天正13年 1585年 10月6日 |
畠山義継が伊達輝宗のいる宮森を訪れ、伊達政宗への赦免の執り成しを請う。政宗は輝宗の説得により義継を赦免する。 |
出典:『伊達日記』上 |
天正13年 1585年 10月6日 |
森忠政が従五位下・右近大夫に叙位・任官。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第126「森忠政」の項 |
天正13年 1585年 10月7日 |
子・准尊が生まれる。 |
出典:『宇野主水記』同年月日条 |
天正13年 1585年 10月7日 |
千宗易が利休居士となる。 小御所にて羽柴秀吉と千利休が茶道として正親町天皇進上茶会を催す。ついで端の座での茶湯にて利休が茶道をつとめる(台子の茶湯)。 |
出典:『兼見卿記』・『宇野主水記』同年月日条 |
天正13年 1585年 10月7日 |
小御所にて羽柴秀吉と千利休が茶道として正親町天皇進上茶会を催す。ついで端の座での茶湯にて利休が茶道をつとめる(台子の茶湯)。 |
出典:『兼見卿記』・『宇野主水記』同年月日条 |
天正13年 1585年 10月8日 |
本願寺顕如が湯治より天満本願寺に帰寺する。 |
出典:『宇野主水記』同年月日条 |
天正13年 1585年 10月8日 |
伊達輝宗が畠山義継に拉致される。子・政宗は高田にて義継一行に追いつくも、同地にて乱闘となり、輝宗が殺害される。輝宗の遺体は、その後、資福寺に送る。 |
出典:『伊達日記』上 |
天正13年 1585年 10月9日 |
朝、伊達政宗が父・輝宗の遺体とともに小浜城(陸奥国)に戻る。 |
出典:『伊達日記』上 |
天正13年 1585年 10月15日 |
長宗我部元親が大坂城(摂津国)より土佐国に帰国につき本願寺顕如のもとへ桑名太郎左衛門を遣わす。元親帰国の世話をしている今井宗久も訪れる。元親は顕如に太刀1腰、馬1疋(栗毛)を贈る。 妻・如春尼に細川忠興女房衆より音信として鮭1疋、鯛20枚、饅頭1折、折樽5荷が贈られる。 |
出典:『宇野主水記』同年月日条 |
天正13年 1585年 10月15日 |
細川忠興女房衆が本願寺顕如の妻・如春尼に音信として鮭1疋、鯛20枚、饅頭1折、折樽5荷を贈る。 |
出典:『宇野主水記』同年月日条 |
天正13年 1585年 10月15日 |
伊達政宗が二本松城(陸奥国)を攻める。 |
出典:『伊達日記』上 |
天正13年 1585年 10月15日 |
長宗我部元親・信親父子が土佐国へ帰国するため大坂城(摂津国)を発つ。 今井宗久を介し桑名太郎左衛門を本願寺顕如のもとに遣わし、太刀1腰、馬1疋(栗毛)を贈る。 |
出典:『宇野主水記』同年月日条 |
天正13年 1585年 10月21日 |
伊達政宗が小浜城(陸奥国)に帰還する。 |
出典:『伊達日記』上 |
天正13年 1585年 10月23日 |
羽柴秀吉の大坂城(摂津国)帰城につき、本願寺顕如、教如、興正寺顕尊が川向かいにて出迎える。 |
出典:『宇野主水記』同年月日条 |
天正13年 1585年 10月-日 |
合志親為が死去する。 |
出典:- |
天正13年 1585年 10月-日 |
羽柴秀吉が脇坂安治に洲本(淡路国)30000石を給付する。 |
出典:『脇坂家伝記』 |
天正13年 1585年 11月3日 |
道正宗与が円福寺に赴き風呂に入り、上井覚兼に会う。 |
出典:『上井覚兼日記』同年月日条 |
天正13年 1585年 11月9日 |
妻・如春尼が仙洞御所見物のため上洛する。 |
出典:『宇野主水記』同年月日条 |
天正13年 1585年 11月10日 |
佐竹義重、蘆名義広、岩城常隆、石川昭光、白河義親の連合軍が須賀川(陸奥国)に陣取る。 |
出典:『伊達日記』上 |
天正13年 1585年 11月12日 |
妻・如春尼が天満本願寺に帰寺する。 |
出典:『宇野主水記』同年月日条 |
天正13年 1585年 11月13日 |
石川数正が羽柴秀吉のもとに出奔する。出奔時、数正は松平近正に天野又左衛門を遣わし、秀吉方に加わるよう勧誘するが、近正は再度訪れた場合は切ると言って勧誘を拒絶する。 |
出典:『当代記』巻2同年月日条、『寛政重修諸家譜』巻第13「松平近正」の項 |
天正13年 1585年 11月16日 |
佐竹義重、蘆名義広、岩城常隆、石川昭光、白河義親の連合軍が前田沢南ノ原(陸奥国)に陣取り高倉に攻め入るとの報に接した伊達政宗が、岩津野(陸奥国)より本宮(陸奥国)に移る。 |
出典:『伊達日記』上 |
天正13年 1585年 11月17日 |
青蓮院尊朝が船にて大坂城(摂津国)に下向する。 |
出典:『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
天正13年 1585年 11月17日 |
伊達政宗が岩津野(陸奥国)に引き上げる。 |
出典:『伊達日記』上 |
天正13年 1585年 11月18日 |
佐竹義重、蘆名義広、岩城常隆の諸勢が前田沢(陸奥国)より撤退する。 |
出典:『伊達日記』上 |
天正13年 1585年 11月19日 |
小早川隆景、吉川元長が堺に着津する。 |
出典:『宇野主水記』同年月日条 |
天正13年 1585年 11月20日 |
19日に小早川隆景、吉川元長が堺に着津したのをうけ、本願寺顕如が隆景、元長に馬2疋(羽柴秀吉よりの馬と教如よりの馬)を贈る。使者は下間頼廉。 |
出典:『宇野主水記』同年月日条 |
天正13年 1585年 11月21日 |
羽柴秀吉が青蓮院尊朝に粟田口(山城国)210石を寄附する。 |
出典:『華頂要略』巻13 門主伝24(『大日本仏教全書』) |
天正13年 1585年 11月21日 |
小早川隆景、吉川元長が大坂城(摂津国)にいる羽柴秀吉のもとに礼に訪れる。毛利輝元より銀1000枚、隆景より銀500枚、元長より銀300枚が進上される。 |
出典:『宇野主水記』同年月日条 |
天正13年 1585年 11月22日 |
子・英光が生まれる。 |
出典:『系図纂要』「柳原」 |