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総年表


天文7年 1538年 3月5日
木沢長政が尾張国の織田右衛門尉より依頼を受け、有事の際は本願寺証如から願証寺(長島)や興善寺に織田右衛門尉の味方をするよう依頼する。証如はその依頼を承諾する。
出典:『天文日記』同年月日条

天文7年 1538年 3月5日
細川晴元山崎(山城国)にて城を築く。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文7年 1538年 3月8日
細川元常・晴貞父子が上洛する。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文7年 1538年 3月11日
野洲井光助のところで茶の湯があり、蜷川親俊が参会する。光助の350貫する茶碗を親俊が見物する。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文7年 1538年 3月13日
下京地下人と高畠長直が雙林寺の路次にて喧嘩する。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文7年 1538年 3月13日
鍋島直茂が生まれる。
出典:-

天文7年 1538年 3月15日
細川晴元が上洛する。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文7年 1538年 3月18日
権中納言となる。
出典:『系図纂要』「烏丸」

天文7年 1538年 3月19日
本願寺証如の2月3日の年始の祝儀の返礼として三好長慶が証如に贈った太刀・馬(栗毛雲雀)が証如のもとに届く。使者は加地源右衛門。
出典:『天文日記』同年月日条

天文7年 1538年 3月20日
足利菊童丸が日吉新礼拝講を勤める。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文7年 1538年 3月21日
東寺にて御影供が執行される。蜷川親俊が御影供を見物する。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文7年 1538年 3月24日
清凉寺にて万部経法会が行われる。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文7年 1538年 3月25日
足利義晴が観世大夫の能を催す。細川晴元が参会する。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文7年 1538年 3月25日
清凉寺にて万部経法会が行われる。蜷川親俊、祐乗坊が参詣する。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文7年 1538年 4月7日
大舘晴光が越前国に下向する。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文7年 1538年 4月8日
蜷川親俊が清水寺に参詣する。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文7年 1538年 4月8日
真如堂の本尊を開帳する。蜷川親俊が開帳された本尊を見物する。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文7年 1538年 4月17日
冨田掃部助が新茶5袋を給う。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文7年 1538年 4月19日
四条東洞院にて梅若大夫の勧進猿楽が行われる。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文7年 1538年 4月24日
細川晴元が能を催す。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文7年 1538年 4月27日
北条氏綱が玉縄城(相模国)に到着する。
出典:『快元僧都記』同年月日条

天文7年 1538年 4月28日
北条氏綱鶴岡八幡宮に参詣する。
出典:『快元僧都記』同年月日条

天文7年 1538年 4月29日
伊東義祐が偏諱の礼として足利義晴に30000疋(300貫)、伊勢貞孝に5000疋(50貫)を進上する。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文7年 1538年 5月1日
伊勢貞孝が体調不良につき幕府に出仕せず。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文7年 1538年 5月12日
尊海が朝鮮国に大蔵経を求める使節の副使として博多(筑前国)に赴く。
出典:『大願寺尊海渡海日記』

天文7年 1538年 5月22日
蜷川親俊が清水寺に参詣する。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文7年 1538年 5月24日
蜷川親俊が北野社に参詣する。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文7年 1538年 6月1日
伊勢貞孝が体調不良につき幕府に出仕せず。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文7年 1538年 6月4日
六角定頼が鎌刃城(近江国)を落とす。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文7年 1538年 6月7日
足利義晴が御殿の葺替えにつき10000疋(100貫)を支出する。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

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