天正13年 1585年 5月6日 |
遊仙軒が本願寺顕如の脈を診る。 |
出典:『宇野主水記』同年月日条 |
天正13年 1585年 5月8日 |
本願寺顕如が、岸和田(和泉国)から甲賀(近江国)に移封となった中村一氏のもとに音信として下間頼廉を遣わし、縮20端・道服を贈る。 |
出典:『宇野主水記』同年月日条 |
天正13年 1585年 5月8日 |
伊達政宗が大塩城(陸奥国)を攻める。 |
出典:『伊達日記』上 |
天正13年 1585年 5月8日 |
伊達成実が檜原(陸奥国)に向かうべく大森(陸奥国)を発つ。 |
出典:『伊達日記』上 |
天正13年 1585年 5月9日 |
伊集院忠棟に呼ばれた島津家家臣と道正宗与が酒を飲む。 |
出典:『上井覚兼日記』同年月日条 |
天正13年 1585年 5月9日 |
伊達成実が伊達政宗の陣所である檜原(陸奥国)に到着する。 |
出典:『伊達日記』上 |
天正13年 1585年 5月11日 |
羽柴秀吉が淀城(山城国)に入る。 |
出典:『兼見卿記』同年月日条 |
天正13年 1585年 5月13日 |
羽柴秀吉が諸家当知行分を書面にして提出するよう命じる。 |
出典:『兼見卿記』同年月日条 |
天正13年 1585年 5月14日 |
羽柴秀吉が門跡および公家に対し、領知している所領(本地・新地ともに)を書き上げ提出するよう命じる。 |
出典:『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
天正13年 1585年 5月17日 |
細川幽斎が女婿の吉田兼和とその父・兼見のもとを訪れる。イカ30を持参する。梵舜に茶碗を贈る。 |
出典:『兼見卿記』同年月日条 |
天正13年 1585年 5月20日 |
羽柴秀吉が坂本(近江国)にて体調を崩す。 長宗我部元親討伐につき、羽柴秀吉が一柳直末、斎村広英、加藤嘉明、津田小八郎へ6月3日の大坂城(摂津国)よりの出陣を、6月16日に延期することを伝えるとともに、それまでに明石(播磨国)に参集するよう命じる。 |
出典:『宇野主水記』同年月日条、(天正13年)5月20日付羽柴秀吉朱印状(「加藤子爵家文書」) |
天正13年 1585年 5月22日 |
羽柴秀吉が体調不良となる。 |
出典:『兼見卿記』同年月日条 |
天正13年 1585年 5月25日 |
禁裏が羽柴秀吉の病気平癒の祈祷をするよう吉田兼見に命じられる。 |
出典:『兼見卿記』同年月日条 |
天正13年 1585年 5月26日 |
吉田兼見が羽柴秀吉の病気平癒の祈祷をする。 |
出典:『兼見卿記』同年月日条 |
天正13年 1585年 5月27日 |
雑賀(紀伊国)に下向中の羽柴秀長が本願寺顕如のいる貝塚本願寺を訪れる。湯漬で迎える。その後、秀長は雑賀に戻る。 |
出典:『宇野主水記』同年月日条 |
天正13年 1585年 5月27日 |
徳川家康が折井次昌に20貫文の地を給付する。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第166「折井次昌」の項 |
天正13年 1585年 5月1月27日日 |
羽柴秀吉の病が回復する。 |
出典:『兼見卿記』同年月日条 |
天正13年 1585年 5月29日 |
吉田兼見・兼和親子が前田玄以のもとを訪れる。 |
出典:『兼見卿記』同年月日条 |
天正13年 1585年 5月30日 |
吉田兼見が細川幽斎の京の旅宿を訪れる。 |
出典:『兼見卿記』同年月日条 |
天正13年 1585年 5月30日 |
仙石秀久が上洛する。 |
出典:『北野日記』同年月日条(『北野天満宮史料』北野天満宮史料刊行会、北野天満宮、1980年) |
天正13年 1585年 5月-日 |
羽柴秀吉が脇坂安治に摂津国能勢郡で10000石を給付する。 |
出典:『脇坂家伝記』 |
天正13年 1585年 6月1日 |
本願寺顕如が5月27日に来寺してくれた羽柴秀長への礼として益田照従、円山内匠を遣わす。 |
出典:『宇野主水記』同年月日条 |
天正13年 1585年 6月1日 |
吉田兼見が細川幽斎の京の旅宿を訪れる。幽斎は2日に丹後へ帰国することを兼見に伝える。 |
出典:『兼見卿記』同年月日条 |
天正13年 1585年 6月8日 |
仙石秀久が北野社に参詣する。 |
出典:『北野日記』同年月日・7日条(『北野天満宮史料』北野天満宮史料刊行会、北野天満宮、1980年) |
天正13年 1585年 6月12日 |
興正寺顕尊が天満本願寺の屋敷普請につき大坂へ下向する。下間頼廉が随従する。 |
出典:『宇野主水記』同年月日条 |
天正13年 1585年 6月15日 |
興正寺顕尊が貝塚本願寺に帰寺する。 |
出典:『宇野主水記』同年月日条 |
天正13年 1585年 6月16日 |
長宗我部元親を対治するため、羽柴秀吉が弟・秀長を四国に出陣させる。 |
出典:『宇野主水記』同年7月3日条 |
天正13年 1585年 6月18日 |
寺沢広高が本願寺顕如のもとを訪れる。下間仲孝が顕如に取り次ぎ、顕如は広高と対面する。 |
出典:『宇野主水記』同年月日条 |
天正13年 1585年 6月19日 |
前田玄以が大坂(摂津国)より上洛した織田信雄を見舞う。その後、信雄、玄以が近衛信輔邸に赴く。 |
出典:『兼見卿記』同年月日条 |
天正13年 1585年 6月1月23日日 |
本願寺顕如が天野の金剛寺を見物する。 |
出典:『宇野主水記』同年月日条 |