総年表 検索


和暦 :   西暦 :   月  日 
事項 :   
出典 :   


天正7年 1579年 7月8日
松平家忠深溝城(三河国)に帰城する。
出典:『家忠日記』同年月日条

天正7年 1579年 7月16日
徳川家康織田信長に馬を進上する。使者は酒井忠次。忠次・奥平信昌も信長に馬を進上する。
出典:『信長公記』巻12(5)「丹波国波多野兄弟張付の事」

天正7年 1579年 7月18日
大宝寺義氏が織田信長に馬5頭・鷹11羽を進上する。
出典:『信長公記』巻12(6)「赤井悪右衛門退散の事」、『当代記』巻2同年月日条

天正7年 1579年 7月19日
織田信長が子・信忠に命じ、津田与八・前田玄以・赤座七郎右衛門をもって、所々の家に仕え信長に仕えない井戸才介を「無奉公」を理由に殺害する。
出典:『信長公記』巻12(5)「丹波国波多野兄弟張付の事」

天正7年 1579年 7月19日
明智光秀が宇津城(丹波国)を攻め落とす。
出典:『信長公記』巻12(5)「丹波国波多野兄弟張付の事」

天正7年 1579年 7月23日
子・盛興が死去する。
出典:『蘆名家記』巻第1「蘆名家滅亡濫觴之事」

天正7年 1579年 7月-日
明智光秀細川藤孝忠興父子が嶺山城(丹後国)を攻める。
出典:『綿考輯録』巻3

天正7年 1579年 8月1日
筒井順慶が多聞山の石を奈良中に人夫を賦課して運ばせる。
出典:『多聞院日記』同年月日条

天正7年 1579年 8月2日
筒井順慶が奈良(大和国)に入り、春日社に参詣する。
出典:『多聞院日記』同年月日・3日条

天正7年 1579年 8月3日
徳川家康浜松城(遠江国)より岡崎城(三河国)に赴く。
出典:『家忠日記』同年月日条

天正7年 1579年 8月4日
岡崎城(三河国)にて徳川家康松平信康父子が談合する。その後、信康は大浜(三河国)に赴く。
出典:『家忠日記』同年月日条

天正7年 1579年 8月5日
徳川家康松平家忠に弓・鉄砲衆を連れて西尾(三河国)に赴くよう命じる。家康も岡崎城(三河国)より西尾に赴く。
出典:『家忠日記』同年月日条

天正7年 1579年 8月6日
織田信長が近江国内の相撲取を召し寄せ、安土城(近江国)にて相撲を取らせる。この日、甲賀出身の伴正林が「よき相撲」を七番打つ。
出典:『信長公記』巻12(6)「赤井悪右衛門退散の事」

天正7年 1579年 8月7日
8月6日に引き続き、織田信長が近江国内の相撲取を召し寄せ、安土城(近江国)にて相撲を取らせる。6日に活躍した伴正林が再度よい相撲をとったため、信長に召し抱えられる。
出典:『信長公記』巻12(6)「赤井悪右衛門退散の事」

天正7年 1579年 8月7日
徳川家康岡崎城(三河国)に戻る。岡崎城の本城城番として松平上野・榊原康政を、北端城の城番として松平家忠・松平玄蕃・鵜殿八郎三郎を置く。
出典:『家忠日記』同年月日条

天正7年 1579年 8月9日
明智光秀が赤井幸家の籠る黒井城(丹波国)を攻め、同城を落とす。
柴田勝家が加賀国に侵攻し、阿多賀・本折・小松町口を焼き払い、苅田をする。
出典:『信長公記』巻12(6)「赤井悪右衛門退散の事」

天正7年 1579年 8月9日
明智光秀が赤井幸家の籠る黒井城(丹波国)を攻め、同城を落とす。
出典:『信長公記』巻12(6)「赤井悪右衛門退散の事」

天正7年 1579年 8月9日
柴田勝家が加賀国に侵攻し、阿多賀・本折・小松町口を焼き払い、苅田をする。
出典:『信長公記』巻12(6)「赤井悪右衛門退散の事」

天正7年 1579年 8月9日
松平信康が大浜(三河国)より堀江城(遠江国)に移る。
出典:『家忠日記』同年月日条

天正7年 1579年 8月10日
徳川家康が国衆に対して松平信康と音信を交わさないことを誓う起請文の提出を求める。
出典:『家忠日記』同年月日条

天正7年 1579年 8月11日
松平家忠深溝城(三河国)に帰城する。
出典:『家忠日記』同年月日条

天正7年 1579年 8月12日
徳川家康(三河国)より(遠江国)に帰城する。岡崎城には留守居として本多重次を置く。
出典:『家忠日記』同年月日条

天正7年 1579年 8月15日
松平家忠が本多重次のもとに音信を遣わす。
家忠のもとに酒井忠次より19日まで出陣するよう陣触れがある。
出典:『家忠日記』同年月日条

天正7年 1579年 8月17日
松平家忠のもとに京都の茶湯者 宗音が訪れる。
出典:『家忠日記』同年月日条

天正7年 1579年 8月18日
松平家忠深溝城(三河国)より出陣し、竹谷(三河国)に着いたところで、酒井忠次より出陣延期の折紙が到来したため、深溝城に帰城する。
出典:『家忠日記』同年月日条

天正7年 1579年 8月19日
松平家忠が漆を買い求めるため足助(三河国)に人を遣わす。
出典:『家忠日記』同年月日条

天正7年 1579年 8月20日
織田信忠荒木村重の籠る有岡城(摂津国)を攻めるため、岐阜城(美濃国)を発つ。柏原(近江国)に宿泊する。
出典:『信長公記』巻12(6)「赤井悪右衛門退散の事」

天正7年 1579年 8月21日
荒木村重の籠る有岡城(摂津国)攻めに向かう織田信忠が、安土城(近江国)に到着する。
出典:『信長公記』巻12(6)「赤井悪右衛門退散の事」

天正7年 1579年 8月22日
荒木村重の籠る有岡城(摂津国)攻めに向かう織田信忠が、堀秀政とともに安土城(近江国)を発つ。昆陽(摂津国)に陣取る。
出典:『信長公記』巻12(6)「赤井悪右衛門退散の事」

天正7年 1579年 8月23日
松平家忠が鉄砲薬を調合する。
出典:『家忠日記』同年月日条

Copyright(c)Kudo Katsuhiro All Rights Reserved.