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永禄5年 1562年 11月10日
毛利元就隆元父子が熊谷信直に古志400貫文の地を給付する。
出典:永禄5年11月10日付毛利元就・隆元連署判物(『大日本古文書』家わけ14「熊谷家文書」142号)

永禄5年 1562年 12月-日
青蓮院尊朝が得度する。
出典:『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』)

永禄5年 1562年 冬月-日
足利義輝が御所の周囲に堀を掘る。
出典:『厳助往年記』永禄6年2/4条

永禄5年 1562年 -月-日
子・氏直が生まれる。
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永禄5年 1562年 -月-日
孫・氏直が生まれる。
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永禄5年 1562年 -月-日
六角家の家督を六角義賢が、子・義弼に譲る。
出典:『足利季世記』巻6「江州動乱之事」

永禄6年 1563年 -月-日
加藤嘉明三河国にて生まれる。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第773「加藤嘉明」の項

永禄6年 1563年 -月-日
尊政が生まれる。
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永禄6年 1563年 -月-日
京極高次が生まれる。
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永禄6年 1563年 -月-日
上田重安が生まれる。
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永禄6年 1563年 -月-日
福留新九郎が生まれる。
福富半右衛門親政法名浄安覚書』に勝端合戦(天正10年 1582年)で戦死し、享年20歳と記載されていることから逆算して永禄6年(1563)を生年とした。
出典:『福富半右衛門親政法名浄安覚書

永禄6年 1563年 -月-日
大島光政が生まれる。
*『寛政重修諸家譜』巻第73「大島光政」の項の没年・享年記載より逆算。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第73「大島光政」の項

永禄6年 1563年 -月-日
寺沢広高が尾張国にて生まれる。
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永禄6年 1563年 -月-日
永井直勝が生まれる。
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永禄6年 1563年 -月-日
谷衛友が生まれる。
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永禄6年 1563年 -月-日
小野木重次が生まれる。
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永禄6年 1563年 -月-日
坂崎直盛が生まれる。
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永禄6年 1563年 -月-日
宍戸元続が生まれる。
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永禄6年 1563年 -月-日
跡部久次が生まれる。
*『寛政重修諸家譜』巻第173「跡部久次」の項の享年・没年記載より逆算。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第173「跡部久次」の項

永禄6年 1563年 1月20日
武田信玄が軍勢35000をもって上野国に侵攻する。
出典:『上野国群馬郡箕輪軍記上』

永禄6年 1563年 1月27日
禁裏の小御所において、足利義輝の命により仁王会が執行され、聖護院道澄が導師を勤める。
出典:『厳助往年記』同年月日条

永禄6年 1563年 1月27日
松永久秀多武峰へ攻め入るも敗れて壺坂まで撤退する。
出典:『厳助往年記』同年月日条

永禄6年 1563年 1月-日
大友宗麟が丹生島(豊後国)に築城をするにつき縄張りを打つ。
出典:『豊薩軍記』巻1「丹生島築城之事」

永禄6年 1563年 2月15日
武田信玄が新堀城(上野国)を攻める。
出典:『上野国群馬郡箕輪軍記上』

永禄6年 1563年 2月22日
武田信玄が長野業盛の籠る箕輪城(上野国)を攻め、同城を落とす。
出典:『上野国群馬郡箕輪軍記上』

永禄6年 1563年 3月1日
細川晴元が普門寺(摂津国)にて死去する。
出典:『足利季世記』巻6「晴元逝去之事」

永禄6年 1563年 6月27日
権中納言となる。
出典:『系図纂要』「葉室」

永禄6年 1563年 6月-日
丹生島城(豊後国)が完成する。
出典:『豊薩軍記』巻1「丹生島築城之事」

永禄6年 1563年 7月2日
この日から足利義輝の御所にて厳助が六字護摩を修す。
出典:『厳助大僧正記』同年月日条

永禄6年 1563年 7月6日
左大弁となる。
出典:『系図纂要』「柳原」

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