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天正2年 1574年 1月17日
織田信長岐阜城(美濃国)にて細川藤孝、蒲生、青地、池田、松永久秀筒井順慶畠山昭高中川清秀、閉地、関、分部、平塚を饗応する。その席にて、信長が明智光秀の子を順慶の養子とすること、光秀の娘を津田信澄に嫁がせること、細川忠興に光秀の娘を嫁がせることを命じる。
出典:『綿考輯録』巻3

天正2年 1574年 1月19日
越前国守護代 桂田長俊が越前国国衆に殺害される。
出典:『信長公記』巻7(2)「前波生害、越前一揆蜂起の事」

天正2年 1574年 1月27日
多聞山城(大和国)の留守居番中の明智光秀のもとへ川西佐馬が礼に訪れる。
出典:『多聞院日記』同年月日条号

天正2年 1574年 1月27日
武田勝頼が明智城(美濃国)に攻め寄せる。
出典:『信長公記』巻7(3)「明智の城いいばさま謀叛の事」

天正2年 1574年 2月4日
生津荘公用について、善法寺が能村甚八郎より7貫文を借銭していたため、数十年にわたり能村が2倍の額の所務を徴収していたが、このたび5石を善法寺が能村に返却したので、公用は善法寺に直接納めるように明智光秀が同寺に伝える。
出典:『石清水文書之六 菊大路家文書』264号

天正2年 1574年 2月5日
織田信長信忠父子が武田勝頼勢に備えるため御嵩(美濃国)に陣取る。
出典:『信長公記』巻7(3)「明智の城いいばさま謀叛の事」

天正2年 1574年 2月6日
織田信長信忠父子が神箆(美濃国)に陣取る。
出典:『信長公記』巻7(3)「明智の城いいばさま謀叛の事」

天正2年 1574年 2月8日
臼杵鑑速が死去する。
出典:『豊薩軍記』巻1「大友宗麟禅法帰依並無辺事」

天正2年 1574年 2月8日
松平秀康が遠江国敷知郡宇布見村にて生まれる。
出典:-

天正2年 1574年 2月21日
筒井順慶が岐阜(美濃国)に向けて出発する。
出典:『多聞院日記』同年月日条

天正2年 1574年 2月-日
武田勝頼が明智城(美濃国)を落とす。
出典:『信長公記』巻7(3)「明智の城いいばさま謀叛の事」

天正2年 1574年 2月24日
織田信長信忠父子が岐阜城(美濃国)に帰城する。
出典:『信長公記』巻7(3)「明智の城いいばさま謀叛の事」

天正2年 1574年 2月24日
右大臣に就任する。
出典:『系図纂要』「九条家」

天正2年 1574年 2月29日
筒井順慶が岐阜(美濃国)より大和国に戻る。
出典:『多聞院日記』同年3月1日条

天正2年 1574年 2月-日
織田信長が、武田勝頼に備えるべく小里城(美濃国)に池田恒興を、神箆城(美濃国)に川尻秀隆を置く。
出典:『信長公記』巻7(3)「明智の城いいばさま謀叛の事」

天正2年 1574年 2月-日
鷺森(紀伊国)に御坊を建立する。
出典:『大谷本願寺通紀』巻2「証如」の項

天正2年 1574年 3月5日
武田信虎が死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第145「清和源氏 義光流 武田」「武田信虎」の項

天正2年 1574年 3月8日
筒井順慶、高田、岡、箸尾が上洛する。
出典:『多聞院日記』同年月日条

天正2年 1574年 3月9日
柴田勝家多聞山城(大和国)の留守居番替として多くの軍勢を引き連れ同城に入城する。
出典:『多聞院日記』同年月日条

天正2年 1574年 3月10日
柴田勝家興福寺に使者を遣わし奈良(大和国)の支配を織田信長より命じられたことを伝える。
出典:『多聞院日記』同年月日条

天正2年 1574年 3月11日
上杉謙信が、越後国の者は高野山参詣の際、無量光院を宿坊とすることを同院に誓う。
出典:天正3年3月11日付上杉謙信定書(「無量光院文書」『上越市史』資料編3-891号)

天正2年 1574年 3月12日
織田信長が上洛するため岐阜城(美濃国)を発す。
出典:『信長公記』巻7(3)「明智の城いいばさま謀叛の事」

天正2年 1574年 3月13日
織田信長の上洛につき、朝、筒井順慶が上洛する。
出典:『多聞院日記』同年月日条

天正2年 1574年 3月13日
浦上宗景と手切れとなった宇喜多直家が盟を結んだ原田佐高に起請文を提出する。
出典:同年月日付宇喜多直家血判起請文(「肥後原田文書」)

天正2年 1574年 3月14日
織田信長佐和山城(近江国)に滞在する。
出典:『信長公記』巻7(3)「明智の城いいばさま謀叛の事」

天正2年 1574年 3月14日
柴田勝家が寺社および奈良(大和国)の支配を織田信長より命じられたことを記した制札を打つ。
出典:『多聞院日記』同年月日条

天正2年 1574年 3月16日
織田信長が永原(近江国)に宿泊する。
出典:『信長公記』巻7(3)「明智の城いいばさま謀叛の事」

天正2年 1574年 3月17日
織田信長が志那(近江国)より坂本(近江国)に渡湖する。
出典:『信長公記』巻7(3)「明智の城いいばさま謀叛の事」

天正2年 1574年 3月17日
柴田勝家織田信長上洛につき、上洛する。
出典:『多聞院日記』同年月日条

天正2年 1574年 3月21日
筒井順慶が京都より大和国に戻る。
出典:『多聞院日記』同年月日条

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