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天文5年 1536年 6月12日
足利義晴が、石清水八幡宮領の洛中三条東洞院と烏丸間北の東西南北20丈の地について、足利義稙の時代には松田丹後守に屋敷地として下付されていたが、石清水八幡宮に還付する室町幕府奉行人連署奉書を発給する。署名は治部貞兼飯尾盛就
出典:同年月日付室町幕府奉行人連署下知状(『石清水文書』6-324号)

天文5年 1536年 6月26日
この頃までに木沢長政信貴山城(大和国)を築城し当城に移る。
出典:『天文日記』同年月日条

天文5年 1536年 6月29日
火災により長谷寺が焼失する。
出典:『厳助大僧正記』同年月日条

天文5年 1536年 7月11日
延暦寺と法華衆の確執について木沢長政進藤貞治が申し合わせをする。
出典:『巌助往年記 上』同年月日条

天文5年 1536年 7月23日
京都の法華衆寺院を攻める延暦寺の合力として六角定頼が東山(山城国)に布陣する。
出典:『巌助往年記 上』同年月日条

天文5年 1536年 7月26日
延暦寺衆徒3000を催し洛中の日蓮宗寺院を焼き討ちにする(天文法華の乱)。
出典:『足利季世記』巻四 法華乱之事

天文5年 1536年 7月27日
延暦寺衆徒、六角定頼が京都の法華宗寺院を攻撃する。これにより、上京の一条・小川あたりが焼け、誓願寺講堂が焼失する。下京も放火される。
出典:『巌助往年記』同年月日条

天文5年 1536年 7月27日
木沢長政が軍勢を催し天王寺まで出陣する。
出典:『私心記』同年月日条

天文5年 1536年 7月29日
木沢長政、三好長直、三好政長が中島(摂津国)に侵攻する。それにつき本願寺証如が長政に無事中島に侵入したことを祝う使者を送る(使者は藤井八郎左衛門尉)。その際、長政より本陣である天王寺より兵糧を中島に運び入れるにあたって、運搬のための船を所望され、また兵糧も少々所望される。証如は船5艘と飯を送る。この事件により大坂本願寺の備えを厚くするため、加賀四郡番衆が武具を購入したいので100貫の借用を願い出たので、証如は100貫を貸し与える。
出典:『天文日記』同年月日条、『私心記』同年月日条、『足利季世記』巻四 細川晴国最後ノ事

天文5年 1536年 8月1日
北条氏康・為昌兄弟が鶴岡八幡宮に参詣する。社内を巡見する。
出典:『快元僧都記』同年月日条

天文5年 1536年 8月2日
大道寺盛昌が江戸城(武蔵国)より鎌倉(相模国)に入る。
出典:『快元僧都記』同年月日条

天文5年 1536年 8月9日
木沢長政が、巳刻(9-11時)中島(摂津国)より天王寺に帰陣。その後、信貴山城(大和国)に帰る。
出典:『天文日記』同年月日条

天文5年 1536年 8月19日
足利義晴が五山に命じた水陸会が清水寺にて修される。
出典:『相国考記』同年月日条(相国寺史料編纂委員会編『相国寺史料』第1巻、思文閣出版、1984年)

天文5年 1536年 8月29日
細川晴国が三宅国村の裏切りにあい、天王寺(摂津国)にて自害する。
出典:-

天文5年 1536年 8月29日
大道寺盛昌が鶴岡八幡宮を訪れる。
出典:『快元僧都記』同年月日条

天文5年 1536年 8月-日
細川晴国が天王寺において自害する。
出典:『巌助往年記』同年月日条

天文5年 1536年 9月1日
大道寺盛昌が鶴岡八幡宮から小田原城(相模国)の屋敷に帰宅する。
出典:『快元僧都記』同年月日条

天文5年 1536年 9月2日
足利義晴が隠居を表明し、子・菊童丸に家督を譲る。政務について、奉行衆として大舘常興大舘晴光摂津元造細川高久海老名高助本郷光泰荒川氏隆朽木稙綱を指名する。
出典:『巌助往年記』同年月日条

天文5年 1536年 9月24日
細川晴元山崎(山城国)より上洛する。
出典:『巌助往年記』同年月日条

天文5年 1536年 10月2日
本願寺証如細川晴元の入洛を祝し太刀1腰・5合5荷・書状を送る。また木沢長政も入洛したので、長政へも太刀1腰・3種5荷・書状を送る。使者は横田出雲。
出典:『天文日記』同年月日条

天文5年 1536年 10月8日
出家し大悦と名乗る。
出典:『系図纂要』「久我」

天文5年 1536年 10月10日
北条氏綱氏康・為昌父子が玉縄城(相模国)に到着する。
出典:『快元僧都記』同年月日条

天文5年 1536年 10月11日
辰刻(7-9時)、北条氏綱氏康・為昌父子が鶴岡八幡宮に参詣する。
出典:『快元僧都記』同年月日条

天文5年 1536年 10月21日
土岐氏より願証寺(長島)へ合力要請があったため、願証寺が本願寺証如へ対応を尋ねてくる。証如は合力してはならないと返答する。
出典:『天文日記』同年月日条

天文5年 1536年 10月26日
4月3日の本願寺証如からの音信に対し、浦上政宗が備前国から返礼をし、この日、証如に礼状が届く。
出典:『天文日記』同年月日条

天文5年 1536年 11月1日
関白に再任される。
出典:『系図纂要』「近衛」

天文5年 1536年 11月7日
木沢長政が、夕方、に入る。
出典:『天文日記』同年月日条

天文5年 1536年 11月21日
武田信虎が海ノ口城(信濃国)を攻める。
出典:『享禄以来年代記』同年月日条(『続群書類従』第29輯下)

天文5年 1536年 11月21日
武田信虎が海ノ口城(信濃国)を攻める。武田晴信が参加する。
出典:『享禄以来年代記』同年月日条(『続群書類従』第29輯下)

天文5年 1536年 閏11月7日
木沢長政の京都より信貴山城(大和国)への帰城につき本願寺証如が3種5荷を贈る。
出典:『天文日記』同年月日条

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