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出典 :   


永禄6年 1563年 -月-日
今川氏真への松平元康の人質として松平康俊駿府城(駿河国)に赴く。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第53「松平康俊」の項

永禄7年 1564年 -月-日
武田信俊が生まれる。
*『寛政重修諸家譜』巻第146「武田信俊」の項の没年・享年より逆算。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第146「武田信俊」の項

永禄7年 1564年 -月-日
酒井家次が三河国にて生まれる。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第65「酒井家次」の項

永禄7年 1564年 -月-日
一柳直盛が美濃国厚見郡にて生まれる。
出典:-

永禄7年 1564年 -月-日
青木信安が生まれる。
*『寛政重修諸家譜』巻第161「青木信安」の項の没年・享年記載より逆算。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第161「青木信安」の項

永禄7年 1564年 -月-日
林正利が生まれる。
*『寛政重修諸家譜』巻第770「林正利」の項の没年・享年記載より逆算。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第770「林正利」の項

永禄7年 1564年 -月-日
折井次忠が生まれる。
*『寛政重修諸家譜』巻第166「折井次忠」の項にみえる没年・享年記載より逆算。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第166「折井次忠」の項

永禄7年 1564年 -月-日
野呂守景が生まれる。
*『寛政重修諸家譜』巻第1153「野呂守景」の項にみえる没年・享年記載より逆算。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第1153「野呂守景」の項

永禄7年 1564年 -月-日
内藤正成が生まれる。
出典:-

永禄7年 1564年 1月11日
浦上政宗が室山城(播磨国)で黒田職隆の娘と婚礼をする。当日、赤松政秀の襲撃を受け死去する。
出典:-

永禄7年 1564年 1月22日
顕尊が生まれる。
出典:『大谷嫡流実記』「顕尊」の項

永禄7年 1564年 2月25日
山口重政が尾張国にて生まれる。
出典:-

永禄7年 1564年 3月5日
土佐光茂山科言継に命じられた扇(金銀末広)3本を納品する。
出典:『言継卿記』同年月日条

永禄7年 1564年 3月6日
山科言継が南都に赴くため京都を発つ。宇治市場桶屋にて昼休み。木津にて渡し船がなかったため修南院に伝えたところ輿で迎えにやってくる。未下刻に春日社但馬屋に到着する。
出典:『言継卿記』同年月日条

永禄7年 1564年 3月7日
山科言継が南都を出て転害へ経て、巳刻(9-11時)に転害を発ち輿にて木津まで赴く。木津よりは馬に乗り、宇治市場桶屋にて昼休みしたのち京に帰る。
出典:『言継卿記』同年月日条

永禄7年 1564年 3月9日
五辻が山科言継より借用していた『皇年代記』を言継に返却する。
出典:『言継卿記』同年月日条

永禄7年 1564年 3月-日
浅井長政が軍勢6000を率い美濃国に攻め入る。
出典:『江濃記』「道三最後之事」

永禄7年 1564年 3月14日
島津貴久が陸奥守に任官。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第108「島津貴久」の項

永禄7年 1564年 3月14日
従五位下・修理大夫に叙位・任官。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第108「島津義久」の項

永禄7年 1564年 3月22日
六角承禎が軍勢14000をもって佐和山城(近江国)を包囲する。
出典:『江濃記』「佐々木承禎出張事」

永禄7年 1564年 3月-日
徳川家康本願寺顕如が和睦する。
出典:『大谷嫡流実記』「顕如」の項

永禄7年 1564年 4月7日
徳川家康小笠原安元、小笠原広重に三河国幡豆郡内にて所領を給付する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第202「小笠原安次」の項

永禄7年 1564年 4月23日
土佐光茂山科言継に命じられた扇(末広両金)・小扇(両金)3本を納品する。
出典:『言継卿記』同年月日条

永禄7年 1564年 5月9日
三好長慶飯盛山城(河内国)にて弟・安宅冬康を呼び出し、冬康を自害させる。
出典:『言継卿記』永禄同年月10日条、『足利季世記』巻6「冬康生害之事」

永禄7年 1564年 5月-日
慶寿院が伊勢社に参宮する。供は細川藤孝
出典:『綿考輯録』巻1

永禄7年 1564年 6月1日
実従が死去する。
出典:『大谷本願寺通紀』巻第2「歴世宗主伝第二」

永禄7年 1564年 6月-日
松平元康小原鎮実の籠る吉田城(三河国)を攻める。
徳川勢:酒井忠次(先陣)、松平清宗(首級5)、松平家忠
今川勢:。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第21「松平清宗」の項、同23「松平家忠」の項、同65「酒井忠次」の項

永禄7年 1564年 6月22日
松平元康酒井忠次吉田城(三河国)城主とする。
元康が三河国内の国衆を二手に分け、忠次を東三河の国衆の旗頭に、石川家成を西三河の国衆の旗頭とする。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第65「酒井忠次」の項

永禄7年 1564年 6月26日
蜂屋貞次が死去する。
出典:-

永禄7年 1564年 6月30日
山科言継誓願寺に参詣し新造の庫裏を見物する。
出典:『言継卿記』同年月日条

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