天文10年 1541年 10月7日 |
堺にて堺御坊の作事が始まる。柱立が行われる。 |
出典:『天文日記』同年月日条 |
天文10年 1541年 10月8日 |
本願寺証如が飯盛山城(河内国)にいる木沢長政に、摂津への軍勢派遣につき、音信として書状と3種5荷を贈る。 |
出典:『天文日記』同年月日・9日条 |
天文10年 1541年 10月9日 |
本願寺証如が畠山在氏に音信として3種5荷を、在氏取次の平若狭に太刀1腰を贈る。 |
出典:『天文日記』同年月日条 |
天文10年 1541年 10月11日 |
8日の本願寺証如の音信に対する木沢長政の返事及び鷹雁1が証如のもとに届く。 |
出典:『天文日記』同年月日条 |
天文10年 1541年 10月11日 |
山城国上久世荘内の東寺八幡宮領を恋川清景が自身の所領と称している問題について、三好直長に清景の介入を停止するよう高畠長直が命じる。 |
出典:(天文10年)10月11日付高畠長直書状案(「東寺百合於文書」『戦国遺文 三好氏編』第1巻-156号) |
天文10年 1541年 10月15日 |
本願寺証如が在陣中の木沢左馬允に3種5荷、木沢右近・三宅国村・瓦林対馬に3種3荷を贈る。 |
出典:『天文日記』同年月日条 |
天文10年 1541年 10月16日 |
細川晴元が、晴元に謀叛を起こした木沢長政の討伐のため鷹山弘頼に軍勢催促をする。 |
出典:(天文10年)10月16日付細川晴元書状(『戦国遺文』三好氏編第1巻-157号「興福院文書」) |
天文10年 1541年 10月17日 |
本願寺証如が9月4日の杉宗珊からの音信の返礼として鹿毛毛氈・太刀1腰を贈る。使者は下国する福嶋祐賢。 |
出典:『天文日記』同年月日条 |
天文10年 1541年 10月18日 |
本願寺証如が音信として三好範長(長慶)に3種5荷、三好政長に3種3荷、加地肥前に樽代100疋、塩田左馬助に100疋を遣わす。 |
出典:『天文日記』同年月日条 |
天文10年 1541年 10月18日 |
三条西実世が畠山九郎の娘を娶る。 |
出典:『惟房公記』同年月日条 |
天文10年 1541年 10月20日 |
青木信種が死去する。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第161「青木信種」の項 |
天文10年 1541年 10月26日 |
本願寺証如が音信として書状・綿10把を木沢長政に贈る。 |
出典:『天文日記』同年月日条 |
天文10年 1541年 10月29日 |
11月26日に堺御坊の内儀の座敷が完成したことをうけ、本願寺証如が同坊を見物に訪れる。 |
出典:『天文日記』同年月日条 |
天文10年 1541年 10月29日 |
木沢長政が細川晴元に謀叛を起こす。早朝、晴元は岩倉(山城国)の山本氏の館に赴くが、その日のうちに引き返す。足利義晴が晴元に供奉するよう命じたが、晴元は応じず。 |
出典:『惟房公記』同年月日条 |
天文10年 1541年 10月30日 |
足利義晴が慈照寺に移る。 |
出典:『惟房公記』同年月日条 |
天文10年 1541年 11月2日 |
本願寺証如が堺より大坂本願寺に帰寺する。 |
出典:『天文日記』同年月日条 |
天文10年 1541年 11月6日 |
一条房冬が死去する。 |
出典:『陰徳太平記』巻50「一条兼定卿御流離之事」 |
天文10年 1541年 11月8日 |
本願寺証如が無音であった土岐頼芸に音信として太刀1腰(安吉・6貫文程)・虎皮1枚・馬代を贈る。証如は頼芸の他に、揖斐光親に太刀1腰・緞子1端、鷲巣六郎に太刀1腰・織色2端、頼芸取次の斎藤帯刀左衛門に太刀1腰・織色2端、斎藤彦九郎入道に太刀1腰・緞子2端、斎藤利政に太刀1腰・緞子2端、長井孫九郎に太刀1腰・緞子2端、斎藤右衛門尉に太刀1腰・緞子1端、光親取次の木下源次郎に太刀1腰を贈る。使者は西円寺。 |
出典:『天文日記』同年月日条 |
天文10年 1541年 11月13日 |
三好範長(長慶)在陣につき祈祷巻数・銭100疋を送ってくれた大山崎惣中に、範長が礼状を発給する。 |
出典:(天文10年)11月13日付三好範長(『戦国遺文』三好氏編第1巻-158号「離宮八幡宮文書」) |
天文10年 1541年 11月13日 |
尼子経久が死去する。 |
出典:- |
天文10年 1541年 11月27日 |
木沢長政が中坊をもって久々に本願寺証如に音信として3種5荷を贈る。 |
出典:『天文日記』同年月日条 |
天文10年 1541年 11月27日 |
木沢長政が中坊をもって久々に本願寺証如に音信として3種5荷を贈る。 長政が山城国に向かう。 |
出典:『天文日記』同年月日条、『私心記』同年月日条 |
天文10年 1541年 11月28日 |
木沢長政が笠置城に攻め寄せた伊賀衆を破る。 |
出典:『多聞院日記』同年月日条 |
天文10年 1541年 11月30日 |
本願寺証如が笠置城を攻め落とした木沢長政に戦勝を祝す使者を派遣する。 |
出典:『天文日記』同年月日条 |
天文10年 1541年 12月8日 |
細川晴元が木沢長政を対治するため芥川山城(摂津国)まで軍勢を寄せる。 |
出典:『多聞院日記』同年月15日条 |
天文10年 1541年 12月12日 |
細川晴元の摂津国出陣につき本願寺証如が晴元に音信として太刀1腰、5種10荷、細川藤賢に太刀1腰・3種5荷、三好長慶・波多野備前・三好政長に太刀1腰・綿10把、高畠長直に綿3把、藤賢取次の小河民部丞に太刀1腰・綿3把を送る。使者は八尾新四郎。 |
出典:『天文日記』同年月日条、(天文10年)12月10日付本願寺証如書状案(『戦国遺文』三好氏編第1巻-159号『天文書札案』) |
天文10年 1541年 12月15日 |
金蓮寺から音信として銭30疋が贈られたことに対し、三好政長が礼状を発給する。 |
出典:(天文10年)12月15日付三好政長書状写(『戦国遺文』三好氏篇第1巻-162号「諸寺文書纂」) |
天文10年 1541年 12月20日 |
足利義晴が本願寺証如に御内書を発給し、河内国門徒が木沢長政に加勢しないように同国門徒中へ指示するよう命じる。 |
出典:『天文日記』同年月日条 |
天文10年 1541年 12月22日 |
本願寺証如が12月20日請け取った御内書の旨に従うことを、足利義晴に返事する。 |
出典:『天文日記』同年月日条 |
天文10年 1541年 12月26日 |
本願寺証如が歳末の礼として細川晴元に太刀1腰、三好長慶に太刀1腰を贈る。使者は大坂小五郎。 証如が出陣中の芥川孫十郎・池田長正に太刀1腰・梅染2端を贈る。 証如が木沢長政に藤井八郎左衛門を遣わす。 |
出典:『天文日記』同年月日条 |