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天文5年 1536年 12月17日
本願寺証如尼子経久にはじめて音信として太刀・馬代・織物1端・織色2端を贈る。
出典:『天文日記』同年月日条

天文5年 1536年 12月20日
11月に蓮淳本願寺証如より30貫をたまわったことへの礼として、証如に3種3荷を進上する。
出典:『天文日記』同年月日条

天文5年 1536年 12月23日
本願寺証如が浅井亮政・加賀四郡に六角定頼との和与が整った旨を伝える。
出典:『天文日記』同年月日条

天文5年 1536年 12月24日
大内義隆が日明貿易の輸出品として瑪瑙を本願寺証如に所望する。この日その使者が大坂本願寺に到着する。瑪瑙を証如が所持していない場合は加賀国那谷寺観音堂の下にあるので、取り寄せてもらうよう義隆が証如に依頼する。
出典:『天文日記』同年月日条

天文5年 1536年 12月26日
本願寺証如のもとに伊勢国坊主衆・門徒中より使者がやってくる。その使者に六角定頼との和与が調ったことを伝え、それを伊勢・尾張・美濃・三河に伝えるよう命じる。
出典:『天文日記』同年月日条

天文5年 1536年 12月27日
本願寺証如六角定頼との和与について、尽力してくれた木沢長政へ御礼の書状を送る。
出典:『天文日記』同年月日条

天文5年 1536年 12月28日
実淳本願寺証如より30貫を借用する。
出典:『天文日記』同年月日条

天文5年 1536年 12月29日
左少弁となる。
出典:『公卿補任』天文14年

天文5年 1536年 12月-日
「太元明王八臂像」を描き、巌助より300疋が支払われる。
出典:『巌助往年記 上』同年月条

天文5年 1536年 -月-日
清水寺にて大施餓鬼が行われる。
出典:『鹿苑日録』慶長2年9月28日条

天文6年 1537年 -月-日
下間頼廉が生まれる。
出典:-

天文6年 1537年 -月-日
徳大寺公維が生まれる。
出典:『系図纂要』「徳大寺」

天文6年 1537年 -月-日
加藤光泰が美濃国厚見郡今泉村橋詰にて生まれる。
出典:『加藤光泰貞泰軍功記』

天文6年 1537年 -月-日
松平伊忠が生まれる。
*『寛政重修諸家譜』巻第29「松平伊忠」の項の没年・享年より逆算。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第29「松平伊忠」の項

天文6年 1537年 -月-日
清水宗治が生まれる。
出典:-

天文6年 1537年 -月-日
西園寺公広が生まれる。
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天文6年 1537年 -月-日
大久保忠佐が生まれる。
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天文6年 1537年 -月-日
天野康景が生まれる。
出典:-

天文6年 1537年 -月-日
奥平定能が生まれる。
出典:-

天文6年 1537年 -月-日
真田信綱が生まれる。
出典:-

天文6年 1537年 -月-日
鈴木信光が生まれる。
*『寛政重修諸家譜』巻第1156「鈴木信光」の項にみえる没年・享年記載より逆算。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第1156「鈴木信光」の項

天文6年 1537年 1月1日
細川晴元、外様衆の細川元常、細川陸奥守、細川二郎四郎、摂津元造、二階堂左衛門尉、御供衆の大舘常興大舘晴光、大舘兵庫頭、畠山民部大輔、上野与三郎、大舘治部大輔、朽木稙綱、伊勢兵庫助が出仕する。足利義晴足利菊童丸への取次は荒川氏隆
出典:『言継卿記』同年月日条

天文6年 1537年 1月6日
細川元常山科言継のもとに礼に訪れる。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文6年 1537年 1月6日
朽木稙綱山科言継のもとに礼に訪れる。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文6年 1537年 1月6日
松田晴秀山科言継のもとに礼に訪れる。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文6年 1537年 1月11日
六角定頼への使者として下間頼慶、横田能登、横田出雲を遣わす。定頼には書状・馬・太刀(代30000疋)を、六角家重臣の平井・進藤に200貫を贈る。
出典:『私心記』同年月日条

天文6年 1537年 1月13日
興正寺の点心に蓮淳実淳が参加する。
出典:『天文日記』同年月日条

天文6年 1537年 1月22日
北条氏綱の願いにより鶴岡八幡宮透廊間にて般若経の真読が行われる。真読料として銭5000疋が納められる。
出典:『快元僧都記』同年月日条

天文6年 1537年 1月28日
足利菊童丸が初めて参内する。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文6年 1537年 2月6日
豊臣秀吉が生まれる。
出典:-

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