天文6年 1537年 8月23日 |
伊東義祐が将軍 足利義晴の偏諱を望んでいることを細川晴元が披露し許可を得たことを晴元が義祐に伝える。詳しくは三好政長が添状にて伝える。 |
出典:(天文6年)8月23日付細川晴元書状(「伊東家古文状」『戦国遺文 三好氏編』第1巻-108号) |
天文6年 1537年 9月15日 |
三好長慶が堺へ入る。 |
出典:『天文日記』同年9月18日条 |
天文6年 1537年 9月17日 |
三好長慶が淡路国へ赴く。 |
出典:『天文日記』同年9月18日条 |
天文6年 1537年 10月8日 |
権右中弁となる。 |
出典:『公卿補任』天文14年 |
天文6年 1537年 11月5日 |
三好長慶の出陣につき本願寺証如が太刀・馬(河原毛)を贈る。 |
出典:『天文日記』同年月日条 |
天文6年 1537年 11月13日 |
足利義昭が生まれる。千歳丸と命名される。 |
出典:- |
天文6年 1537年 11月13日 |
子・義昭が生まれる。千歳丸と命名する。 |
出典:- |
天文6年 1537年 11月23日 |
久宝寺・出口光善寺の寺領・買得地を返付することが本願寺証如に伝わる。 |
出典:『天文日記』同年月日条 |
天文6年 1537年 11月26日 |
当麻寺を守護するようにと命じる興福寺別当宛の後奈良天皇綸旨を中山孝親が調える。 |
出典:天文6年11月26日付後奈良天皇綸旨「当麻寺文書」(『大日本仏教全書』118) |
天文6年 1537年 12月2日 |
本願寺証如が大内義隆より輸出品として調達を依頼されていた瑪瑙(5つ)を義隆に送る。取次は堺のひらや。また音信として義隆に織物1端(800疋・赤)・織色1端(紅梅)を送る。 |
出典:『天文日記』同年12月1日条 |
天文6年 1537年 12月13日 |
室町幕府が京都北口(岩倉・花園・長谷)での柴公事銭徴収を永正13年6月2日付室町幕府下知状に準じ停止する。柴公事銭を徴収する者がいたならば町人が捕らえるよう指示する。連署者は諏訪晴長・松田頼康・松田晴秀。 |
出典:同年月日付室町幕府奉行人連署下知状案(『蜷川家文書』3-524号) |
天文6年 1537年 12月15日 |
本願寺証如が大和に陣をはる木沢長政に太刀1腰・3種5荷を贈る。 |
出典:『天文日記』同年月日条 |
天文6年 1537年 12月15日 |
本願寺証如が歳暮として木沢長政に太刀1腰を贈る。 |
出典:『天文日記』同年月日条 |
天文6年 1537年 12月21日 |
太政大臣となる。 |
出典:『系図纂要』「近衛」 |
天文6年 1537年 12月21日 |
右大臣に就任する。 |
出典:『系図纂要』「鷹司家」 |
天文6年 1537年 12月24日 |
本願寺証如と細川晴元の和睦につき、証如が木沢長政に300貫を贈る(使者が出たのは25日)。 |
出典:『天文日記』同年月日条 |
天文6年 1537年 12月29日 |
歳暮として木沢長政が本願寺証如に贈った太刀1腰が証如のもとに届く。 |
出典:『天文日記』同年月日条 |
天文6年 1537年 -月-日 |
赤松義祐が生まれる。 |
出典:- |
天文7年 1538年 -月-日 |
東坊城盛長が生まれる。 |
出典:『系図纂要』「東坊城」 |
天文7年 1538年 -月-日 |
北条氏政が生まれる。 |
出典:- |
天文7年 1538年 -月-日 |
平島(阿波国)にて足利義栄が生まれる。 |
出典:『阿州将裔記』「足利義冬より之系図」 |
天文7年 1538年 -月-日 |
武田義信が生まれる。 |
出典:- |
天文7年 1538年 -月-日 |
松平信宗が生まれる。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻41「松平信宗」の項 |
天文7年 1538年 -月-日 |
松平清宗が三河国竹谷にて生まれる。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第21「松平清宗」の項 |
天文7年 1538年 -月-日 |
戸川秀安が備後国門田にて生まれる。 |
出典:『戸川記』上(近藤瓶城編『改定史籍集覧 第25冊』近藤出版部、1902年) |
天文7年 1538年 -月-日 |
今川氏真が駿河国にて生まれる。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第94「今川氏真」の項 |
天文7年 1538年 -月-日 |
野々山元政が生まれる。 *『寛政重修諸家譜』巻第110「野々山元政」の項の没年・享年記載より逆算。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第110「野々山元政」の項 |
天文7年 1538年 -月-日 |
本多正信が生まれる。 |
出典:- |
天文7年 1538年 -月-日 |
三枝昌貞が生まれる。 *『寛政重修諸家譜』巻第1150「三枝守友」の項の没年・享年記載より逆算。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第1150「三枝守友」の項 |
天文7年 1538年 1月1日 |
細川晴元が幕府に出仕する。供は薬師寺与一、長塩又二郎。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |