永禄5年 1562年 -月-日 |
能勢頼次が生まれる。 *『寛政重修諸家譜』巻第272「能勢頼次」の項の没年・享年記載より逆算。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第272「能勢頼次」の項 |
永禄5年 1562年 -月-日 |
伊勢貞興が生まれる。 |
出典:- |
永禄5年 1562年 -月-日 |
村越直吉が生まれる。 |
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永禄5年 1562年 -月-日 |
竹中重利が死去する。 |
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永禄5年 1562年 -月-日 |
仁賀保挙誠が出羽国にて生まれる。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第205「仁賀保挙誠」の項 |
永禄5年 1562年 -月-日 |
仁賀保重挙が生まれる。 *『寛政重修諸家』巻大205「仁賀保重挙」の項にみる没年・享年記載より逆算。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第205「仁賀保重挙」の項 |
永禄5年 1562年 1月12日 |
前田利長が生まれる。 |
出典:- |
永禄5年 1562年 1月13日 |
前久に改名する。 |
出典:『系図纂要』「近衛家」 |
永禄5年 1562年 1月18日 |
北向道陳が死去する。 |
出典:『今井宗久茶湯書抜』同年月日条 |
永禄5年 1562年 1月23日 |
大坂本願寺寺内町にて火災が起こり2000軒余が焼失する。 |
出典:『厳助大僧正記』同年月日条 |
永禄5年 1562年 1月25日 |
堺で火災が起こり500軒余が焼失する。 |
出典:『厳助往年記』同年月日条 |
永禄5年 1562年 2月4日 |
徳川家康が鵜殿長照の籠る上ノ郷城(三河国)を攻め、同城を攻め落とす。長照は戦死する。 |
出典:- |
永禄5年 1562年 3月5日 |
久米田(河内国)にて畠山高政・安見宗房・遊佐信教・根来寺衆と三好実休が戦い、実休が戦死する。実休の辞世「草からす 霜又今朝ノ 日に消て 報の程は 終にのかれず」。 この戦いにより高屋城(河内国)が落ちるとともに、三好長慶の居城・飯盛山城を除く河内国の三好方の諸城が畠山高政方に靡く。 |
出典:『厳助往年記』同年月6日条、『足利季世記』巻6「久米田合戦之事」 |
永禄5年 1562年 3月6日 |
三好実休が戦死したため、安宅冬康は在番していた岸和田城(和泉国)を放棄する。同城は畠山高政の支配下となる。 足利義輝が慶寿院とともに八幡(山城国)に移る。 六角義賢が勝軍地蔵城(山城国)から清水坂に陣を移す。 三好長慶は山崎(山城国)に撤退する。 |
出典:『足利季世記』巻6「久米田合戦之事」 |
永禄5年 1562年 4月8日 |
北条氏堯が死去する。 |
出典:- |
永禄5年 1562年 4月-日 |
足利義輝の調停により毛利元就と大友義鎮が和睦する。 |
出典:『桂岌円覚書』 |
永禄5年 1562年 5月5日 |
筒井定次が生まれる。 |
出典:- |
永禄5年 1562年 5月24日 |
三好義興、安宅冬康、松永久秀、三好長逸、三好長虎、三好盛政、三好政勝率いる軍勢8000が教興寺(河内国)に出陣する。 |
出典:『足利季世記』巻6「教興寺合戦之事」 |
永禄5年 1562年 5月-日 |
賀留美(美濃国)にて織田信長と斎藤龍興が戦う。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第263「池田信輝」の項 |
永禄5年 1562年 6月24日 |
加藤清正が生まれる。 |
出典:- |
永禄5年 1562年 -月-日 |
大友義鎮が大徳寺の僧・怡雲悦和尚を府内(豊後国)に招請する。 |
出典:『豊薩軍記』巻1「丹生島築城之事」 |
永禄5年 1562年 7月26日 |
松平元心が死去する。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第27「松平元心」の項 |
永禄5年 1562年 8月25日 |
伊勢貞孝・貞良父子、奉公衆、牢人衆が北山杉坂口(山城国)より京都に入る。 |
出典:『永禄以来年代記』(『続群書類従』第29輯下) |
永禄5年 1562年 8月28日 |
伊勢貞孝が室町まで乱入する。 |
出典:『永禄以来年代記』(『続群書類従』第29輯下) |
永禄5年 1562年 8月29日 |
伊勢貞孝が室町まで乱入する。 |
出典:『永禄以来年代記』(『続群書類従』第29輯下) |
永禄5年 1562年 9月1日 |
毛利元就・隆元父子が熊谷信直に山代五ヶ村の内250貫文の地を給付する。 |
出典:永禄5年9月1日付毛利元就・隆元連署判物(『大日本古文書』家わけ14「熊谷家文書」140号) |
永禄5年 1562年 9月11日 |
北山(山城国)にて伊勢貞孝と松永久秀が戦い、貞孝が戦死する。伊勢方は本郷判官、有馬源二郎、結城将監等が戦死する。 |
出典:『永禄以来年代記』(『続群書類従』第29輯下) |
永禄5年 1562年 9月29日 |
八幡佐脇にての戦いに参加する。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第65「酒井忠次」の項 |
永禄5年 1562年 -月-日 |
大友義鎮が剃髪し、宗麟と号す。宗麟に倣い、家臣の田原親賢、志賀伊予守、戸次鑑連も出家し、紹忍、道輝、道雪と号す。 |
出典:『豊薩軍記』巻1「丹生島築城之事」 |
永禄5年 1562年 11月5日 |
毛利元就が本城常光を殺害する。 |
出典:- |