永禄6年 1563年 7月6日 |
毛利隆元が厳島(安芸国)に赴く。聖護院道増に暇乞いをする。 |
出典:『桂岌円覚書』 |
永禄6年 1563年 7月7日 |
毛利隆元が廿日市(安芸国)に到着する。 |
出典:『桂岌円覚書』 |
永禄6年 1563年 7月8日 |
毛利隆元が廿日市(安芸国)を発つ。 |
出典:『桂岌円覚書』 |
永禄6年 1563年 7月10日 |
毛利隆元が吉田郡山城(安芸国)の城下・多治比に到着する。 |
出典:『桂岌円覚書』 |
永禄6年 1563年 7月11日 |
毛利隆元が子・幸鶴丸と会う。 |
出典:『桂岌円覚書』 |
永禄6年 1563年 7月12日 |
毛利隆元が佐々部(安芸国)に陣を張り、白鹿城(出雲国)を攻めるべく、8月5日までに参集するよう国衆・家中に軍勢催促をする。 |
出典:『桂岌円覚書』 |
永禄6年 1563年 7月-日 |
毛利元就が尼子義久を志路村(安芸国)に置く。月山富田城(出雲国)に天野隆重を置き、南条城(伯耆国)に杉原盛重を置く。 |
出典:『毛利元就記』 |
永禄6年 1563年 8月4日 |
毛利隆元が佐々部(安芸国)にて死去する。 |
出典:『桂岌円覚書』 |
永禄6年 1563年 8月18日 |
延暦寺東塔東谷正覚坊重盛が、上杉政虎の武運長久の祈祷を根本中堂において行う。 |
出典:(永禄6年)8月18日付正覚坊重盛書状(「上杉家文書」『上越市史 別編1 上杉氏文書集一』-348号) |
永禄6年 1563年 8月21日 |
日吉社退転につき復興のための勧進を許可する綸旨が発給される。 |
出典:永禄6年8/21付正親町天皇綸旨案(『桂林集』) |
永禄6年 1563年 8月25日 |
三好義興が黄疽という病により芥川山城(摂津国)にて死去する。義興の死により三好義継が三好長慶の後継となる。 |
出典:『足利季世記』巻6「晴元逝去之事」 |
永禄6年 1563年 8月25日 |
子・義興が黄疽という病により芥川山城(摂津国)にて死去する。義興の死により十河一存の子・義継を後継とする。 |
出典:『足利季世記』巻6「晴元逝去之事」 |
永禄6年 1563年 9月3日 |
三河国で一向一揆が蜂起し、徳川家康と争う。 |
出典:『大谷嫡流実記』「顕如」の項 |
永禄6年 1563年 9月13日 |
日吉社退転につき復興のための勧進を許可する室町幕府奉行人奉書が発給される。 |
出典:永禄6年9/13付室町幕府奉行人奉書案(『桂林集』) |
永禄6年 1563年 9月26日 |
松井広之が死去する。 |
出典:『綿考輯録』巻1 |
永禄6年 1563年 -月-日 |
上野(三河国)にて徳川家康と一向一揆が戦う。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第100「清和源氏 義家流 足利支流 榊原」「榊原康政」の項 |
永禄6年 1563年 10月-日 |
六角義賢・義治父子が居城・観音寺城(近江国)を家臣に奪われる。 |
出典:『厳助往年記』同年条 |
永禄6年 1563年 11月2日 |
万里小路秀房が死去する。 |
出典:『系図纂要』「万里小路」 |
永禄6年 1563年 11月4日 |
宗達、今井宗久、宗可が松永久秀が催した茶会に参会する。 |
出典:『今井宗久茶湯書抜』同年月日条 |
永禄6年 1563年 11月13日 |
京都の一条にあった細川邸にて細川忠興が生まれる。 |
出典:『綿考輯録』巻1 |
永禄6年 1563年 11月13日 |
京都の一条にあった細川邸にて子・忠興が生まれる。 |
出典:『綿考輯録』巻1 |
永禄6年 1563年 11月20日 |
小笠原広重が一向一揆への備えとして土呂(三河国)、八面(三河国)、大草(三河国)、針崎(三河国)を守備する。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第191「清和源氏 義光流 小笠原」「小笠原広重」の項 |
永禄6年 1563年 11月-日 |
小笠原安元が磯城(三河国)を守備する。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第202「小笠原安元」の項 |
永禄6年 1563年 12月14日 |
松永久秀が家督を子・久通に譲る。 |
出典:『厳助往年記』同年月21日条 |
永禄6年 1563年 12月20日 |
細川氏綱が淀城(山城国)にて死去する。 |
出典:『足利季世記』巻6「晴元逝去之事」 |
永禄6年 1563年 12月21日 |
親王宣下を受ける。 |
出典:『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
永禄6年 1563年 2月-日 |
池田長正が死去する。 |
出典:『池田氏家譜集成』 |
永禄6年 1563年 -月-日 |
上野信孝が死去する。 |
出典:- |
永禄6年 1563年 -月-日 |
子・尊政が生まれる。 |
出典:- |
永禄6年 1563年 -月-日 |
榊原康政が徳川家康より偏諱を受け康政と名乗る。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第100「清和源氏 義家流 足利支流 榊原」「榊原康政」の項 |