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天正1年 1573年 9月26日
織田信長桑名(伊勢国)に軍勢を遣わし、一向一揆が立て籠る西別所城(伊勢国)の攻撃を佐久間信盛羽柴秀吉蜂屋頼隆丹羽長秀に命じ、同城を落とす。
出典:『信長公記』巻6(17)(「北伊勢発向、多芸山戦の事」)

天正1年 1573年 -月-日
宇喜多直家が沼城(備前国)より岡山城(備前国)に居城を移す。
出典:『備前軍記』4「宇喜多直家岡山の城へ移る事」

天正1年 1573年 10月6日
一向一揆が立て籠る坂井城(伊勢国)を柴田勝家滝川一益が包囲し、同城が降伏する。
出典:『信長公記』巻6(17)(「北伊勢発向、多芸山戦の事」)

天正1年 1573年 10月8日
織田信長が東別所(伊勢国)に陣を移す。伊坂氏、萱生氏、赤堀氏、田辺氏、桑部氏、南部氏、長深氏、田辺九郎次郎、中嶋勘解由左衛門が信長に人質を差し出し降伏する。降伏しなかった白山の中嶋将監のもとに佐久間信盛羽柴秀吉蜂屋頼隆丹羽長秀を遣わし、中嶋を破る。
出典:『信長公記』巻6(17)(「北伊勢発向、多芸山戦の事」)

天正1年 1573年 10月8日
平島荘(阿波国)にて足利義維が死去する。
出典:『阿州将裔記』「足利義冬より之系図」

天正1年 1573年 10月9日
権中納言となる。
出典:『系図纂要』「持明院」

天正1年 1573年 10月15日
島津勝久が沖浜(豊後国)にて死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第108「島津勝久」の項

天正1年 1573年 10月25日
織田信長が多芸山と長良川の間の節所を通行し願証寺(長島)に攻め入ろうとしたところ一向一揆勢の襲撃を受け撤退する。信長は大垣城(美濃国)に入る。
出典:『信長公記』巻6(17)(「北伊勢発向、多芸山戦の事」)

天正1年 1573年 10月26日
織田信長岐阜城(美濃国)に帰城する。
出典:『信長公記』巻6(17)(「北伊勢発向、多芸山戦の事」)

天正1年 1573年 10月-日
明智光秀が静原山に籠っていた山本対馬を調略により討ち取る。
出典:『信長公記』巻6(17)(「北伊勢発向、多芸山戦の事」)

天正1年 1573年 10月-日
織田信長の命により滝川一益が矢田城(伊勢国)に置かれる。
出典:『信長公記』巻6(17)(「北伊勢発向、多芸山戦の事」)

天正1年 1573年 11月4日
織田信長が上洛し、妙覚寺に宿泊する。
出典:『信長公記』巻6(18)(「三好左京大夫謀反の事」)

天正1年 1573年 11月-日
織田信長の命をうけた佐久間信盛三好義継の籠る若江城(河内国)を攻める。
織田信長勢:佐久間信盛[大将]、松井康之
三好義継勢:三好義継[大将]、金山武春、多羅尾右近、池田教正、野間佐吉、那須久右衛門、岡飛騨守、江川。
出典:『信長公記』巻6(18)(「三好左京大夫謀反の事」)、『綿考輯録』巻2

天正1年 1573年 11月-日
佐久間信盛三好義継の籠る若江城(河内国)を攻める。
織田信長勢:佐久間信盛[大将]、松井康之
三好義継勢:三好義継[大将]、金山武春、多羅尾右近、池田教正、野間佐吉、那須久右衛門、岡飛騨守、江川
義継家臣の多羅尾右近・池田教正・野間佐吉が信盛に内通し、金山武春を殺害して、若江城(河内国)城内に織田勢を引き入れる。
出典:『信長公記』巻6(18)(「三好左京大夫謀反の事」)

天正1年 1573年 11月16日
若江城(河内国)にて三好義継が自害する。那須久右衛門、岡飛騨守、江川が殉死する。
出典:『信長公記』巻6(18)(「三好左京大夫謀反の事」)

天正2年 1574年 11月22日
柿崎景家が死去する。
出典:-

天正1年 1573年 11月24日
織田信長妙覚寺において茶会を開く。千宗易今井宗久の点前にて、松井友閑、山上宗二を招く。
出典:『今井宗久茶湯書抜』同年月日条

天正1年 1573年 12月2日
織田信長岐阜城(美濃国)に帰城する。
出典:『信長公記』巻6(18)(「三好左京大夫謀反の事」)

天正1年 1573年 12月12日
安国寺恵瓊が岡山(備前国)に到着する。恵瓊は岡山城(備前国)にて宇喜多直家と面会し、広瀬城(播磨国)攻めについて談合する。
出典:(天文1年)12月12日付安国寺恵瓊書状(吉川家文書)

天正1年 1573年 12月25日
権大納言となる。
出典:『系図纂要』「勧修寺」

天正1年 1573年 12月-日
浅野長政羽柴秀吉より111石を給付される。
出典:天正1年12月吉日付羽柴秀吉判物(『浅野家文書』307号)

天正2年 1574年 -月-日
渋江政光が生まれる。
出典:-

天正2年 1574年 -月-日
杉原長房が近江国小谷にて生まれる。
出典:-

天正2年 1574年 -月-日
神尾守世が生まれる。
出典:-

天正2年 1574年 -月-日
酒依昌吉が生まれる。
*『寛政重修諸家譜』巻第174「酒依昌吉」の項の没年・享年記載より逆算。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第174「酒依昌吉」の項

天正2年 1574年 1月1日
岐阜城(美濃国)に諸国の武士が礼に訪れる。諸国衆の礼が終わった後、馬廻衆のみにて酒宴を開き、朝倉義景浅井久政浅井長政の首を薄濃にして衡立に載せ、それを酒の肴とする。
出典:『信長公記』巻7(1)「義景・浅井下野・浅井備前三人首御肴の事」

天正2年 1574年 1月1日
筒井順慶春日社に参詣する。
2日に岐阜(美濃国)に向けて出発するとされる。
出典:『多聞院日記』同年月日条

天正2年 1574年 1月5日
正二位に叙される。
出典:『系図纂要』「飛鳥井」

天正2年 1574年 1月11日
多聞山城(大和国)の留守の番替えとして明智光秀が入城する。
出典:『多聞院日記』同年月日条号

天正2年 1574年 1月15日
筒井順慶が岐阜(美濃国)より大和国に戻る。
出典:『多聞院日記』同年月16日条

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