天正14年 1586年 11月9日 |
榊原康政が十五位下・式部大輔に叙任される。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第100「清和源氏 義家流 足利支流 榊原」「榊原康政」の項 |
天正14年 1586年 11月11日 |
細川忠利が丹後国にて生まれる。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第105「清和源氏 義家流 足利庶流 細川」「細川忠利」の項 |
天正14年 1586年 11月13日 |
本願寺顕如、教如、興正寺顕尊が参内する。顕如は准后に、教如は僧正に任じられる。 |
出典:『宇野主水記』同年月日条、『言経卿記』同年月日条 |
天正14年 1586年 11月15日 |
吉川元春が小倉(豊前国)にて死去する。 |
出典:『黒田家譜』巻3「孝高記」 |
天正14年 1586年 11月27日 |
本願寺顕如が痢病を患い通仙院に逗留する。 |
出典:『宇野主水記』同年月日条 |
天正14年 1586年 12月1日 |
豊臣秀吉が麾下の諸大名に、島津義久成敗のため3月1日に出陣すること、さしあたり東国・畿内の諸大名は2月20日までに大坂城(摂津国)へ参集することを触れ回る。 |
出典:『黒田家譜』巻3「孝高記」 |
天正14年 1586年 12月7日 |
島津家久が利光宗魚の籠る鶴賀城(豊後国)を攻める。 |
出典:『南海通紀』巻18「長宗我部元親十河存保豊州戦記」 |
天正14年 1586年 12月8日 |
島津家久が利光宗魚の籠る鶴賀城(豊後国)を攻める。 |
出典:『南海通紀』巻18「長宗我部元親十河存保豊州戦記」 |
天正14年 1586年 12月9日 |
島津家久が利光宗魚の籠る鶴賀城(豊後国)を攻める。 |
出典:『南海通紀』巻18「長宗我部元親十河存保豊州戦記」 |
天正14年 1586年 12月10日 |
島津家久が利光宗魚の籠る鶴賀城(豊後国)を攻め、城が落ちる。宗魚は戦死する。 |
出典:『南海通紀』巻18「長宗我部元親十河存保豊州戦記」 |
天正14年 1586年 12月12日 |
戸次川の戦いで島津家久と仙石秀久・長宗我部元親・十河存保が戦い、家久が勝利する。存保、長宗我部信親が戦死する。 |
出典:『南海通紀』巻18「長宗我部元親十河存保豊州戦記」 |
天正14年 1586年 12月12日 |
羽柴秀吉が蜂須賀家政、脇坂安治、加藤嘉明に豊前国へ出陣するよう命じる。 |
出典:『脇坂家伝記』 |
天正14年 1586年 12月22日 |
豊臣秀吉が小早川隆景・安国寺恵瓊・黒田孝高に、秋月種実が降伏を申し出たこと、来年1月末には先勢を九州に遣わし、2月初めには弟・秀長を、2月20日には秀吉が九州に向けて出陣することを伝える。 |
出典:『黒田家譜』巻3「孝高記」 |
天正14年 1586年 12月23日 |
安国寺恵瓊が黒田孝高に九州の情勢を説明するため九州を発つ。 |
出典:『黒田家譜』巻4「孝高記」 |
天正14年 1586年 12月27日 |
豊臣秀吉が教如のもとに赴き茶湯に訪れる。また、秀吉が本願寺顕如を見舞う。 |
出典:『宇野主水記』同年月日条 |
天正14年 1586年 12月28日 |
豊臣秀吉が小早川隆景・安国寺恵瓊・黒田孝高に豊後国の戦況について承知したことを伝えるとともに、阿波国勢(蜂須賀家政)、淡路国勢(加藤嘉明・脇坂安治)を豊後国に遣わすこと、仙石秀久の所領・讃岐国を召し上げたことを伝える。 |
出典:『黒田家譜』巻3「孝高記」 |
天正14年 1586年 12月29日 |
豊臣秀吉が黒田孝高に、来年1月25日に宇喜多秀家を遣わすことを伝える。 |
出典:『黒田家譜』巻3「孝高記」 |
天正14年 1586年 12月-日 |
近衛龍山の娘・前子が豊臣秀吉の猶子となり後陽成天皇に入内する。 |
出典:- |
天正14年 1586年 -月-日 |
粟津元辰が本願寺の天満移転にともない教如に奏者役として召し出される。 |
出典:『東本願寺家臣名簿』 |
天正14年 1586年 -月-日 |
佐竹義重が佐竹義宣に家督を譲る。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第129「清和源氏 義家流 佐竹」「佐竹義宣」の項 |
天正14年 1586年 -月-日 |
川上忠堅が死去する。 |
出典:- |
天正14年 1586年 -月-日 |
青木信時が徳川家康に妻子を人質として興国寺(駿河国)に出す。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第161「青木信時」の項 |
天正15年 1587年 -月-日 |
池田長幸が摂津国大坂にて生まれる。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第267「池田長幸」の項 |
天正15年 1587年 -月-日 |
能勢頼重が生まれる。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第272「能勢頼重」の項 |
天正15年 1587年 -月-日 |
松平定行が三河国西郡にて生まれる。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第54「松平定行」の項 |
天正15年 1587年 -月-日 |
酒井忠勝が三河国西尾にて生まれる。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第61「酒井忠勝」の項 |
天正15年 1587年 -月-日 |
永井尚政が生まれる。 |
出典:- |
天正15年 1587年 -月-日 |
小出吉英が摂津国大坂にて生まれる。 |
出典:- |
天正15年 1587年 1月1日 |
豊臣秀吉が堀秀政に九州攻めの陣立書を発給する。陣立書に秀吉は3月1日に出陣の旨が記される。 |
出典:天正15年1月1日付豊臣秀吉朱印状(和歌山県立博物館編『没後四〇〇年 木食応其 ―秀吉から高野山を救った僧―』2008年10月) |
天正15年 1587年 1月11日 |
朝、豊臣秀長、津田宗及、神屋宗湛とともに茶の湯をする。 |
出典:『見聞記』同年月日条(『茶道文化研究』第7輯所収) |