人 物 史

谷衛友 たに もりとも
生 没 年永禄6年(1563)-寛永4年(1627)12/23
出 身美濃国幼 名-
別 称甚太郎
法 名-
戒 名常照院殿心爺荒鉄大居士
谷衛好-
兄 弟 姉 妹谷孫一郎、谷民部、谷衛友、谷伯耆、女
配 偶 者木下左近将監の娘
谷衛成、谷吉長、谷衛勝、谷衛政、谷衛長、谷衛冬、谷虎之助、谷兵左衛門、娘(園基音の妻)、娘(谷主膳の妻)、娘(沢瀬加兵衛の妻)、娘(藤江元園の妻)
官 位出羽守
役 職-
城 郭-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ史料にみえる谷衛友の呼称
谷衛友 年表
永禄6年 1563年 -月-日 1歳
谷衛友が生まれる。
出典:-

元亀1年 1570年 4月23日 8歳
「永禄」より「元亀」に年号が改まる。
出典:-

天正1年 1573年 7月28日 11歳
「元亀」より「天正」に年号が改まる。
出典:-

天正10年 1582年 6月2日 20歳
本能寺に宿泊中の織田信長を、早朝、明智光秀が襲撃する。信長は自害する。また、光秀は二条殿に籠城する織田信忠とその小姓勢を討ち取る。
信長勢:森成利(戦死)、福富秀勝(戦死)、野々村正成(戦死)。
信忠勢:村井貞勝(戦死)、菅屋長頼(戦死)、織田信房(戦死)。
出典:『多聞院日記』同年月日・3日条

文禄1年 1592年 12月8日 30歳
「天正」より「文禄」に年号が改まる。
出典:-

慶長1年 1596年 10月27日 34歳
「文禄」より「慶長」に元号が改まる。
出典:-

慶長3年 1598年 8月18日 36歳
豊臣秀吉が死去する。
出典:『当代記』巻3同年月日条

慶長5年 1600年 7月15日 38歳
長束正家増田長盛前田玄以大坂城(摂津国)惣構の各口番手を定める。浜の橋…毛利高政、高麗橋…高田治忠藤懸永勝、平野町橋…宮城豊盛、かんとうし町橋…服部正栄、うなき谷町橋・横橋…小野木重次、天王寺口…横浜茂勝、甲津口…上田重安、南方ほりつめの口…奥山正之、平野口新屋…小出吉政、玉造口…多賀秀種杉若氏宗、京口小橋…谷衛友、中の渡…山崎家盛、福島口…山崎定勝、天王寺南口…石川貞通、天王寺平野口…赤松上総介、天王寺小坂水所…木下秀規、大和口…川尻秀長、福島川口…脇坂安治菅三郎兵衛・菅右衛門八。
出典:『当代記』巻3

慶長5年 1600年 7月20日 38歳
小野木重次率いる軍勢15000が細川幽斎の籠る田辺城(丹後国)を包囲する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第105「清和源氏 義家流 足利庶流 細川」「細川藤孝」の項、『黒田家譜』巻9「長政記」

慶長5年 1600年 7月21日 38歳
小野木重次谷衛友、石川備後守、藤懸永勝、長谷川勝富、川勝秀氏、生駒一正、木下延俊、赤松道広、杉原長房、別所重友、小出吉政山崎家盛毛利高政高田治忠、早川長政、中川秀成等が率いる軍勢15000が細川幽斎の籠る田辺城(丹後国)を攻めるべく、城近辺に陣取る。
出典:『田辺城合戦記』

慶長5年 1600年 7月23日 38歳
小野木重次細川幽斎の籠る田辺城(丹後国)を西より攻める。
出典:『田辺城合戦記』

慶長5年 1600年 7月24日 38歳
小野木重次細川幽斎の籠る田辺城(丹後国)に東西より鉄砲を放つ。
出典:『田辺城合戦記』

慶長5年 1600年 7月25日 38歳
小野木重次細川幽斎の籠る田辺城(丹後国)に西より鉄砲を放ち、搦め手口を攻める。幽斎勢が退ける。
出典:『田辺城合戦記』

慶長5年 1600年 7月26日 38歳
小野木重次細川幽斎の籠る田辺城(丹後国)を東西より攻める。幽斎勢が退ける。
出典:『田辺城合戦記』

慶長5年 1600年 9月12日 38歳
小野木重次率いる軍勢15000が細川幽斎の籠る田辺城(丹後国)を包囲する中、藤孝が死に古今伝授が途絶えることを危惧した禁裏が、勅使として中院通勝・三条実脩・烏丸光広を遣わし、幽斎に降伏を説く。幽斎は勅使の説得を受け入れ田辺城を開城し、亀山城(丹波国)に移る。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第105「清和源氏 義家流 足利庶流 細川」「細川藤孝」の項

慶長8年 1603年 2月12日 41歳
朝廷にて徳川家康の征夷大将軍就任および右大臣転任についての陣儀が行われる。家康を淳和奨学院別当、源氏長者、牛車兵杖等に宣下することに決まる。陣儀の上卿が伏見の家康邸に赴き、家康に征夷大将軍就任の旨を言い渡し、家康が征夷大将軍となる。
池田輝政が右近衛少将に、板倉勝重が従五位下・伊賀守に叙位・任官。
出典:『慶長日件録』同年月日条、『当代記』巻3同年月日条

慶長18年 1613年 1月2日 51歳
豊臣秀頼の名代・速水守久(取次・大沢基宿)、日野唯心水無瀬一斎山名禅高、畠山左近、土岐市正、西尾豊後守、遠藤慶隆竹中重門古田重治、稲葉方通、谷衛友、平野長泰、長谷川縫殿助、片桐且元片桐貞隆駿府城(駿河国)にいる徳川家康に年始の礼をする。
医者衆が家康に年始の礼をする。
宗義智の名代・柳川智永、京・堺・大坂・奈良・伏見の町人が家康に年始の礼をする。
夜、謡始が行われ、家康、徳川義利徳川頼宣、徳川頼房、唯心、禅高、永井直勝本多正純が出席する。観世大夫、梅若大夫に服2領が下付される。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長19年 1614年 7月20日 52歳
飛鳥井中納言が新歌撰写を家康に献上する。
谷衛友駿府城(駿河国)にいる徳川家康に対面する。江戸(武蔵国)詰めのため家康が衛友に暇を下す。本多正純が披露する。
出典:『駿府記』同年月日条

元和1年 1615年 7月13日 53歳
「慶長」より「元和」に年号が改まる。
出典:『駿府記』同年月日条

元和2年 1616年 4月17日 54歳
徳川家康が死去する。
出典:-

寛永1年 1624年 2月30日 62歳
「元和」より「寛永」に年号が改まる。
出典:-

寛永4年 1627年 12月23日 65歳
谷衛友が死去する。
出典:-

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