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長17年 1612年 6月2日 |
江戸(武蔵国)の新開地の町割りが行われる。京都・堺の商人に屋敷を下賜する。後藤光次が奉行となる。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長17年 1612年 6月11日 |
森本一久が死去する。 |
出典:- |
慶長17年 1612年 6月14日 |
加藤忠広が肥後国へ帰国の途次、駿府城(駿河国)にいる徳川家康のもとに礼をする。家康は忠広に刀(銘 国次)、脇差(銘 国光)を下賜する。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長17年 1612年 6月16日 |
駿府城(駿河国)にて若原良長が徳川家康に謁見する。家康は良長に馬を、池田輝政に薬を下賜する。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長17年 1612年 6月19日 |
肥前国に帰国途中の寺沢広高・五島盛利が駿府城(駿河国)にいる徳川家康に礼をする。広高は緞子5段を、盛利は黄段2巻を家康に献じる。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長17年 1612年 6月20日 |
森忠政が駿府城(駿河国)にいる徳川家康に礼をする。銀300枚、帷子10領、単物10領を献上する。 九鬼守隆が子の良隆・貞隆をともない家康に謁見する。良隆は太刀・馬・単物5領を、良隆は太刀・馬を家康に献上する。 金地院崇伝が家康のもとを訪れ、後陽成上皇の病について相談する。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長17年 1612年 6月26日 |
藤堂高虎が江戸(武蔵国)より駿府城(駿河国)にいる徳川家康に会う。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長17年 1612年 6月28日 |
江戸(武蔵国)より讃岐国に帰国途中の生駒正俊が駿府城(駿河国)にいる徳川家康に暇乞いをする。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長17年 1612年 6月29日 |
徳川秀忠の使者・永井尚政が駿府城(駿河国)にいる徳川家康のもとを訪れ土用の酷暑見舞いをする。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長17年 1612年 7月1日 |
正親町実彦が死去する。 |
出典:- |
慶長17年 1612年 7月4日 |
島津家久の使者・伊勢貞昌が駿府城(駿河国)にいる徳川家康のもとを訪れ礼をする。緋緞子20端、伽羅3斤、沈香1箱を献上する。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長17年 1612年 7月7日 |
立花忠茂が生まれる。生まれてすぐに立花宗茂の養子となる。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第112「清和源氏 為義流 立花」「立花忠茂」 |
慶長17年 1612年 7月7日 |
七夕につき徳川秀忠が家康(駿河国)にいる父・家康のもとへ水野忠元を遣わし、この日、駿府城に到着する。 豊臣秀頼の使者・佐々孫平が駿府城にいる家康のもとに到着する。星節につき黄金10枚・単物・帷子を贈る。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長17年 1612年 7月25日 |
明・ルソンに派遣していた商船26艘が長崎(肥前国)に到着する。白糸200000斤を積載する。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長17年 1612年 7月28日 |
駿府城(駿河国)にて徳川家康、日野唯心、山名禅高、以心崇伝の参加のもと高野山多聞院による真言の法談が行われる。 藤堂高虎が駿府城にて能を催す。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長17年 1612年 7月30日 |
シャム商船の船頭が駿府城(駿河国)にいる徳川家康に緞子、緋羅、鮫皮等を献上する。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長17年 1612年 8月1日 |
安倍川が洪水により堤が決壊する。安西衆が薪・材木・俵でもって防ぐ。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長17年 1612年 8月4日 |
ルソン商船の船頭・ルイスが駿府城(駿河国)にいる徳川家康に緞子、密2壺を献上する。 長崎(肥前国)より家康のもとに飛脚が到着する。飛脚は7月23日に黒船が長崎に着船し、白糸140000斤、緞子多数を積載していたことを、後藤光次を介し家康に報告する。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長17年 1612年 8月12日 |
駿府城(駿河国)にてオランダ船が平戸(肥前国)に到来したことが噂される。 |
出典:『駿府記』同年月日条 |
慶長17年 1612年 8月14日 |
中川秀成が岡城(豊後国)にて死去する。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第260「中川秀成」の項 |