人 物 史

畠山高政 はたけやま たかまさ
生 没 年大永7年(1527)-天正4年(1576)10/15
出 身-幼 名-
別 称二郎、次郎四郎
法 名一空
戒 名多宝寺高旭空林
畠山政国-
兄 弟 姉 妹畠山高政、畠山政尚、畠山昭高
配 偶 者-
娘(畠山貞政の妻)、畠山昭高[養子]、畠山之照[養子]
官 位修理亮、紀伊守、尾張守、播磨守
役 職紀伊国守護、河内国守護
城 郭高屋城(河内国)
参 考 文 献畠山高政に関する参考文献
関 連 デ ー タ畠山高政の家臣
史料にみえる畠山高政の呼称
畠山高政 年表
大永7年 1527年 -月-日 1歳
畠山高政が生まれる。
出典:-

享禄1年 1528年 8月20日 2歳
「大永」より「享禄」に年号が改まる。
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天文1年 1532年 7月29日 6歳
「享禄」より「天文」に年号が改まる。
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弘治1年 1555年 10月23日 29歳
「天文」より「弘治」に年号が改まる。
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弘治4年 1558年 2月28日 32歳
「弘治」より「永禄」に年号が改まる。
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永禄2年 1559年 8月1日 33歳
三好長慶畠山高政安見宗房の籠る高屋城(河内国)に攻め入り城下を放火する。宗房が飯盛山城に撤退したため、長慶、高政は高屋城に入城する。
出典:『足利季世記』巻5「細川氏綱淀城入事」

永禄2年 1559年 8月4日 33歳
安見宗房飯盛山城(河内国)より大和国に逃亡する。
出典:『足利季世記』巻5「細川氏綱淀城入事」

永禄3年 1560年 1月15日 34歳
三好長慶畠山高政淀城(山城国)にいる管領・細川氏綱のもとに礼に赴く。
出典:『足利季世記』巻5「長慶任修理大夫事」

永禄3年 1560年 5月16日 34歳
三好長慶畠山高政が断交する。
出典:『厳助往年記』同年月日条

永禄3年 1560年 6月24日 34歳
畠山高政討伐のため三好長慶の催促をうけた三好実休が四国衆を率い尼崎(摂津国)に到着する。
出典:『足利季世記』巻5「松永弾正和州平均之事」

永禄3年 1560年 7月3日 34歳
玉櫛(河内国)にて畠山高政三好実休が戦い、実休が勝利する。実休は若井(河内国)を攻める。
出典:『足利季世記』巻5「松永弾正和州平均之事」

永禄3年 1560年 7月7日 34歳
三好実休が太田・若林(河内国)に陣替えする。
出典:『足利季世記』巻5「松永弾正和州平均之事」

永禄3年 1560年 7月19日 34歳
三好実休が富田林(河内国)に陣取る。
出典:『足利季世記』巻5「松永弾正和州平均之事」

永禄3年 1560年 7月22日 34歳
大窪にて三好実休安見宗房が戦い、実休が勝利する。
出典:『足利季世記』巻5「松永弾正和州平均之事」

永禄3年 1560年 7月24日 34歳
松永久秀畠山高政方の井戸若狭守が籠る井戸城(大和国)を攻める。
出典:『足利季世記』巻5「松永弾正和州平均之事」

永禄3年 1560年 8月14日 34歳
堀溝にて池田勢と安見宗房が戦い、池田勢が勝利する。
出典:『足利季世記』巻5「細川氏綱淀城入事」

永禄3年 1560年 8月30日 34歳
三好実休高屋城(河内国)近所に攻め寄せる。
出典:『足利季世記』巻5「松永弾正和州平均之事」

永禄3年 1560年 8月-日 34歳
井戸若狭守が松永久秀に降伏し井戸城(大和国)を明け渡す。
出典:『足利季世記』巻5「長慶任修理大夫事」

永禄3年 1560年 9月9日 34歳
高屋城(河内国)東の河原口にて伊丹親興と貴志・丹下・野尻が率いる畠山勢と交戦し、親興が勝利する。
出典:『足利季世記』巻5「松永弾正和州平均之事」

永禄3年 1560年 10月8日 34歳
畠山高政の籠る飯盛山城(河内国)の後詰として香西元成、山中新左衛門、木沢新太郎が杉山口(山城国)に遣わされるが三好長慶勢に敗れる。
出典:『足利季世記』巻5「松永弾正和州平均之事」

永禄3年 1560年 10月15日 34歳
根来寺衆の杉坊・岩室が率いる軍勢500が高屋城(河内国)の後詰としてやってくるが、高屋城を包囲する三好勢が打ち破る。
出典:『足利季世記』巻5「松永弾正和州平均之事」

永禄3年 1560年 10月24日 34歳
飯盛山城(河内国)の安見宗房が城を三好長慶に明け渡しに逃れる。
高屋城(河内国)の畠山高政遊佐信教が城を長慶に明け渡しに逃れる。
出典:『足利季世記』巻5「松永弾正和州平均之事」

永禄3年 1560年 11月13日 34歳
畠山高政方の万歳大和守が降伏し万歳城(大和国)を松永久秀に明け渡す。
出典:『足利季世記』巻5「松永弾正和州平均之事」

永禄3年 1560年 11月13日 34歳
飯盛山城(河内国)に入城する。
三好実休高屋城(河内国)に入城する。
出典:『足利季世記』巻5「松永弾正和州平均之事」

永禄3年 1560年 11月18日 34歳
畠山高政方の長谷の桜坊が降伏し城を松永久秀に明け渡す。
出典:『足利季世記』巻5「松永弾正和州平均之事」

永禄3年 1560年 11月24日 34歳
畠山高政方の澤・日の牧城が松永久秀に降伏する。
出典:『足利季世記』巻5「松永弾正和州平均之事」

永禄4年 1561年 7月28日 35歳
六角義賢細川晴元の次男を擁立し、畠山高政安見宗房遊佐信教根来寺衆と示し合わせて勝軍地蔵城(山城国)にて軍勢10000程で蜂起する。
出典:『永禄四年古記録甲』(北野天満宮史料刊行会、北野天満宮、1980年)、『足利季世記』巻5「勝軍地蔵山合戦之事」

永禄4年 1561年 7月29日 35歳
六角義賢の軍勢1000が東山(山城国)に出張る。三好長慶勢は出勢せず。
出典:『永禄四年古記録甲』(北野天満宮史料刊行会、北野天満宮、1980年)

永禄4年 1561年 7月30日 35歳
六角義賢勢と三好長慶勢が戦う。
出典:『永禄四年古記録甲』(北野天満宮史料刊行会、北野天満宮、1980年)

永禄4年 1561年 -月-日 35歳
畠山高政根来寺衆・紀伊国衆が岸和田(和泉国)に出陣し、安見宗房遊佐信教もそれに応じるとの報をうけ、高屋城(河内国)に在番していた三好実休が大将として安宅冬康三好康長三好政勝・三好盛政・吉成勘助・篠原長房の軍勢7000を率い畠山勢と対陣する。
出典:『足利季世記』巻5「勝軍地蔵山合戦之事」

永禄4年 1561年 8月19日 35歳
六角義賢勢と三好長慶勢が戦う。
出典:『永禄四年古記録乙』(北野天満宮史料刊行会、北野天満宮、1980年)

永禄4年 1561年 10月20日 35歳
六角義賢勢と三好長慶勢が戦う。
出典:『永禄四年古記録乙』(北野天満宮史料刊行会、北野天満宮、1980年)

永禄4年 1561年 10月26日 35歳
東河原(山城国)にて六角義賢勢と三好長慶勢が戦う。
出典:『永禄四年古記録乙』(北野天満宮史料刊行会、北野天満宮、1980年)

永禄4年 1561年 10月28日 35歳
東河原(山城国)にて六角義賢勢と三好長慶勢が戦う。小泉山城守が戦死する。
出典:『永禄四年古記録乙』(北野天満宮史料刊行会、北野天満宮、1980年)

永禄4年 1561年 -月-日 35歳
勝軍地蔵城(山城国)に入った永原安芸守率いる六角勢10000に対処すべく京都の三好勢の総大将として三好義興が梅津(山城国)に在陣する。松永久秀が西院(山城国)に在陣する。
出典:『足利季世記』巻5「勝軍地蔵山合戦之事」

永禄4年 1561年 11月24日 35歳
三好義興松永久秀が勝軍地蔵城(山城国)に攻め寄せ六角義賢と交戦する。三好勢は城を落とすことができずに撤退する。この戦いで、六角方は永原安芸守が、三好方は三郷主膳助が戦死する。
出典:『足利季世記』巻5「勝軍地蔵山合戦之事」

永禄5年 1562年 3月5日 36歳
久米田(河内国)にて畠山高政安見宗房遊佐信教根来寺衆と三好実休が戦い、実休が戦死する。実休の辞世「草からす 霜又今朝ノ 日に消て 報の程は 終にのかれず」。
この戦いにより高屋城(河内国)が落ちるとともに、三好長慶の居城・飯盛山城を除く河内国の三好方の諸城が畠山高政方に靡く。
出典:『厳助往年記』同年月6日条、『足利季世記』巻6「久米田合戦之事」

永禄5年 1562年 3月6日 36歳
三好実休が戦死したため、安宅冬康は在番していた岸和田城(和泉国)を放棄する。同城は畠山高政の支配下となる。
足利義輝が慶寿院とともに八幡(山城国)に移る。
六角義賢が勝軍地蔵城(山城国)から清水坂に陣を移す。
三好長慶山崎(山城国)に撤退する。
出典:『足利季世記』巻6「久米田合戦之事」

永禄9年 1566年 2月17日 40歳
上芝の合戦で三好義継三好長逸三好宗渭岩成友通、筒井順興と松永久秀畠山高政安見宗房が戦い、三好三人衆勢が勝利する。敗れた高政、安見宗房に逃れる。
出典:『多聞院日記』同年月日・19日条、『言継卿記』同年月18日条

永禄10年 1567年 8月29日 41歳
根来寺連判衆の2000がナクラ城(紀伊国伊都郡)に入る。
出典:『多聞院日記』同年9月2日条

永禄10年 1567年 9月2日 41歳
ナクラ城(紀伊国伊都郡)にいた根来寺連判衆の2000が風森越えに大和国に侵入すると奈良(大和国)にて噂される。
出典:『多聞院日記』同年月日条

永禄10年 1567年 9月5日 41歳
畠山高政根来寺連判衆の総勢3000が幸田城を攻める。吐田と戦い敗れ、紀伊国伊都郡に撤退する。
出典:『多聞院日記』同年月日条

永禄11年 1568年 10月3日 42歳
竹内季治、畠山昭高畠山高政松永久秀池田勝正、入江が足利義昭織田信長のいる芥川山城(摂津国)にやってきて降伏を受け入れてくれたことの礼をする。
出典:『言継卿記』同年月4日条

永禄12年 1569年 3月8日 43歳
布施氏、越智氏を対治するため、三好義継松永久秀畠山高政が摂津国・河内国・和泉国の諸勢を率い片岡(大和国)を攻める。
出典:『多聞院日記』同年月日条

永禄12年 1569年 4月16日 43歳
三好義継松永久秀久通父子、畠山高政が攻めていた片岡城(大和国)が降伏する。
出典:『多聞院日記』同年月日条

永禄12年 1569年 4月18日 43歳
松永久秀久通父子が万歳(大和国)に攻め寄せる。
出典:『多聞院日記』同年月日条

永禄13年 1570年 3月1日 44歳
織田信長畠山昭高畠山高政三好義長、畠山播磨守、鷲巣、大舘輝光、大舘晴忠等が足利義昭のもとに礼に赴く。
信長が参内する。太刀1腰、馬代1000疋(10貫)を進上する。
信長が長橋局に参り1000疋(10貫)を進上する。
信長が誠仁親王のもとに参り対面する。誠仁親王に太刀1腰、馬代1000疋(10貫)を進上する。
信長が新大典侍に参り折紙1000疋を進上する。
信長が半井驢庵のもとに赴く。
出典:『言継卿記』同年月日条、『晴右記』同年月日条

永禄13年 1570年 3月3日 44歳
畠山昭高畠山高政三好義長、御供衆の細川藤賢・大舘輝光・大舘晴忠・一色藤長・一色播磨守・畠山播磨守・伊勢三郎・松永久通足利義昭のもとに礼に訪れる。
出典:『言継卿記』同年月日条

元亀1年 1570年 4月23日 44歳
「永禄」より「元亀」に年号が改まる。
出典:-

元亀1年 1570年 5月3日 44歳
山科言継、松木、三条新少将、白川侍従、局務が織田信長のもとに赴く。取次は林秀貞
その後、言継等は徳川家康畠山高政松永久秀のもとに赴く。
次いで三好義継のもとに赴く。
出典:『言継卿記』同年月日条

元亀2年 1571年 5月30日 45歳
三好長逸三好宗渭岩成友通の軍勢が畠山高政・遊佐の籠る高屋城(河内国)に攻め入る。
出典:『多聞院日記』同年月日条

元亀2年 1571年 6月11日 45歳
高屋城(河内国)を攻めていた三好長逸三好宗渭岩成友通の軍勢が撤退する。
出典:『多聞院日記』同年月日12条

天正1年 1573年 7月28日 47歳
「元亀」より「天正」に年号が改まる。
出典:-

天正4年 1576年 10月15日 50歳
畠山高政が死去する。
出典:-

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