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天正18年 1590年 6月-日
佐竹義宣、宇都宮国綱が忍城(武蔵国)攻めに加わる。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第129「清和源氏 義家流 佐竹」「佐竹義宣」の項

天正18年 1590年 7月1日
浅野長政忍城(武蔵国)皿尾口を攻め30名を討ち取る。
出典:(天正18年)7月3日付豊臣秀吉朱印状(『浅野家文書』21号)

天正18年 1590年 7月3日
豊臣秀吉が小田原(相模国)から会津(陸奥国)まで横3間の道を作ることを命じる。道作の奉行は、御使番の垣見弥五郎、水原亀介、西川八右衛門、杉山源兵衛、友松継右衛門。
出典:同年月日付豊臣秀吉朱印状(『伊達家文書』2-519号)

天正18年 1590年 7月6日
北条氏政氏直父子が豊臣秀吉に降伏する。脇坂安治片桐且元榊原康政小田原城(相模国)に赴き、城を請け取る。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第100「清和源氏 義家流 足利支流 榊原」「榊原康政」の項

天正18年 1590年 7月9日
北条氏政氏照兄弟の身柄が田村安栖のもとに移される。
出典:『天正日記』同年月日条

天正18年 1590年 7月10日
徳川家康小田原城(相模国)に入城する。
出典:『天正日記』同年月日条

天正18年 1590年 7月12日
北条氏政北条氏照・笠原新六郎・大道寺政繁が切腹する。検使は榊原康政
出典:『太閤さま軍記のうち』、『寛政重修諸家譜』巻第100「清和源氏 義家流 足利支流 榊原」「榊原康政」の項

天正18年 1590年 7月12日
豊臣秀吉小田原城(相模国)より会津(陸奥国)に出立するにあたり道普請を命じる。奉行は西川八右衛門・杉山源兵衛・水原亀介・垣見一直・友松次右衛門。
出典:『太閤さま軍記のうち』

天正18年 1590年 7月13日
豊臣秀吉小田原城(相模国)に入城する。
秀吉が駿河国・遠江国・三河国・甲斐国・信濃国への移封を拒否した織田信雄の所領を改易する。
秀吉が加藤光泰に甲斐国240000石を給付する。
出典:『小田原日記』同年月日条、『寛政重修諸家譜』巻第774「加藤光泰」の項

天正18年 1590年 7月13日
内藤清成が江戸(武蔵国)に入る。
出典:『天正日記』同年月日条

天正18年 1590年 7月14日
織田信雄が、忍城(武蔵国)攻め落とした浅野長政の働きを賞すとともに、手負いを多く出したことを労わる。
出典:(天正18年)7月14日付織田信雄書状(『浅野家文書』20号)

天正18年 1590年 7月15日
細川幽斎が病につき帰陣すべく小田原(相模国)を発つ。竹下にて宿泊する。
出典:『東国陣道記』

天正18年 1590年 7月16日
細川幽斎が甲府(甲斐国)に到着する。
出典:『東国陣道記』

天正18年 1590年 7月18日
豊臣秀吉が南部信直の本領を安堵する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第210「南部信直」の項

天正18年 1590年 7月21日
細川幽斎が上原(信濃国)に宿泊する。
出典:『東国陣道記』

天正18年 1590年 7月22日
細川幽斎が木曽福島(信濃国)に到着する。
出典:『東国陣道記』

天正18年 1590年 7月23日
細川藤賢が死去する。
出典:-

天正18年 1590年 7月26日
豊臣秀吉が宇都宮(下野国)に到着する。
出典:(天正18年)7月26日付木下吉隆書状(『伊達家文書』2-524号)

天正18年 1590年 7月-日
本願寺顕如が門末に下付する絵像を作成する絵所を設置する。
出典:『大谷本願寺通紀』巻2「証如」の項

天正18年 1590年 -月-日
榊原康勝が小田原(相模国)にて生まれる。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第100「榊原康勝」の項

天正18年 1590年 8月1日
豊臣秀吉が常陸国の旗頭に佐竹義重を指名する。しかし、義重は隠居の身であるため固辞し、子・義宣にその任を与えるよう請い、秀吉は義宣を常陸国旗頭とする。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第129「清和源氏 義家流 佐竹」「佐竹義宣」の項

天正18年 1590年 8月4日
折井次昌が死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第166「折井次昌」の項

天正18年 1590年 8月6日
豊臣秀吉が白河(睦国)に到着する。
出典:(天正18年)8月6日付浅野長政書状(『伊達家文書』2-527号)

天正18年 1590年 8月9日
豊臣秀吉が会津(陸奥国)に入る。会津の検地を豊臣秀次に、白河(陸奥国)及びその近辺の検地を宇喜多秀家に命じる。
出典:(天正18年)8月12日付豊臣秀吉朱印状(『浅野家文書』59号)

天正18年 1590年 8月11日
豊臣秀吉が会津(陸奥国)を蒲生氏郷に給付することを浅野長政に伝える。
出典:(天正18年)8月11日付豊臣秀吉朱印状(『浅野家文書』60号)

天正18年 1590年 8月15日
豊臣秀吉蒲生氏郷に陸奥国会津郡大沼・河沼・稲川・山部・猪苗代・南ノ山・白河・石川・岩瀬・安積・二本松の70万石を宛行う。この日、氏郷が会津に入る。
出典:『蒲生氏郷記』

天正18年 1590年 8月15日
徳川家康小田原城(相模国)に大久保忠世を入れる。
出典:『家忠日記』同年月日条

天正18年 1590年 8月16日
徳川家康酒井忠世に武蔵国入間郡川越内にて5000石を給付する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第59「酒井忠世」の項

天正18年 1590年 8月19日
徳川家康酒井家次に下総国碓井にて30000石を給付し、碓井城(下総国)城主とする。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第65「酒井家次」の項

天正18年 1590年 8月21日
深水長智が死去する。
出典:-

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