天文8年 1539年 11月13日 |
六角定頼・義賢父子が伊勢貞孝邸を訪れる。貞孝は観世能にてもてなす。藤宰相、大舘晴光、上野与三郎、細川高久、海老名高助、永田景弘、飯川彦九郎、祐乗坊、蜷川親俊、青地、下笠、三雲、蒲生定秀が相伴する。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文8年 1539年 11月13日 |
六角定頼・義賢父子が参内する。 定頼・義賢父子が伊勢貞孝邸を訪れる。貞孝は観世能にてもてなす。藤宰相、大舘晴光、上野与三郎、細川高久、海老名高助、永田景弘、飯川彦九郎、祐乗坊、蜷川親俊、青地、下笠、三雲、蒲生定秀が相伴する。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文8年 1539年 11月13日 |
一条房家が死去する。 |
出典:『陰徳太平記』巻50「一条兼定卿御流離之事」 |
天文8年 1539年 11月17日 |
足利義晴・慶寿院・菊童丸・千歳丸が近衛稙家のもとを訪れる。菊童丸の供は大舘晴光、畠山上野介、上野与三郎、細川晴経、伊勢貞孝、歳阿。義晴の供は細川晴賢、佐々木民部少輔、孝阿。堤、三上、野依、河村民部、淵田、鈴木、開藤、河田弥三郎、林源二郎が随従する。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文8年 1539年 11月19日 |
足利菊童丸が感神院新宮に参詣する。 赤松政村より礼として足利菊童丸に太刀(真守)、馬1疋が届く。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文8年 1539年 11月19日 |
観世大夫、観世四郎、観世与五郎が貞孝のもとに訪れる。与五郎に小袖を贈る。 赤松政村より礼として太刀、馬1疋、杉原20帖、10月7日付書状が届く。政村の使者・円光寺より杉原3束が贈られる。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文8年 1539年 11月19日 |
茨木長隆が公方御料所の丹波国桐野・河内のことについて、公方の支配を妨げる者を排除し、年貢を公方に納入するよう波多野秀忠に命じる。これを受け、秀忠は荒木新兵衛尉に年貢の納入を命じる。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文8年 1539年 11月19日 |
六角定頼が蜷川親俊のもとに狛修理を使者として遣わす。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文8年 1539年 11月22日 |
伊勢貞孝が六角定頼のもとに赴く。貞孝は定頼に緞子、盆、太刀を贈る。六角義賢が貞孝に太刀を贈る。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文8年 1539年 11月24日 |
茨木長隆が伊勢貞孝のもとに訪れる。貞孝は酒でもてなす。公方御料所の丹波国桐野・河内について長隆より報告がある。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文8年 1539年 11月25日 |
茨木長隆が公方御料所の丹波国桐野・河内の名主百姓中に対し逃散を企てたことを非難し、逃散を企てた者の捜索を命じる。もし、異論があるたなら12月2日までに上洛し弁明するようにと命じる。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文8年 1539年 11月28日 |
進藤貞治が北野社の遷座を取り仕切る。 |
出典:『巌助往年記 上』同年月日条、『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文8年 1539年 11月29日 |
六角定頼・義賢父子が参内する。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文8年 1539年 12月1日 |
伊勢貞孝が幕府に出仕する。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文8年 1539年 12月2日 |
3日の足利義晴・菊童丸父子の細川晴元邸への訪問につき晴元のもとへ伊勢貞孝が見舞いに赴く。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文8年 1539年 12月3日 |
足利義晴・菊童丸父子が細川晴元のもとを訪れる。義晴の供は細川右馬頭、佐々木民部少輔、春阿。菊童丸の供は大舘晴光、上野与三郎、細川晴経、大舘晴忠、伊勢貞孝、祐阿。能が催される。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文8年 1539年 12月4日 |
足利義晴・菊童丸父子が細川晴元近侍のもと自邸に戻る。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文8年 1539年 12月6日 |
伊勢貞孝が六角定頼のもとに赴く。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文8年 1539年 12月24日 |
本願寺証如への歳暮の礼に対する返礼の書状を伊勢貞孝が認める。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文8年 1539年 12月30日 |
上京・下京の地下人20名の連判状をもって幕府に願い出ていた納銭方の員数増員が認められる。これにつき、礼として、地下人納銭方の佐野、中山、野洲井光助が伊勢貞孝のもとを訪れ300疋を贈る。 |
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条 |
天文8年 1539年 12月30日 |
従四位下に叙される。蔵人頭となる。 |
出典:『公卿補任』天文14年 |
天文8年 1539年 -月-日 |
榊原元次が生まれる。 『寛政重修諸家譜』巻第102「榊原元次」の項の没年・享年記載より逆算。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第102「榊原元次」の項 |
天文9年 1540年 -月-日 |
船越景直が生まれる。 |
出典:- |
天文9年 1540年 -月-日 |
四辻公遠が生まれる。 |
出典:『系図纂要』「四辻」 |
天文9年 1540年 -月-日 |
木曽義昌が生まれる。 |
出典:- |
天文9年 1540年 -月-日 |
松平重忠が生まれる。 *『寛政重修諸家譜』巻第3「松平重忠」の項の没年・享年記載より逆算。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第3「松平重忠」の項 |
天文9年 1540年 -月-日 |
明智光忠が生まれる。 |
出典:- |
天文9年 1540年 -月-日 |
斯波義銀が生まれる。 |
出典:- |
天文9年 1540年 -月-日 |
尼子義久が生まれる。 |
出典:- |
天文9年 1540年 -月-日 |
山本邑重が生まれる。 *『寛政重修諸家譜』巻第134「山本邑重」の項の没年・享年記載より逆算。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第134「山本邑重」の項 |