永禄4年 1561年 7月12日 |
廻城(大隅国)にて島津義久と肝付兼続が戦う。島津忠将が戦死する。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第109「島津忠将」の項 |
永禄4年 1561年 7月28日 |
六角義賢が細川晴元の次男を擁立し、畠山高政、安見宗房、遊佐信教、根来寺衆と示し合わせて勝軍地蔵城(山城国)にて軍勢10000程で蜂起する。 |
出典:『永禄四年古記録甲』(北野天満宮史料刊行会、北野天満宮、1980年)、『足利季世記』巻5「勝軍地蔵山合戦之事」 |
永禄4年 1561年 7月29日 |
六角義賢の軍勢1000が東山(山城国)に出張る。三好長慶勢は出勢せず。 |
出典:『永禄四年古記録甲』(北野天満宮史料刊行会、北野天満宮、1980年) |
永禄4年 1561年 7月29日 |
開口神社で祭礼が行われる。 |
出典:1561年8月17日付ガスパル・ビレラ書簡(『異国叢書』1) |
永禄4年 1561年 7月30日 |
六角義賢勢と三好長慶勢が戦う。 |
出典:『永禄四年古記録甲』(北野天満宮史料刊行会、北野天満宮、1980年) |
永禄4年 1561年 -月-日 |
畠山高政・根来寺衆・紀伊国衆が岸和田(和泉国)に出陣し、安見宗房・遊佐信教もそれに応じるとの報をうけ、高屋城(河内国)に在番していた三好実休が大将として安宅冬康・三好康長・三好政勝・三好盛政・吉成勘助・篠原長房の軍勢7000を率い畠山勢と対陣する。 |
出典:『足利季世記』巻5「勝軍地蔵山合戦之事」 |
永禄4年 1561年 8月19日 |
六角義賢勢と三好長慶勢が戦う。 |
出典:『永禄四年古記録乙』(北野天満宮史料刊行会、北野天満宮、1980年) |
永禄4年 1561年 8月24日 |
権中納言となる。 |
出典:『系図纂要』「一条」 |
永禄4年 1561年 8月-日 |
木下秀吉とねねの婚儀が執り行われる。 |
出典:- |
永禄4年 1561年 9月10日 |
川中島(信濃国)にて武田信玄と上杉政虎が戦う。武田勢:武田信繁(戦死)、室住虎光(戦死)、山本晴幸(戦死)、初鹿野忠次(戦死)、油川信吉[戦死]、田沢正俊(戦死)、山高親之(信繁の首級奪還)。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第147「油川信吉」、同巻第150「田沢正俊」の項、同巻第160「山高親之」の項 |
永禄4年 1561年 10月8日 |
コスモ・デ・トルレスの書簡に堺が「甚だ富み多数の住民あり、ベニスの如き政治を行う所なり」と記される。 |
出典:1561年8月17日付ガスパル・ビレラ書簡(『異国叢書』1) |
永禄4年 1561年 10月20日 |
六角義賢勢と三好長慶勢が戦う。 |
出典:『永禄四年古記録乙』(北野天満宮史料刊行会、北野天満宮、1980年) |
永禄4年 1561年 10月26日 |
東河原(山城国)にて六角義賢勢と三好長慶勢が戦う。 |
出典:『永禄四年古記録乙』(北野天満宮史料刊行会、北野天満宮、1980年) |
永禄4年 1561年 10月28日 |
東河原(山城国)にて六角義賢勢と三好長慶勢が戦う。小泉山城守が戦死する。 |
出典:『永禄四年古記録乙』(北野天満宮史料刊行会、北野天満宮、1980年) |
永禄4年 1561年 10月-日 |
織田信長の命により前田利家が兄・利久に替り前田家の家督を相続する。 |
出典:『系図纂要』「前田家」 |
永禄4年 1561年 -月-日 |
勝軍地蔵城(山城国)に入った永原安芸守率いる六角勢10000に対処すべく京都の三好勢の総大将として三好義興が梅津(山城国)に在陣する。松永久秀が西院(山城国)に在陣する。 |
出典:『足利季世記』巻5「勝軍地蔵山合戦之事」 |
永禄4年 1561年 11月1日 |
吉川広家が生まれる。 |
出典:- |
永禄4年 1561年 11月22日 |
長野業正が死去する。 |
出典:- |
永禄4年 1561年 11月24日 |
三好義興・松永久秀が勝軍地蔵城(山城国)に攻め寄せ六角義賢と交戦する。三好勢は城を落とすことができずに撤退する。この戦いで、六角方は永原安芸守が、三好方は三郷主膳助が戦死する。 |
出典:『足利季世記』巻5「勝軍地蔵山合戦之事」 |
永禄4年 1561年 -月-日 |
六角義賢が布陣する神楽岡(山城国)に攻め寄せた松永久秀を破る。撤退する久秀を追撃しようとするが蒲生定秀に制止され追撃をやめる。 |
出典:『足利季世記』巻5「神楽岡合戦並当流弓ノ根本之事」 |
永禄4年 1561年 12月-日 |
上杉政虎が足利義輝の偏諱を受け、輝虎と名を改める。 |
出典:- |
永禄4年 1561年 -月-日 |
子・長岡義重が生まれる。 |
出典:『綿考輯録』巻1 |
永禄4年 1561年 -月-日 |
石ヶ瀬(尾張国)にて徳川家康と水野信元が戦う。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第120「清和源氏 義時流 石川」「石川数正」の項 |
永禄4年 1561年 -月-日 |
粟屋元親が死去する。 |
出典:- |
永禄4年 1561年 -月-日 |
秋鹿政朝が徳川家康に仕える。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第965「秋鹿政朝」の項 |
永禄4年 1561年 -月-日 |
梅戸高実が死去する。 |
出典:- |
永禄4年 1561年 -月-日 |
権中納言に任官。 |
出典:『系図纂要』「九条家」 |
永禄5年 1562年 -月-日 |
長束正家が生まれる。 |
出典:- |
永禄5年 1562年 -月-日 |
北条氏直が生まれる。 |
出典:- |
永禄5年 1562年 -月-日 |
渡辺了が生まれる。 |
出典:- |